第26話 無知の無知
1
芳樹は中元の眼前で、鬼へと変貌を遂げた。
強さへの、病的な信仰が、彼を鬼に変貌させてしまったのだ。
何がそこまで、芳樹を駆り立てたのか。
なぜ、悪魔のささやきに耳を貸してしまったのか。
妹の叫びも虚しく、戦いの火ぶたが切られた。
中元と戦わずとも、河合から直接奪えばいいと思うが、それは、芳樹の美学に反した。
芳樹は中元を倒してから、イヤリングを奪おうと思ったのだ。
それが、芳樹なりの筋の通し方であった。
芳樹は、虚空に向けて次々と正拳を放った。
衝撃波で、次々と拳の穴が開いた。
中元は、二人を巻き込まないように、躱した。
「私には、変身なしで十分という訳ですか?」
中元に問うた。
「いいえ。変身しては、寿命が削られますからね。」
「長生きしたいんですか?」
「ええ。なるべく。」
「だったら、戦いの道には向いてないですよ。」
「私が習っていたのは護身術ですよ。」
「あの岩石落としが護身術ですか?」
「ええ、そうです。」
「私もイヤリングを使って、先生に挑みたいところですが、それは、あとのお楽しみです。決して先生を侮っているわけではないですよ。」
「そうだと、思ってましたよ。僕、強いですから。」
「強さに溺れてはいけないんじゃなかったんですか?」
「事実を言ってるだけです。実力以上に過信しているわけではないですよ。」
「今の言葉、阿部先生が聞いたら怒るだろうな。」
「彼は怒りっぽいところがありますからね。」
「先生は、人類は進化すべきだと思いますか?」
「さっきも言った通り、あなたの、考えには賛同できません。故に、人類は進化すべきじゃないです。」
「なぜですか?」
「たいていの人は、肉体的にもそうですが、精神的にも、その力に耐えられないと思います。なぜなら、人間は弱いからです。」
「先生は耐えられているんですか?」
「さっきも言った通り、僕は強いので。」
「そういうと思った。」
芳樹は笑いながらパンチを打った。
しかし、何度打っても、中元には当たらなかった。
「先生からは、攻撃しないんですか?」
「しないです。諦めてくれるまで、基本的によける方針で行きます。場合によっては、調教することもあるかもしれません。」
中元は、芳樹と組み手を行う際、稽古、という言い方をするが、調教と言う言葉に変えたのだ。
「じゃあ、どうやって退治するんですか?」
「寿命が尽きるまで待ちます。」
「変な人だなあ。俺、あきらめ悪いですよ。」
「それも知ってます。」
「先生は、愚かな人を相手にするとき何を考えますか?」
「そうですね...どうやったら、理解してくれるだろうかをまず考えますね。こんな例は失礼かもしれませんが、授業中に分からないところはどこかを尋ねても、大抵の場合、分かっていないことが、分かっていないことが多いです。難しい言い方をすれば、無知の無知とでも言いましょうか。なので、あなたは分かってないですよ。と、伝えることから始め、そこから、また、難しい言い方で恐縮ですが、不可知にまで落とし込みます。」
「不可知?」
「知ることができないという意味です。人間と言うのは、生きていれば、必ず、分からない問いが発生します。授業のこと以外でも、人間関係や恋愛、将来の不安など、様々です。今の子供は、趣味にだって悩むそうです。そして、人間は何かを受動的に教えてもらうと、それを知った気になるのです。でも、それだけで走ったことにはなりません。人間は馬鹿で傲慢です。だから、知識を得れば、それだけで満足し、知への探求を怠るようになるのです。大事なのはその旅をやめないことです。」
「なるほど...」
芳樹は攻撃の手を止めずに話を聞いていた。
「まあ、授業中に寝て話を聞かない人もいますが。その場合は、何て言いましょうかね。」
中元も話を続けている。
それを言われた河合は頬を赤くしていた。
「そういう生徒にはどう対応しているんですか?」
「放置しています。そこにいる彼女ですが、いつも体育の後は、疲労困憊の
ようで、ぐっすり寝ています。無理な姿勢で寝ると、ジャーキングが起こって心配になります。」
「ジャーキング?」
「睡眠中に、体をもとの姿勢に戻そうと、ビクッと動くことです。」
「ああ、俺もたまにありますね。」
「あと、机に突っ伏したまま寝ると、健康にも良くないです。スポーツをしているなら、脳の影響とかも考えてほしいものですね。」
河合と藍那はこの異様な光景に面食らっていた。
戦いとは、中元と芳樹にとってコミュニケーションなのだろう。
藍那はそう思った。
何て楽しそうに戦っているのだろうか。
「体育って今何やってるんですか?」
「創作ダンスだそうですよ。見たことないので、どれほど大変なのかは分かりませんが、河合さんは、普段から、全力疾走なのだそうですよ。運動だけは。」
「見てあげてくださいよ...」
「我々の調査では、河合さんは、おばあさんが、ラジット教の信者かどうかが分かりかねています。もし、おばあさんがラジットの信者であった場合、河合さんも、怪人化する恐れがあるので、体力の使い過ぎには留意してほしいところです。社会の時間に関しては、安心しきっていますが。」
「しかし、健康に良くないなら、寿命を前借している可能性は?」
「無きにしも非ずですね。何とも言えません。しかし、中学生の皆さんには、暗黙知を習得してもらいたいものです。」
「暗黙知?」
「自転車の乗り方のように、一度覚えてしまえば、基本的に忘れることがない事です。」
「でも、暗黙知を習得しても、知への探求は忘れてほしくないと?」
「ええ。」
「先生は何で中学校の先生に?」
「まあ、学者だけでは、食べていくことができないので、教師もやっているんです。」
「学者と教師の違いって何ですか?」
「学者も教師も、人に教えることは同じですが、学者は、興味を持ってもらわないと聞いてもらえないということですかね、それに対して、教師は、無理やり話を聞いてもらえるのが、違いだと思います。」
「俺も先生の授業聴いてみたかったな。」
「つまらないですよ?」
「でも、分からないこととか教えてくれそうじゃないですか?授業の内容以外で、分からないところとか質問すると、大抵の先生はめんどくさがるんですが、先生はそんなこと無さそうだなって。」
「まあ、教師も暇じゃないですから。」
「先生は、忙しいのに対応してくれるんですか?」
「そうですね、質問はいつでも歓迎してますよ。恋愛のこと以外なら。」
「先生は恋人いたことあるんですか?」
「ないです。友達もいないですよ。」
「そういうこと言うのためらいとかないんですか?」
「ないですよ。なぜですか?」
「一応、女子もいるわけだし。」
「気になんないですね。」
河合と黒島は絶句していた。
やっぱりいないんだ。
と思った。
「気にしてあげてくださいよ。」
「次からそうします。」
芳樹の攻撃の威力は徐々に弱まっている。
それを見た藍那は叫んだ。
「もういいでしょ!!これ以上動いたら死んじゃうよ!!」
「藍那!!友達は大事にするんだぞ!!それから、純奈ちゃん!!先生の授業はちゃんと聞いてやれよ。運動もいいけど、さっき言ったみたいに、知への探求も大事だから!!それが、怪人にならない方法だと俺は思う!!」
「その通りだと思います。河合さんは、おばあさんから、何か飲まされたりはしましたか?」
「えっと、のどかわいた?と言って水をくれた気がします...」
「何で今まで気が付かなかったんですか?」
芳樹は中元に言った。
「聖水は、そんなに重要なファクターではないと思ったからです。しかし、そうも言ってられないみたいですね。でも、それでも、判断にはまだ早いです。」
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