第26話 無知の無知

 芳樹は中元の眼前で、鬼へと変貌を遂げた。

 強さへの、病的な信仰が、彼を鬼に変貌させてしまったのだ。

 何がそこまで、芳樹を駆り立てたのか。

 なぜ、悪魔のささやきに耳を貸してしまったのか。

 妹の叫びも虚しく、戦いの火ぶたが切られた。

 中元と戦わずとも、河合から直接奪えばいいと思うが、それは、芳樹の美学に反した。

 芳樹は中元を倒してから、イヤリングを奪おうと思ったのだ。

 それが、芳樹なりの筋の通し方であった。

 芳樹は、虚空に向けて次々と正拳を放った。

 衝撃波で、次々と拳の穴が開いた。

 中元は、二人を巻き込まないように、躱した。

「私には、変身なしで十分という訳ですか?」

 中元に問うた。

「いいえ。変身しては、寿命が削られますからね。」

「長生きしたいんですか?」

「ええ。なるべく。」

「だったら、戦いの道には向いてないですよ。」

「私が習っていたのは護身術ですよ。」

「あの岩石落としが護身術ですか?」

「ええ、そうです。」

「私もイヤリングを使って、先生に挑みたいところですが、それは、あとのお楽しみです。決して先生を侮っているわけではないですよ。」

「そうだと、思ってましたよ。僕、強いですから。」

「強さに溺れてはいけないんじゃなかったんですか?」

「事実を言ってるだけです。実力以上に過信しているわけではないですよ。」

「今の言葉、阿部先生が聞いたら怒るだろうな。」

「彼は怒りっぽいところがありますからね。」

「先生は、人類は進化すべきだと思いますか?」

「さっきも言った通り、あなたの、考えには賛同できません。故に、人類は進化すべきじゃないです。」

「なぜですか?」

「たいていの人は、肉体的にもそうですが、精神的にも、その力に耐えられないと思います。なぜなら、人間は弱いからです。」

「先生は耐えられているんですか?」

「さっきも言った通り、僕は強いので。」

「そういうと思った。」

 芳樹は笑いながらパンチを打った。

 しかし、何度打っても、中元には当たらなかった。

「先生からは、攻撃しないんですか?」

「しないです。諦めてくれるまで、基本的によける方針で行きます。場合によっては、調教することもあるかもしれません。」

 中元は、芳樹と組み手を行う際、稽古、という言い方をするが、調教と言う言葉に変えたのだ。

「じゃあ、どうやって退治するんですか?」

「寿命が尽きるまで待ちます。」

「変な人だなあ。俺、あきらめ悪いですよ。」

「それも知ってます。」

「先生は、愚かな人を相手にするとき何を考えますか?」

「そうですね...どうやったら、理解してくれるだろうかをまず考えますね。こんな例は失礼かもしれませんが、授業中に分からないところはどこかを尋ねても、大抵の場合、分かっていないことが、分かっていないことが多いです。難しい言い方をすれば、無知の無知とでも言いましょうか。なので、あなたは分かってないですよ。と、伝えることから始め、そこから、また、難しい言い方で恐縮ですが、不可知にまで落とし込みます。」

「不可知?」

「知ることができないという意味です。人間と言うのは、生きていれば、必ず、分からない問いが発生します。授業のこと以外でも、人間関係や恋愛、将来の不安など、様々です。今の子供は、趣味にだって悩むそうです。そして、人間は何かを受動的に教えてもらうと、それを知った気になるのです。でも、それだけで走ったことにはなりません。人間は馬鹿で傲慢です。だから、知識を得れば、それだけで満足し、知への探求を怠るようになるのです。大事なのはその旅をやめないことです。」

「なるほど...」

 芳樹は攻撃の手を止めずに話を聞いていた。

「まあ、授業中に寝て話を聞かない人もいますが。その場合は、何て言いましょうかね。」

 中元も話を続けている。

 それを言われた河合は頬を赤くしていた。

「そういう生徒にはどう対応しているんですか?」

「放置しています。そこにいる彼女ですが、いつも体育の後は、疲労困憊の

ようで、ぐっすり寝ています。無理な姿勢で寝ると、ジャーキングが起こって心配になります。」

「ジャーキング?」

「睡眠中に、体をもとの姿勢に戻そうと、ビクッと動くことです。」

「ああ、俺もたまにありますね。」

「あと、机に突っ伏したまま寝ると、健康にも良くないです。スポーツをしているなら、脳の影響とかも考えてほしいものですね。」

 河合と藍那はこの異様な光景に面食らっていた。

 戦いとは、中元と芳樹にとってコミュニケーションなのだろう。

 藍那はそう思った。

 何て楽しそうに戦っているのだろうか。

「体育って今何やってるんですか?」

「創作ダンスだそうですよ。見たことないので、どれほど大変なのかは分かりませんが、河合さんは、普段から、全力疾走なのだそうですよ。運動だけは。」

「見てあげてくださいよ...」

「我々の調査では、河合さんは、おばあさんが、ラジット教の信者かどうかが分かりかねています。もし、おばあさんがラジットの信者であった場合、河合さんも、怪人化する恐れがあるので、体力の使い過ぎには留意してほしいところです。社会の時間に関しては、安心しきっていますが。」

「しかし、健康に良くないなら、寿命を前借している可能性は?」

「無きにしも非ずですね。何とも言えません。しかし、中学生の皆さんには、暗黙知を習得してもらいたいものです。」

「暗黙知?」

「自転車の乗り方のように、一度覚えてしまえば、基本的に忘れることがない事です。」

「でも、暗黙知を習得しても、知への探求は忘れてほしくないと?」

「ええ。」

「先生は何で中学校の先生に?」

「まあ、学者だけでは、食べていくことができないので、教師もやっているんです。」

「学者と教師の違いって何ですか?」

「学者も教師も、人に教えることは同じですが、学者は、興味を持ってもらわないと聞いてもらえないということですかね、それに対して、教師は、無理やり話を聞いてもらえるのが、違いだと思います。」

「俺も先生の授業聴いてみたかったな。」

「つまらないですよ?」

「でも、分からないこととか教えてくれそうじゃないですか?授業の内容以外で、分からないところとか質問すると、大抵の先生はめんどくさがるんですが、先生はそんなこと無さそうだなって。」

「まあ、教師も暇じゃないですから。」

「先生は、忙しいのに対応してくれるんですか?」

「そうですね、質問はいつでも歓迎してますよ。恋愛のこと以外なら。」

「先生は恋人いたことあるんですか?」

「ないです。友達もいないですよ。」

「そういうこと言うのためらいとかないんですか?」

「ないですよ。なぜですか?」

「一応、女子もいるわけだし。」

「気になんないですね。」

 河合と黒島は絶句していた。

 やっぱりいないんだ。

 と思った。

「気にしてあげてくださいよ。」

「次からそうします。」

 芳樹の攻撃の威力は徐々に弱まっている。

 それを見た藍那は叫んだ。

「もういいでしょ!!これ以上動いたら死んじゃうよ!!」

「藍那!!友達は大事にするんだぞ!!それから、純奈ちゃん!!先生の授業はちゃんと聞いてやれよ。運動もいいけど、さっき言ったみたいに、知への探求も大事だから!!それが、怪人にならない方法だと俺は思う!!」

「その通りだと思います。河合さんは、おばあさんから、何か飲まされたりはしましたか?」

「えっと、のどかわいた?と言って水をくれた気がします...」

「何で今まで気が付かなかったんですか?」

 芳樹は中元に言った。

「聖水は、そんなに重要なファクターではないと思ったからです。しかし、そうも言ってられないみたいですね。でも、それでも、判断にはまだ早いです。」

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