第4話 初恋の君

※※


俺はリリーが馬車に乗り込み、屋敷へと戻っていく姿を自室の窓からこっそり眺めていた。



「まさか……リリーに会えるなんてな……」


パーティー直前にカイルから「エヴァンズ公爵令嬢についてとんでもないことがわかった」と聞かされた時は、刺客かなにかだったのかと予想したが全くの見当違いだった。


カイルが持ってきた情報は熊のようだと揶揄されているリリー=エヴァンズが、我が国ご用達の調剤士だったマリア=エヴァンズの娘であること。


そして幼い頃、一時期彼女が辺境の地で療養していたことを聞かされた時は、心が燃えるように熱くなった。


何故なら、俺もある理由から一時期その辺境の地にある別荘に滞在したことがあったからだ。

そこで出会ったのだ、初恋の君に。


(ずっとずっと会いたかった)


(ずっとずっと探していた……)


そしてこちらから彼女に接触しようと思った矢先に、彼女は俺の目の前に現れた。


メイド服に身を包んでいたが俺はすぐに彼女に間違いないと確信した。太陽のように輝く艶やかなブロンドの髪に、あの透明感のある淡いピンク色の瞳。


「愛らしかったな……」


大人になった彼女は俺が想像していた以上に強く聡明な女性で美しかった。俺は長年抱いていた恋心をいきなり再会したリリーにどう表現したらよいのかよくわからないまま、あんな態度をとってしまった。


──どうしても彼女を自分のものにしたくて。



「……ポケットにいたのはラピス? だったか?」


剣を突きつけた時、俺はリリーとは別にもう一つの小さな視線に気づいた。リリーに気づかれないようにさっと視線を走らせ、ポケットから覗く小さな紫色の瞳が見えたときは心の中で歓喜の声をあげた。


(確か……ラピスラズリから名付けたと言っていたな……)


リリーと俺が初めて会ったあの時も珍しい黒いウサギを連れていたから。


「願えば叶う……死んだ母上の言う通りだ」


ずっともう一度会いたいと願い続けていた。

ずっと忘れられなかった──初恋の君。




──コンコンコンッ


俺はニヤていた口元を結び、眉間にこれでもかと皺を寄せた。


「はいれ」


「失礼いたします」


カイルがお辞儀をして部屋に入って来るのを見た俺は腕組みをしながら椅子に腰掛けた。


「リリー様は、無事に帰路につかれました」


「ご苦労だった、彼女にはちゃんとだろうな?」


「はい。リリー様とそのお付きのものだというドーナには絶対に気づかれないよう、腕のたしかな護衛を数人おります」


「そうか。お前が裏口からリリーを見送ったことは?」


「誰にも見られておりません」


「ならいい。下がれ」


こう言えば、いつもすぐに下がるカイルが俺の隣に立つと、俺を見て微笑んだ。


「良かったですね」


(全く、勘がいい男だ)


そのすべてを見透かしたような表情と言葉に俺はカイルに向かって答え合わせをするべく口を開くことにした。


「いつ気づいた? リリー=エヴァンズが俺の探していたリリーだと」


「ルーカス様が剣を突き付けられた際にすぐに気づきました。初恋の君に再会されたあまり、ルーカス様のお顔が極度の緊張から恐ろしい程に凶悪な顔をされていらしゃったので」


「ん? 凶悪な顔だと?」


「はい。それでいて、リリー様から見つめられればほんのりと頬を染めてらっしゃいましたし、何よりの決め手はあの時のルーカス様からは全く殺気が感じられませんでしたので、間違いないと確信いたしました」


「なるほどな……だからリリーに自分の剣を抜かせたのか?」


したり顔で饒舌に話していたカイルが僅かに目を見開いた。


「……バレてましたか」


「リリーの腕は確かだが、かといってお前が俺の次に大切にしているその剣を他人に抜かせるわけがないからな」


「お見それ致しました」


カイルが小さく肩をすくめると、窓の外に視線を向けた。俺も椅子越しに外に目をやるが、リリーの乗った馬車はもう星屑程度の大きさにしか見えない。


「よろしかったのですか?」


「何がだ?」


「本当はご自身でお見送りしたかったのでしょう?」


「そんなことはない。こ、この俺が行くほどのことでもないだろう」


俺はそう口にしながらも、本当は喉から手が出る程にリリーを見送りたかったし、なんならもっと話したかった。


さらに言えば今晩からでもそばに置いて置きたい気持ちを何度、心の奥底に押し込めたかもわからない。


かといってここでカイルにそんなことまで話す気には到底なれなかった。理由はなんだか恥ずかしすぎるからだ。


「ルーカス様、ご婚約の件について国王へのご報告はいつされますか?」


「ああ、そうだな、まずはエヴァンズ公爵に連絡を……」


「その件なら大丈夫です。すでにエヴァンズ公爵家には明日、使いの者が婚約について書かれた書類と誓約書をお届けする手はずになっております」 


「仕事が早いな」


「そりゃあそうでしょう。善は急げというじゃありませんか? ルーカス様もどうしてもリリー様を逃したくないため、あのような脅しめいたプロポーズをされたのでしょう?」


(ん?)


俺はカイルの話を頷きながら聞いていたが、『脅し』という言葉に眉を顰めた。


「カイル、その脅しのようなプロポーズとはなんだ?」


「え? そこですか?!」


「ああ。俺は極めて冷静にリリーにとって納得がいくような言葉を選び、かつ紳士的に誠実にプロポーズしたつもりなのだが……」


俺の返事にカイルがクククっと笑いを漏らす。


「さようでございましたか。しかしながらおそらくリリー様は先ほどのプロポーズを結婚しなければ今すぐ殺す、くらいにしか解釈されてないように存じます」


「な……っ、なに?!」


カイルの言う通り、リリーがもしそのように受け取っているなら、なぜそんな風に俺の言葉を受け取ったのか全くわからない。


ずっと探していた初恋の君であるリリーを殺すことなど断じてあり得ない上に、心から愛するリリーを脅したつもりなど微塵もない。


「……リリーが俺の妻になれば俺も堂々とリリーの母を殺した犯人探しに乗り出せる。リリーの力になってやりたい、ただそれだけだ」


「ルーカス様のお気持ちは十分に理解しております」


カイルが「僕は」とつけたのを見ると、リリーはそう理解してくれてはいないのだと、なんだか落ち込みそうになって来る。



(一緒にいたくて少々強引な言葉だったかもしれないが……)


(リリーは俺のことを覚えていなかったしな)


(素直に婚約してくれと言ったところで、ああでも言わなければ悪魔王子の俺と結婚など……)



「……なにやら失敗したのか? 俺は?」


すぐにカイルが首を横にふった。


「いえ。結果的にリリー様はルーカス様の求婚を受け入れられたのですから成功でしょう」


「……リリーは一年と言っていたな……」


あの場では了承したが俺は一年で別れるつもりなど毛頭ない。しかし現にリリーを妻として一緒に過ごせる期間はたった一年しかないと言うことだ。



(短い……短すぎる……)


(一年後……別れるなど……いまから涙がでてきそうだ……)



「ルーカス様、大丈夫ですか?」


「なんでもない。目にゴミが入ったのだ」


「…………」



俺はカイルに泣きそうになったことを悟られぬよう、眉間にキュッと皺を寄せてから大きなため息を吐きだした。



「俺はリリーとの結婚生活、うまくやれるだろうか……」


思わず吐露した不安は言葉に出すと、ますます膨らんで大きくなったような気がした。


「ルーカス様なら大丈夫です、一緒に過ごされるうちにリリー様もきっとわかってくださるはずです」


「だといいのだが……」


「今夜はお疲れでしょう、ごゆっくりおやすみください。僕はそろそろ失礼いたします」


「ああ」


パタンと閉じられた扉をみながら、俺はまたため息を吐きだした。


「はぁああああ……」



俺の心の中にずっと棲みついていたリリーにようやく出会えたことに舞い上がりつつも、これから夫として一人の男としてどうやってリリーに愛を伝えたらいいのか見当もつかない。


「いつ好きだと言えばいいのだ?」


「あ……いや、その前に俺とどこかで会ったことがないか聞いてみる、か?」


「いやダメだ……あの愛らしいリリーを前にうまく話せる自信などない」


俺は鏡の前に立つと自身の姿を映し出した。

そこには悪魔と呼ばれる黒髪に眉間に皺を寄せた見慣れた顔が映っている。


「せめてこの黒髪が……元のブロンドに戻ればな」


十歳を過ぎたあたりからだろうか。俺のブロンドの髪は襟足から少しずつ黒くなり始め、数年で真っ黒になった。理由はいまだにわからない。


(腕のいい調合師だったリリーの母が生きていれば……治せたかもしれないが……)


俺の黒髪を悪魔の呪いだという者もいれば、悪魔の生まれ変わりだという者もいる。


(本当に悪魔のようだな……)


「こんな悪魔王子と呼ばれる俺があの麗しいリリーの夫か……」


俺はぶつぶつと独り言を呟いていたがキリがないと思い、ベッドにゴロンと寝転がった。


「……いつか愛してると伝えられるだろうか」



ようやく会えたのだ。

もう誰にも渡したくもない。

俺だけのものにしたい。

俺だけのリリーに。



「……まずは一緒に過ごしてみる、か……」


今夜はとても月が綺麗だ。穏やかな優しい光を彩るように無数の星が競うように瞬いている。


俺はリリーとの再会に熱い想いを馳せながら、静かに目を閉じた。


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