ありがとうにありがとう
第32話
「はぁ」
窓から外を見れば、そこには青が広がっていた。
——そういえば、あたしのこの壮大な一週間の物語も始まりは一面青のこんな場所だったな。
波紋一つ無い一面青の世界は、あたしの見る限り永遠に続いている。そんな風景は殺風景といえばそうだが、でもずっと見ていても飽きずに心が和む不思議な景色だ。
音もあたしの息遣いと服の擦れる音だけで——。
「あ、そうだ」
体を動かすと、何か紙が折れる音が聞こえ、あたしは酒鬼さんから貰った麗の手紙を思い出した。しまっていたポケットから出すと、今動いたせいなのか角が曲がってしまっている。
やっちまったと思いつつ、あたしは手紙を開いた。
「隠すつもりはありませんでした…か」
始まりの一文を呼んだあたしは思わず苦笑してしまう。
麗が何か隠していた事がるのか…と先が気になる始まりだ。そんなあたしは読み進めた。
『僕があなたと最初に出会ったのはこの天界ではありませんでした。
僕とあなた…律花との出会いはある昼下がりの、陽がこれでもかと照っていた時でした。
「おかーさん見て」でした。
もうわかりますよね。そうです。本当は僕神様なんかじゃなくて、花なんです。それも律花が水をくれていた。
いいや。訂正します。神様に『なった』『元』花なんです。
神様というものは意外と誰でもなれて、何かを思う気持ちが強くなると生涯を終えた時に
天界に招待されるんですよ。
では何かを思う力が強くて、僕は神になれたわけですが…。何を思ってたのかわかります?
正解は律花のお母さんを…と言うと少し誤解がありますが、あながち間違っていませんので、そう言わせてもらいます。
話をすると長くなるので、一部だけでも。
大前提としてこの世に存在するものには、全て意識があります。動物だけにあるなんて思ったら大間違いですよ。
ただ、その意識は独自に進化を経て意識しないという、進化。この際退化ですかね。をしたんです。
ですが、僕みたいに意識を持って生まれるものも一定数いるんです。
そんなこんなで、僕は意識を持ってこの世に花として生を受けました。
そんなある日、君に出会った。
僕は嬉しかった。運悪く道端に居た僕は水を雨でしか補給できない。だけど直近では雨が降らずに、もう本音を言うと死にそうだったんですよ。だけど僕は君達から言葉そのままに命の水を貰ったんだ。
そこで僕はまだ生きていいんだ!そう思った。思わせてくれた。
それから律花君は毎日きてくれたんだ。たまに「おはよう」なんて挨拶してくれて、返せないけど本当に嬉しかったんだ。
だけど、そんな日は長く続かなかった。
僕が花を咲かせた本当にその時なんだ。
——目の前で君が倒れていたんだ。
涙は流せないけど僕は何度も何度も泣いて祈ったよ。生きてって。
だけど、その願いが届かなかったのはその日の朝に知ったんだ。
「死ね」「死ね」って、君のお母さんが何度も何度も言いながら僕を蹴るんだ。もちろん僕は痛くない。でも、花は散ってしまって。
でも、それもいいと思ってしまったんだ。律花のお母さんの気持ちが、表情から、その声から嫌と言うほどに伝わってきた。
それが苦しかった。痛覚なんてないのに痛かったんだ。
そこで僕は思ってんだよ。律花、君を救いたいって。
そして目が覚めたら僕は天界に居たんだ。
本当はもっと早くに話しておくべきだった。それは本当にごめん。でもタイミングが見当たらなくて。
でも、最後手紙で申し訳ないとは思うが伝えたいことがあるんだ。
律花、ありがとう。
律花は僕の命の恩人で、生きる意味を与えてくれたんだ。だから僕は律花を全力でサポートしようと決めたんだ。
だから。もう一度。
ありがとう』
手紙を読み終えたあたしは数秒黙り込んだ。
だが、すぐに口を開いた。
「そうなんだ。麗があのお花さん…」
まだ現実を受け入れきれていないあたし。こんな衝撃的で嬉しい手紙、そんなすぐに受け入れられるわけなかった。
でも、少しずつ馴染んできて…。
「ありがとうって…言いたいのはこっちだよ」
ありがとうで返すのはありがとうだ。だからあたしもありがとう。
——あたしをサポートしてくれてありがとう。
——あたしにありがとうって言ってくれてありがとう。
——あたしと会ってくれてありがとう。
全てが偶然でできているこの世界。
あの時あたしが花に気付いたのも偶然で、あの時あたしが水をあげようと思ったのも偶然だ。
必然な偶然が散りばめられて…埋め尽くされている世界で生きるのは大変でもあたしはこうして笑っている。
最後は笑顔でハッピーエンドだ。
途中は長くたって短くたって、泣いたって笑ったていいんだ。最後に笑えればなんでもいいんだ。
だからあたしはもう一度声を大にして言いたい。
——この世界に『ありがとう』って。
◆
ゆらゆらと心地よく揺れる車内で、あたしは一人静かに外を眺めていた。
相変わらず変わり映えしない風景だ。
そんな中、今までノンストップで走っていたバスは突然ゆっくりと減速しだし、数十秒後には完全に止まってしまった。
なんだろうと前を見るとドアが開いて、一人、二人とおじいさんとお婆さんが入ってきた。
「ここいいですか?」
すると、二人は夫婦なのか、仲良く手を繋ぎあたしの隣をいいですかと尋ねてきた。もちろん断る理由はないが、一体誰なのかと疑問に思った。
すると再びバスは動き出した。
——だが数分後には再び止まり扉が開く。
次に入ってきたのは小さい男の子と少しぽっちゃりとした二十台後半くらいのお兄さんだ。
二人は別々の場所に座り、それを確認したのか運転手はドアをしめた。
そして再びバスは発車する。
この人達はなんなのか、気になりあたしは隣で仲良く話している老夫婦に聞こうと——
「ぁ」
聞くまでもなく、あたしはすぐに理解した。
さっきまではっきりと居た老夫婦の体は半透明になっており、その半透明さは既視感があった。それは、あたしがお母さんたちと過ごした最後の時間での出来事での、消え方にそっくりだった。
つまりは——
「ここにいる人達は…」
まあ普通に考えてそうだろう。逆に生きている人間がくる方が怖いと言うものだ。
その後も止まって進みを繰り返し、約一時間でもう二十人を超していた。だが、大きなバスにはまだ余裕があり、あと十人くらいは余裕で入りそうだが…。
そんな予想も悲しく外れてしまったことを知ったのは次の停車時だった。
「到着です」
そんなアナウンスとともに、動くのはたった二人だった。
そしてそれはあたしの次に乗ってきた老夫婦だった。
老夫婦は立ち上がると、素早く出口まで歩いて行って運転手に深く頭を下げた。
それが数十秒と異様な程長いのだが、それが終わると外に出てしまった。
二人はずっと手を繋いでいて、まさにおしどり夫婦といった感じで見ていて微笑ましかった。だからそんな夫婦に降りてからも釘付けになっていたのだが、バスがドアを閉めて発車してまだ速度が遅い時だった。
「——ぁ」
進行方向に対して後ろを向いていて、老夫婦を観察していたあたしは思わず声が出てしまった。
何故なら——
「消え…た」
老夫婦は光に包まれて、そして瞬きをしたその一瞬で居なくなってしまったのだから。
つまりは——そういうことなのだろう。
また二人仲良く居られるといいな…。
そんな届くかもわからない願いを胸にしまいつつ、あたしは自分の胸に手を当てた。
その後も、次々と止まっては乗客が降りて光に包まれて——。を繰り返して気が付けばバスの中には再びあたしだけ。
話で盛り上がっていた車内も今はもう何も聞こえない、静寂が広がっていた。
みんな何になったんだろうか…。
人になれたのか、それとも別の何かになったのか。
行き先は違っても、みんなバスの中では楽しそうだったなあ。
笑顔で溢れていたバスの中は居て居心地が良かった。家族のような暖かさを感じた。
「家族…か」
ふと頭に思い浮かんだのは、お母さんとお父さんの顔だ。
「仲良くしてるかな…」
最後にあたしがいった言葉、守ってくれてるといいんだけど。
そうだ。あたしが何かに生まれ変わったら、お母さん達のところに出てやろう!
虫でも鳥でも人でもなんでもバッチコイだ!
でも、できれば人がいいな。
「あんな事したりこんな事したり」
あたし、まだいーーーーーっぱいやり残したことがあるんだ。
まだ遊園地にも喫茶店にも行った事ないんだ。だから絶対行ってやる!
「でも贅沢は言えないな」
だって、あたしは自らこの選択肢を選んだ。なのに、選んだ後に変更なんて許されるはずない。
それにこの選択肢で後悔していないのは本当だ。
だけど——
「お母さん元気かな、お父さん元気かな」
ゆらゆら揺れながら、あたしはどうしても思い出されてしまう二人の顔を忘れようと頭をブンブンと振った。
「ふぅ」
少し落ち着き息を長く吐き再びゆっくりしようと——。
「——」
だが、それは出来なかった。バスが減速しだしたのだ。
つまりは——、
「もう、か」
実際このバスの中にいたには二時間くらいだろう。だが、その程度の時間では心の整理はつかなかった。あまりにも短すぎるその時間で、あたしは何を思ったのか。
色々と考えた。虫になってお母さんを驚かしたいな〜とか鳥になってお父さんを突いていたずらしたいな〜とか。
でも、それは何かが違った。
感謝ならいくらでもした。
あとは何か。
それは——勇気だった。
今のあたしには勇気がなかった。だから、こんなにも心臓が速くなってしまって。
情けなかった。自分で決めたはずなのにこのザマだ。
「また心残りで天界に戻されちゃったりね。あは」
そんな洒落にならない話だが、一回あったあたしには、また戻ってきてしまいそうで怖かった。
どうすれば——。
するとバスが止まった。
どうやら着いてしまったらしい。
他の乗客はいないため、あたしで確定だ。
扉が開き、そしてアナウンスが。
「到着です」
仕方なくあたしは降りる準備をするが、まだ定まってない勇気に焦りを感じていた。
準備と言ってもすることは麗の手紙を片付けるくらいだ。
白い封筒に入っていた手紙をもう一度出して入れ直すだけの簡単な作業だ。そんなことに数分も使うなんて言語道断だが、まだ心が決まっていないあたしはゆっくりゆっくりと。
——ヒラ。
手紙を出すと同時に、何かが落ちた。
見るとそれは——
「花びら…?」
だが、それはなんなのかすぐに理解した。
「麗…」
最後にお母さんがこっそり渡してくれた花びらだった。
綺麗な赤い花びらをあたしは無くすまいとポケットに入れたのにも関わらず、あたしはどこかで落としてしまったのだ。
それを麗が見つけて入れてくれたのか…。
「——ふぅぅぅ。うん!」
その花びらを握りしめてあたしは席を後にした。
そして、運転手さんの隣に来ると。
「ありがとうございました」
深く頭を下げて数十秒。その間、色々なことが思い出された。それはここで頭を下げる乗客の姿だった。
どう言う気持ちで頭を下げていたか。それがなんとなくあたしにも分かった気がした。
そして頭を上げると、運転手さんはあたしの方を見て微笑んだ。
そして——。
「がんばったね。お疲れ様」
短いが、温かみのある声で言われた言葉で、あたしの背中は誰かに押されたような感覚になり、外に足を踏み出した。
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