決断の対処法とコツ
岩魔神を倒した、その日の夜。
私は風呂場で一人、上機嫌に歌っていた。
「らららー、ららららー、らー♪」
ファンタジア・フロムアビスのメインテーマだ。
当然だが、この世界には存在しない音楽。
そして我ながら、なかなか良い声だと思う。
転生前は全然カラオケへ行かなかったのだが、なるほど。
世の美声男女がカラオケ好きな理由、それを理解した気がする。
ただ一つ、惜しむならば。
「このケガが無ければなぁ」
お湯のなかで、拳を閉じたり開いたりする。
じりじり痛む手の平に、思わず顔をしかめた。
「ま、成長のためだと思っとこう」
今後もこういうことが増えるだろう。
今のうちに慣れようと意気込み、浴槽から立ち上がる。
部屋へ戻ると、珍しくシエル様が椅子に座っていた。
「あれ、シエル様? お疲れ様です」
「そう畏まらないで。疲れてるのは貴女でしょう」
私から視線を背け、読書に戻るシエル様。
すぐ横に一匹、狼の魔物がお座りの状態で待機している。
敵意は感じない。
「……ええっと、何かご用があれば申し付けください。服の修繕をするので」
「ええ」
私は裁縫道具を取り出し、持っていたメイド服と共に暖炉の前へ座る。
そんな私を、シエル様が横目で見守った。
岩魔神を倒した後、戦利品の一部は鍛冶屋に回した。
私の武器を作るためだ。
それでもボルトゴールドが余ったため、シエル様の商人を探して買い取ってもらった。
勇者と半分で分けても、節約無しで三日は暮らせるくらいの金額だ。
『ルナ殿が、この量のボルトゴールドを!?』
と驚かれた時は、それはもう優越感に満たされた。
思わずドヤ顔で胸を張ってしまったものだ。
「ハルカナ」
名前を呼ばれ、我に返る。
服の修繕はほぼ終わり、いつの間にかシエル様がそれを隣で見ていた。
それを認識した途端、香水に似た香りが鼻をくすぐる。
「シエル様! どうかされしたか?」
「それ、終わったみたいだから。ちょっと両手を貸して」
言われた通りに手を出すと、それぞれの手をシエル様が優しく握る。
「地脈よ__」
それから、ほんのり手が熱くなる。
シエル様の祈祷だ。
「し、シエル様! この程度でお力を使われるのは」
「小さな擦り傷でも、放置すれば取り替えしのつかないことになるわ」
潰れたマメで汚れていた手の傷が、この短時間で癒える。
それだけではない。
身体の芯が熱い。
浄化の炎に焼かれるような、心地よくもチリチリとした感覚。
まったく、シエル様はどこまでお人好しなのだろう。
そういうところが好きなのだが。
「あ、ありがとうございます。感謝します」
「別に、私が気になっただけだから」
そっけなく返し、シエル様はまた椅子へ戻る。
こういうギャップも、私が好きなところの一つだ。
次に会話が発生したのは、私が机を拭いている時だった。
「ねえ、ハルカナ。そのままで聞いて」
掃除を止めてシエル様へ向き直ろうとするが、その前に制止を受ける。
「貴女はどうして、そこまで努力できるの?」
「シエル様をお守りするためです」
今さら何故こんな質問をするのだろう。
そんな疑問は口にせず、すぐ返答する。
「私、大した人間じゃないわ。何のために私を守るの」
「シエル様は、幼い頃から私を育ててくださいました。恩を返さないと気が済みません」
「私はただ、貴女を拾っただけよ。育てたのはお城の人達」
「シエル様に仕えるようにと、私は育てられたんです」
実際、城の中にいる間は特訓の毎日だった。
将来シエル様に従事するメイドの一人となれ、なんて教育を受けていたのを思い出す。
幸い、転生前は社会人だったこともあり飲み込みは早かった。
歯車の一つになるのは得意だ。
「それに、今日は勇者様と稽古だったんでしょう? 貴女を気にかけてくれる人は、私以外に沢山いるわ」
「別に、勇者様のために強くなる訳じゃありませんよ」
机拭きを終え、白百合を活けた花瓶を飾る。
青銀色の髪を持つシエル様と、いいアクセントになる色だ。
「そうでなくとも、貴女の力は……いいえ。貴女は、私以外に仕えたほうがいい」
「そんなことは」
「聞いて」
すぐ否定しようとするが、シエル様にそっと制止される。
「貴女は優しい心の持ち主よ。私の商人を助け、見ず知らずの人を助け、もっと多くの人を助けるために強くなろうとしている」
「あはは、ただ予言に従って動いただけです。それに、褒められたくてやってる訳じゃありません」
可憐なシエル様に褒めてもらえるなら、やる気は倍増するけど。
「それで私、考えたの。もし貴女が私に仕えていなければ……例えば、勇者様の元にいたらって」
「行きません」
「聞きなさい。勇者様と一緒にいれば、人助けの機会が沢山回ってくる。実力も身に付くし、色んな人から慕われるはずよ」
思わず、眉間に力が入った。
シエル様が私に対し、何か勘違いしているように思える。
「私、聖人君子になりたい訳じゃありません」
「少なくとも、私と居るよりは……安全で、成長できる、充実した生活が送れると思うわ」
「私は」
「『シエル様のために』でしょ。でも、貴女が私に仕えるメリットって何?」
「それは、私がシエル様のことを__」
いざ具体的に聞かれると、言葉に詰まる。
それから、何も言えない自分に驚いた。
勇者に仕えるメリットは、私のレベルアップ。
城や街の人に仕えるメリットは、安定と充実した生活。
シエル様に仕えるのは、私がシエル様のことを好きだから。
本当にそれだけ? メリットは?
シエル様から貰ったペンダント……きっと勇者も、似たような物をくれる。
シエル様特製ポーション……廉価版だろうけど、街の各所に売店があったはず。
感情で動くのは悪くないことだ。それでも__
「貴女は感情以外で、私に仕える理由がない」
痛いところを突かれ、息を呑む。
シエル様の元で、打算を働かせたことは無い。
理由の無い従事こそ、忠誠の表れだと思っていたけれど。
「理由を答えられないメイドほど、不安定なものは無いわ」
身体の芯を揺さぶられた感覚がして、その場で身震いする。
シエル様に仕えたいのは変わらない。
でも、その理由は?
私がこの人を好きだから。それ以外で、見つからない。
私が黙っていると、パタンと本を閉じる音が部屋に響く。
「分かってくれたみたいね。 それじゃあ、ここから本題」
シエル様と目が合う。心の内を見透かされている気がして__別に、見透かされても困らないけど__冷や汗が吹き出る。
シエル様から、私への命令は。
「この先、どんな危ないことにも手を出さないこと。それを約束してくれるなら、私が貴方を飼い続けてあげる」
「……えっ」
「無条件に追放されると思ったの?」
実際そう思っていたが、失礼なので言わない。
それを見て、シエル様は鼻から深く息を吐く。
「貴女は、私のために体を張るみたいだから。それを止めてくれるなら、許すわ」
あまりにも、甘すぎる条件。
メイドとして、戦闘には首を突っ込まず、シエル様の世話をすること。
確かに私の欲望だけを尊重するなら、これ以上の厚遇は無い。
でも、それだけじゃ未来は変えられない。
「分かってる。貴女は『予言』に逆らうために、戦っているのよね」
以前、私は攻略Wikiの存在を『予言』と称してシエル様に説明した。
だからシエル様も、私の目的自体は知っている。
「でも私、貴女に傷付いてほしくない。貴女がそうなるくらいなら、私は一人で、その運命とやらに立ち向かうわ」
座っていた狼の魔物が立ち上がり、私の元へ寄る。
慰めているのか、それとも。
「私がいなければ、貴女は命を無駄にすることもない。貴女は、私に仕える理由がない。関係を切るのも、選択の一つだと思うの」
現実主義者の目が、私をじっと捉える。
「貴方は……強くて優しくて、私には勿体ない子だから」
緊張した空気が、部屋の中にピンと張る。
しばらくの沈黙。
ふと、シエル様が口を開いた。
「今すぐ決めろとは言わない。明日、答えを聞くわ」
「……分かりました」
声が震えていないか心配だったが、私の喉はいつも通り言葉を届けた。
「覚えておいて。私は貴女のこと、けっこう好きよ。だからこそ、私の元には居てほしくない。傷付いてほしくないの」
「……意地悪ですよ、それは」
「そうかもね」
私の愚痴に対して、シエル様は叱りつけない。
そんな優しさに苦しめられることになるとは思っておらず、歯を食い縛る。
「少し、外の空気を吸ってきます」
言い残して、私は部屋を出る。
幸い、狼が道を塞ぐようなことはしなかった。
或いは、シエル様が狼の動きを制御しているのだろうか。
既に日は落ち、暗くなった玄関前を歩く。
「私がもっと強かったらなぁ」
それこそ勇者に転生していたら、もっと直接的にシエル様を助けられたはずだ。
或いは、シエル様に心配をかけなかったかも。
「弱いって、罪だ」
自虐を口にして、薪割りに使っている切り株の上に座った。
決断は明日。
私は、どうするのが正解なのだろうか。
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