美しい人

主水大也

美しい人

 私が友人を起こそうとアパートの扉を開け部屋を覗いた時、友人は静かにベッドで横になっていた。部屋には爽やかな冷たさが充満している。窓は開け放たれ、朝の光沢とむず痒くなるような風がせわしなく入っていた。私はベッドの横にしゃがみ、友人の顔をまじまじと見た。鼻は屹立し、カッターで切り裂いたような吊り目気味の一重は閉じられている、乾ききった白い肌は朝日に照らされて幼い匂いを放ち、反対の影になった顔は妖艶な魅力がある、美しい顔だった。私はなんだか触れたくなったが、冷めきった身体が温まりこの美しさが融解して散らばることを恐れ、枕に手を置くまでにとどまった。見渡してみても、部屋は何も変わらない。日常をただただ示し続けている。机の上も、綺麗に整頓されている。

 友人の顔を見ていると、ひと月前のことを思い出した。私たちが公園の公衆トイレに入ったとき、一番入り口に近い個室で、死体を見つけた時の事である。正確には、私は見つけていない。ただ友人が静かに、死体がある、と言ったのである。私はそれを聞いて取り乱し、何とか助けられないかと思って個室に押し入ろうとしたが、友人が止めた。見るな、と力強く言っていた。友人は淡々と警察を呼んで、管理人に電話をして現状を伝えていた。私はその死体の有る個室から一番遠い個室に入り、ただ震えてその声を聞いていた。

 しばらくすると、友人はその個室を見上げながら、ぽつぽつと何かを話し始めた。私に向けたものだったのか、今もわからない。ただ、憐れみと少しの侮蔑、そしてせせらぎのような甘い感嘆がその声にまとわりついていた。これは友人も無意識だっただろう。おぼこい勇敢な心をもった子どもが、背の高い草をかき分け走り、ズボンに多数のオナモミを付けて快活に笑っているような、そんなまとわりついて離れないアルカリ性の感情である。

 警察が来て、あれこれ事情聴取をされているとき、友人はどこか煙に濡れそぼったような眼をしていた。そしてやっと解放された時、友人は、かわいそうに、とだけ言った。

 今目の前で横になっている友人は、美しい。きっとあのトイレの死体よりもずっと。最初に見る人間が私で良かったのだろうか、と私は友人に言った。友人は何かを言ったような気もするし、黙りこくって無視をしているとも思えた。蛍光灯の光がうるさくて聞こえない。私はスイッチを切り、部屋の電気を消した。部屋は、相変わらず冷たい空気と、ソプラノのような高く耳心地の良い朝日で満たされている。この部屋では、私の熱が沈殿し床に重く垂れ流されているように思える。

 私は玄関の鍵を閉めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美しい人 主水大也 @diamond0830

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る