第2話

 「…あ、光だ」

 柔らかな陽光が、彼らの小さな家を優しく照らし出す。

 「最近、雪、あまり降らなくなったね」

 「うん…。そうだね」

 家の窓から外を眺めているのは、まだあどけない顔をした少年と少女だ。

 「2人とも、起きるのが早いわね」

 「あ…。母さん」

 2人の背後に、1人の女性が現れた。

 いつもと変わらぬ優しい笑みを浮かべ、2人に朝の挨拶をする。

 「お父さんは?」

 「まだ寝てるわよ。昨日、暗くなった後に、なぜか目が覚めちゃったみたいでね。何でも、突然家の外が明るくなったんだとか」

 「え、そうだったの?ぼくは全然気づかなかったけどな…」

 「わたしも。昨日もぐっすり寝ちゃってたみたいで」

 「ふふ、その方がいいと思うわよ。きっと、近くに雷でも落ちたんでしょう」

 微笑む女性に、「そっか、雷かぁ〜」と言って、少年がテーブルに向かう。

 椅子を引いて我先にと席についた少年に、少女がピシャリと一言。

 「ちょっとお兄ちゃん、1番に座るなら食器運ぶの手伝ってよ」

 「えー、昨日はぼくがやったろー?毎日交代で準備しようって言ったのはそっちじゃないか」

 「わたしはちゃんと料理作って準備したもん!お兄ちゃん料理できないんだから、これぐらい手伝ってよ」

 「こらこら、2人とも喧嘩しない。…全く、昔はもっと仲が良かったのにねぇ…」

 そう言いながらも、女性はどこか幸せそうだ。

 そのにこやかな表情に、子供達はばつが悪そうに顔を逸らした。

 「…おや、みんな早起きだね。ふわぁ〜…」

 「あ、おはよう、お父さん」

 しばらく静かな牽制を続けていると、話の流れを全く知らない男性がリビングに入ってきた。

 「お父さん聞いてよ、お兄ちゃんが全然朝ごはんの準備手伝ってくれないの」

 「いやだから、ぼくは昨日ちゃんと当番通りに準備したんだって」

 「準備って、お皿出して待ってただけじゃない!」

 少女の言葉に少年が言い訳を並べ立てる。しかし、男性はそれを厳しく咎めようとはしなかった。

 どこか呆れたような、でも彼らのことを微笑ましく思っているような――そんな表情で、彼らのことを見つめている。

 「…ふふ。本当に困った子達だね、君達は」

 「でしょ?お兄ちゃんってば、本当に困るんだから!」

 「いや、今の言い方的に、お前も含まれてるんじゃ…」

 少年は、少女の鋭い眼光に気圧され、言いかけた言葉を瞬時に飲み込んだ。

 「2人がいつも一生懸命色んなことやってるのは、僕も良く分かってるよ。でも、こういう時はお互いに協力しないとね」

 「協力って…」

 「昔からそうだっただろう?君達は、兄妹仲良く、いつも支え合ってきたんだ。その心を、忘れてはいけないよ」

 教師のような、まっさらで実直なセリフ。父を前にすると、2人は不思議と、いつも何も言えなくなってしまう。

 「…分かった。これからは、もう少し家のこと、手伝うよ」

 「お兄ちゃん…。うん。わたしも、あんまりお兄ちゃんに、キツく当たらないようにする…」

 「当たらないようにするって…。自覚あったのか!?」

 驚いて仰け反った少年を見て、家族一同は一斉に吹き出した。


 「じゃあ、ちょっと行ってくる」

 「あ、待ってお兄ちゃん!」

 和やかな雰囲気で朝食を終え、あらかた片付けを終えた少年は、玄関で編み上げブーツを履き、外に出る準備をしていた。

 「何だよ、お前もくるのか?」

 「…行っちゃダメなの?」

 「いや、別にいいけど…。お前、普段は寒いの嫌とか言ってついてこないから。どっか行きたいところでもあるのか?」

 「別に、そういうわけじゃないけど…」

 俯く少女が、ポツリと呟く。

 「…ただわたしも、お兄ちゃんみたいに、外のことを知ってみたいって思っただけ」

 「…外のことを?」

 「うん。いつも家の中にいるだけじゃ、ダメだと思うから…」

 的を射ない少女の言葉に、しかし少年は大して気にする素振りを見せることなく頷いた。

 「…だったら、早く行かないとな」

 「え?」

 「実は最近、すごい変なもの見つけてさ。まだ母さん達には言ってないけど、すごい大発見なんだよ。多分、知ってるのはぼくだけ」

 「!ど、どんなの?」

 「それは行ってからの秘密だな〜」

 「ええ、気になるじゃん!」

 「はは、どうせ行くなら、何か楽しみがあった方がいいだろ?」

 悪戯っぽく目配せする兄に、どこか呆れながらも、少女はワクワクを隠せないまま頷いた。

 「よしっ、じゃあ行こう!いざ、ぼくが見つけた、とっておきの秘密基地へ!」

 「お、おー!」

 コートを羽織り、お揃いのブーツを履いた2人は、良く晴れた透明空の下、元気良く歩き出した。


 「…そういえば」

 「ん?」

 「最近、ほんとに雪、降らなくなったよね」

 「あぁ…。まぁ、確かに」

 道中、ふと少女が、ポツリとそんなことを言った。

 「明るい日は多くなったけど…。なんか、こんな天気ばかりだと、変な感じがする」

 「まぁ確かになー。今までは雪が降ってたのが当たり前だったし、今更晴れてもなぁ」

 少年の視線の先には、一面真っ白な大空が広がっている。

 「まぁでも、雪の日って洗濯とか大変そうだし、このぐらいの天気の方がいいんじゃないの?なんか、いつもよりあったかい気もするし」

 「そんなにあったかいかなぁ…。夜の家の中の方があったかい気がする」

 「それは…確かに…」

 言いくるめられてしまった少年が、話題を変えようと少女の少し前に進み出る。

 「そういえば、昔はほとんど外出を許可してもらえなかったよなぁ。いつもいつも、家の前でしか遊んじゃいけなくて」

 「そういえば、そうだったね…。お父さん達の目の届く範囲で遊んでてって、いつも言われてた」

 懐かしい記憶が、2人の脳裏を掠める。

 「あの頃は、お互いまだちっちゃかったよなぁ。ぼくも今より全然力なかったしさ」

 「でもお兄ちゃん、今でもわたしとあまり身長変わらな…ーー」

 「それ以上言ったら泣くよ?」

 頬を赤く染めて目を逸らした兄の姿を見て、「別に馬鹿にしたわけじゃないんだけど…」と、絶対に信じてもらえないであろうフォローを口にする少女。

 「…でも本当に、あの頃から、色々変わったよね。わたし達の成長は、もちろんそうだけど…」

 「…うん。そうだな。この、天気のことも、そうなんだと思う」

 少年が、切なげに空を見上げる。

 「ぼく達、昔からずっと、変わらない生活を続けてきて…。だから何となく、時間が止まってるんじゃないかって思ってた。毎日毎日、同じことをしていれば、それが永遠に続くんじゃないかって」

 「お兄ちゃん…」

 「でも、そんなわけないよな。時間は確かに進んでて。ぼく達はあまり実感ないけど、この天気の変化だって、きっと何か理由があるんだよ」

 「それが、時間…ってこと?」

 「…それは、分からないけど」

 最後で言葉を濁した少年の意見を受け、少女が少しの間考え込む。

 「…でも、確かにそうかも。わたし達は体が大きくなったぐらいで、大して日常が変わったわけじゃないけど…。でも、いつの間にか、外で遊ばなくなったし、ぬいぐるみを抱きしめながら寝ることもなくなった」

 「……」

 「…なんか、怖いね。わたし達は全く自覚がないのに、実はどんどん変わっていってるんだって思うと」

 そう言って、少女はギュッと自分の体を抱くようにして、腕に力を込めた。

 そんな少女の様子を見て、少年がポツポツと言葉を紡いでいく。

 「…いいんじゃないの?別に」

 「え?」

 「確かに、いつの間にか、すごく長い時間が過ぎてるってのは…。怖いかもしれない。だけど、どうせぼく達に出来ることなんて、たかが知れてるんだ。…だから」

 少年は、スッと息を吸うと、力強く言い切った。

 「…今が楽しければ、それでいいよ。先のこと考えて、今の楽しいこと、見失いたくないから」

 「お兄ちゃん…」

 「未来…?とか、将来っていうのは…。その、今焦って考えることじゃ、ないんじゃないかって…。あぁー、なんか上手く言葉にできない」

 唸りながら頭を掻く少年を見つめ、少女は優しく微笑んだ。

 「…大丈夫だよ。お兄ちゃんの言葉、ちゃんと伝わったから」

 「…ほんとか?」

 「うん。やっぱりお兄ちゃんは、わたしが困ってる時、いつも助けてくれる。…そういうところ、ちょっとだけかっこいいと思うよ」

 「!…何だ、ちょっとだけか」

 「もう、こういう時は素直に“ありがとう“って言ってくれるだけでいいのに!」

 ムッとしつつも前言を取り消そうとしない少女の優しさに、少年は顔を赤く染めながらズンズンと足を前に進めた。

 「え、ちょっ、お兄ちゃん、急に速い…」

 「こら、早くしないと置いてくぞ!」

 「ちょ、ちょっと待ってよお兄ちゃん!」

 突然歩調を速めた兄の背中を追いかけながら、少女はクスリと小さく笑った。


 「…よしっ、着いたぞ。ここが、ぼくの秘密基地だ!」

 「ここが…?」

 しばらく歩くと、突然少年が足を止めた。

 一見、何も見当たらない雪原だ。違和感を覚えた少女が、早速少年に問いかける。

 「お兄ちゃん、これってどういうこと?周り、何もないけど…」

 「そんなことないだろ?ほらそこ。ぼくが来た証拠に、お菓子のゴミが残っている!」

 ドヤ顔を披露する少年の指差す先には、なるほど確かに、少年が前回足を運んだ時に残したのであろうお菓子の残骸が転がっていた。

 「ちょっとお兄ちゃん、こんなところでも食べカス落としてたの?汚い…」

 「ひ、ひどくない!?いくら何でもその言い方はひどくない!?」

 妹の辛辣な言葉に、少年は必死の形相でフォローを求める。

 しかし、少女はそれに応えることなく、すぐに話題を変えた。

 「…それで、ここのどこが“秘密基地“なの?ただ雪があるようにしか見えないけど…何か理由があるんでしょ?」

 「そりゃあもちろん!ほら、ちょっとこっちに来てよ」

 そう言って、少年が少女の手を引く。

 「…こうやって手を繋ぐの、なんか久しぶりな感じがする」

 「…嫌だった?」

 「…別にいいよ」

 気遣わしげな少年の言葉に、少女が無表情で頷く。

 少年はホッとしたような表情を浮かべ、そのまま何歩か歩くと、手を目の前にかざし始めた。

 「えぇっと、確かこの辺…」

 「お兄ちゃん、何してるの?そんな変な動きして…」

 「やってみれば分かるって。…あ、あった」

 少年が、グッ、と目の前に力を込めて手をかざす。

 「…?お兄ちゃん、本当に何やって…」

 「いいから、同じようにやってみてよ。絶対驚くから!」

 「…分かった。…こう?」

 少年と同じようにして、少女が目の前に手をかざす。すると、

 ーートン。

 「え…?」

 彼女の手が、固い何かに触れた。

 「これ…って…」

 「な、面白いだろ!?」

 絶句する少女を見つめ、少年が嬉しそうに説明を始める。

 「この間、この辺を散歩してたら見つけたんだ。穴を見つけようと思って歩き回ってみたんだけど、全然見つからなかったなぁ」

 「これ…何なんだろ。壁…なのかな」

 そう言って、少女が目の前の何もない空間を撫ぜる。

 確かにそこには何かがあるのに、それを目で認識することはできないのだ。

 「なんか…気持ち悪いね。“見えないのに触れる“、なんて…」

 「そうか?ぼくは面白いと思うけどな。自分達の知らないことが、この世界にはまだまだあるんだなって思えたし」

 「んー…。そういうものなのかな」

 首を捻る少女に、少年はくるりと体の向きを変えると、ケロッとした顔で言った。

 「…よしっ、目的は果たせた。今日はもう帰ろう!」

 「…えっ、もう帰るの」

 「?不満か?」

 「いや、そういうわけじゃないけど…」

 あまりにもあっさりした帰宅宣言に、少女は戸惑いながらも頷くしかない。

 気になることは多かったが、少女達にここで出来ることは何もないのだ。遊び道具も特に持ってきていないため、やるとしたら積もっている雪を掻き集めることくらいしかない。

 ーー大人しく回れ右して雪原を歩いていると、少年がポツリと呟いた。

 「あの壁の先…どうなってるんだろうなぁ」

 「…さぁ…」

 「知りたいとは思わないか?あの壁の先に何があるのか。なんかロマンあるし、考えるだけですごいワクワクする」

 「ん…。確かに、少し興味はあるけど…」

 少女の頭に過ぎったのは、未知の世界に対する好奇心というより、得体の知れないものに対する恐怖だった。

 「…このこと、お母さん達には、話したことあるの」

 「いいや、ないよ。言ったって信じてもらえるか分からないし、冗談だって笑われるだけだと思ったから」

 「そっ…か…」

 俯いた少女が、少年に問いかける。

 「…このこと、お母さん達に言おうよ。なんか、お父さん達に、ちゃんと言わなきゃいけないような気がする…」

 「えぇ?何でだよ。ぼく達がせっかく見つけた秘密基地を、2人に教えちゃうってこと?そんなのつまらないじゃんか」

 「それは、そうかもしれないけど…」

 何となく、両親に話しておいた方がいいような気がした。

 そんな曖昧な根拠じゃ、きっと兄は動こうとしないだろう。

 本能的に抱いた感情を胸の奥にしまい、少女が再び問いかける。

 「…じゃあ、このことは、2人だけの秘密にしておく、ってこと?」

 「そうそう、そういうこと。その方が、なんか特別な感じがしていいだろ?」

 そう言って、少年が小指を少女の方に差し出した。

 「…これって…」

 「え、こういう時って、指切りして約束するもんなんじゃないの?」

 「…昔は確かに、そういうこともやったけど…」

 お互いに成長した今、指を絡ませて約束を結ぶのは、何となく気恥ずかしい。

 しかし、少年はそんなこと露ほども気にしていないのか、「早くやろうぜー」と言って指を突き出してくる。

 「…分かった。2人だけの秘密、だもんね」

 「そう。大事な秘密」

 2人の小指が絡み合い、優しい声色で歌が紡がれる。

 ーー先程まで晴れ渡っていた空から、またいつの間にか、粉雪がチラチラと舞い始めていた。

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