第2話 ブレーキ音は鳴らないまま何処までも

 元値の分からないバイクを十万で売却し、直人の残したタバコをポケットに入れて一月ひとつき過ごした家とお別れする。


 万愚節はオレが榮ビルに住んでいたのを知って驚いていたが、こればかりはお互い様だったので特に説明もせずにドヤ顔をお見舞いした。


 万愚節が用意した車には前後に同じ車種の護衛車が付き、検問を呆気なく顔パスで通り過ぎる。


 榮家に近しい権力者への扱いに、彼女に抱いていた違和感が露見していった。


 金網を越えてわだちで示された道を突き進む。


 背の低い草が風に触れ、カサカサと乾いた音を立てる。


 窓の外に腕を垂らすと、草の間をすり抜ける風が肌を撫で、陽射しの暑さを和らげる。空気に湿り気はほとんどなく、土の匂いに混じる無機質な香りが、この場所の静寂を際立たせていた。


「——海までどのくらいあるんだ?」


「このまま東北東に進んで六百キロくらいかな」


「そんなに?」


「だから急いで荷物をまとめてもらったの。早く行かないとなにもしないで旅行が終わっちゃうじゃない」


 確かにそうだな。車買ったり色々準備していたらあっという間に出ていくことになる。


 折角なら海でしか出来ないことをちゃんとやっておきたい。


「今更なんだが、希望ヶ丘って観光施設なのか?」


「海岸の名称で観光名所だよ。都市外だから気軽に行けるような場所ではないけれど、吹吐都市ブロートシって呼ばれるくらいには凄いところ」


「移都市と比べてどっちが大きいんだ」


「流石にそこと比べられると勝てないけど、B《ブロウ》・P《パファー》ごうっていう航行する水上都市があるの。名前の由来はその船が吹吐魚ふぐをモチーフにして作られたから」 


刺身てっさが食べたくなるな」


 のどかな会話を続けていると、ついついお腹が減ってくる。珈琲以外もちゃんと頼んでおけば良かった。


 特に話すことがなくなるとオレは窓の外をじっと眺める。自然に囲まれた場所に出たのは二度目だが、やっぱりオレは都会よりこの空気が好きだ。


 風に浸っていると、突然P《ピー》P《ピー》と音が鳴り、運転席にある無線機のランプが赤く点滅した。


『——害鳥を視認。大影です』


 運転手が素早くそれを手に取ると、そんな声が聞こえた。


 オレは鳥と聞いて進行方向の上空を覗く。その瞬間から周囲が一変して真っ暗になった。


 森も、草も、この先の道でさえ、照らされていたものが暗く反転した。


 日の光を探して見上げるも、そこには黒いものが全てを覆うように滑空していた。


 暗闇より黒いそれは通り雨のようにこの場所を真夜中へと変化させ、一寸先は朝という不思議な光景を作り出している。


 やがて影は後方へ過ぎ去ると、再び日の光が地上を照らした。


 オレは黒くて形すらわからなかったナニカの向かった先をずっと眺めていた。


「……」


 なんの遜色のない景色に戻ると、大人しく腰を据える。


 万愚節はそんな童心に還っていたオレを冷たい目で見つめていた。


「……体調悪いのか?」


「別に、疲れただけ」


 万愚節はムスッとした態度で答えた。


「なんで怒ってんだよ」


「私と話しているより、あれが通り過ぎているときの方が楽しそうだったから」


「でも、生き物好きなら当然のサガじゃないか」


「スリルで快感は感じないよ。マゾじゃないんだから」


 急にどうしたんだよ……冷たすぎない?


 訳もわからず呆れていると、万愚節は更にギリッとした視線で睨みつけてきた。


「野良は外で生きていこうって考えている割に危機感がなさ過ぎる。このままだと調査員になって三日と経たずに死んじゃうよ」


「態度に出にくいだけで、ちゃんと考えてる」


 万愚節は「へー」と心の籠っていない反応をする。


「なんだよ……」


「わからず屋になにを言っても理解されないって学習した」


 最近気づいたのだが、自分の周りにはツンデレが多い気がする。気持ちを察しってくれって奴ばかりだ。


「なんでそこまで構うんだよ」


「別に構っているつもりはないよ。ただ、前にも話したけど知り合いが都市の外に出て死ぬのが嫌なの」


「それを構っているっていうんじゃないのか? それに外で活動している人は別に少なくないだろ」


 万愚節はふいっと窓の外に視線をやる。


「放って置けないでしょ。あんた外に出たらコロッと死んじゃいそうだし。外で暮らしていくにしても収入とかどうするの。サバイバル生活で暮らしていけるほど世界が甘くないってわかってる?」


「調査員になるつもりだ」


「無理だよ。大した動機もコネもない状態でやれるほど甘くない」


「それでも、オレはやると決めたし変わらないよ」


 はっきりと答えると、万愚節は溜息を吐いて凄く嫌そうな顔をする。


「じゃあ着いてからサプライズのつもりだったんだけど。本当のことを話すよ」


 サプライズ? 


「なにを……」


 不安に思うのも束の間、幸叶は真っ直ぐとこちらを見つめる。


「——志楽浩也。それが私の叔父の名前だよ」


「……は?」


 彼女はオレの従姉弟いとこだと言った……。


「ついでに言うなら、私の本名は四月一日幸叶。叔父と父親パパは元々同じ調査員の仲間メンバーだったらしいの」


「……四月一日蜻蛉の娘?」


 そう尋ねると、幸叶は猫のような瞳を大きく開いた。


「父さんのこと知ってたんだ……」


「親父の仲間の人が教えてくれたよ」


「ずっと騙してたんだし幻滅した?」


「別に。でもまぁ、もっと早く話してくれても良かったんじゃないかとは思ってる」


「確信できたのは割と最近のことだから。それに祖父母に合わせたタイミングで話したかったの」


 そう言うことか……これなら博物館でのあの態度も納得できる。


 調査員が原因で父親と会えないのなら、オレの親父が撮ったであろう写真を憎んでいても不思議じゃない。


「お前にとってオレはなんだ?」


「血縁者……家族かな」


「嬉しいような、残念なような感じだ」


 少なくとも異性として見られていなかったわけだ。


「私を捨てて出ていくつもりだったのに残念だったんだ」


「いや、そう言うことじゃなくてだな……」


 上手く伝えられる言葉を見つけられず噤んでしまう。


 幸叶は嬉しそうに口元を緩ませて肩にもたれ掛かってくる。


「サイテー。人を散々弄んどいて、本命が見つかればすぐポイしちゃうんだね」


「弄んでないだろ。なんならずっとオレが弄ばれてるよ」


 そう言い返すと、彼女は唇を尖らせる。


「じゃあ夢を諦めて、私とずっと一緒に居てくれるなら付き合ってもいいよ」


「……マジで?」


 オレは嬉しいと思いながらも冗談だろうと思って聞き返した。


 ルームミラー越しに専属運転手が睨みつけてくる。幸叶は少し悲しそうな顔で「うそ」と言って笑った。


 やっぱり、オレの方が弄ばれてるじゃんか。


「なんというか、従姉弟いとこって割にオレたち似てないよな」


「生物好きってところは同じでしょ」


「でも、好きのレベルが違う」


 幸叶はムッとした表情をする。


「それは知らないからだよ。世の中の一片を理解してなんとなく全てを知った気になっているだけ」


「全てを知ってる奴はいないだろ。だから外に出ようとしているわけだし」


「ここで得られるものを知ろうとせずに遠くのものを狙ってなんの意味があるの。はっきり言って私の方がちゃんと世界を見すえてるよ」


「そんなに言うなら、この旅行中にオレが知らない世の中のことを教えてよ。それで変わるかどうかで思いの強さを測ればいい」


 オレは世界のことをもっと知りたい。幸叶はオレに世界のことを教えたい。これならお互いにウィンウィンで文句じゃないか。


「だったら、一つ条件を追加させて。私のことも話すから野良のこれまでの全てを教えてよ。じゃないと君が知らないことを伝えられない」


「それは話せないって」


「野良が榮直人と結託してこの都市の崩壊を招いたってバラすよ」


「え……」


 なんで、知っているんだ……。


 驚くオレに幸叶はニヤリと笑う。


「私を舐めないでね。四月一日家はこれでも榮家の次に力を持った一族なんだから」


 オレは溜息を吐く。どのみち君の言う通りにしないといけないじゃないか。


「犯人が直人だって知ってるならオレが外に出なきゃいけない理由だってわかるだろ」


「いや、わからない。野良が起こした事件じゃないんだから出ていく必要なんてない」


「そうだけど直人は囚われの街に住む親父や街の住人が危険な目に遭わないようにしたんだ」


「だから?」


 幸叶は直人の行動をどうでもいいと言うような冷たい口調で言った。


「オレは半分人間じゃないんだ。志楽浩也の子供で、半分が要塞都市が製造したクーロンの子供なんだ。だからきっと都市に存在を知られたらオレは都市に住めない」


 運転手の男は驚いた表情でルームミラー越しにこちらを見ていて、幸叶は表情一つ変えずに咎めるような視線を向けていた。


「それで?」


「母親がクローンで、人間にはないはずの細胞小器官があって、その細胞小器官には成人した子供が離れようとすると無理矢理にも手元に留めておきたいっていう欲求を強くさせるらしい」


「……言いたいことがわからないんだけど。そんなもの直人が行動を起こた理由であって野良には関係のない話じゃない。調査員になる必要なんてない。都市で暮らせないなら都市の外で暮らせばいいだけの話でしょ。移都市ほど豊かで発達した場所じゃなくとも生きていくことはできる。そうやって、人生を他人に誘導させられながら生きていくつもり?」


 幸叶は苛立ちを爆発させるように言った。


 なぜ、そこまで調査員になろうとすることを拒絶するのかわからない。


 心配してくれているのは知っている。不確定な理由で死地に向かうのだとしたら不純に感じるし、理解されないのも仕方ないとは思う。


 でも、生き物が好きなだけじゃ動機として不十分なのか。


 オレが世の中のことを理解していないからダメなのか。


 君にとって、どうすれば納得するのか……円満に別れられるのかわからない。


 そう思いながら、オレは身の内に起きたことを全て話した。


 無意味かも知れないと感じつつも、今まで感じてきた思いの丈を全て吐き出していた。


 幸叶は真っ直ぐこちらを見つめて真剣に聞いてくれている。


「……だから、オレにとって調査員が恵まれているように思えたんだ。自由で、不順で、好きなものだけで生きていたいと思っている。元々が貧乏だったせいか、オレは恵まれた人間になりたいとずっと思ってきた」


「恵まれてる……」


 幸叶は再び納得いかないって表情で顔を顰める。


 昔、外周に住んでいたオレは内側に住んでいる奴を羨ましいと思った。内側に住めるようになると、今度は塔の天辺にいるとされた奴らに憧れを抱いた。


 直人みたいになりたいと思ったのは、そう言う人間性が原因だ。


「平行線だね。私は君に調査員なんて夢は捨てるべきだと思ってる」


「頑固なところはすごく似てるな」


「そうだね。私、ずっと気の合う兄弟が欲しかった」


「オレは胸のデカい姉が欲しかった」


「ぶっ飛ばすよ」


 幸叶は自身の胸に手を当てて睨んだ。


「平行せ、ぐはっ……」


 平行線ぺったんこと掛けた台詞セリフを言う前に腹に一発入られた。


 …………。


 ……。


「——ねぇ知ってる? 海の水ってミネラルを含んでいるから沢山飲むと健康にいいんだよ」


「まだ怒ってるの?」


 流石に海水が塩水なのは知っていた。


 あれから数時間ほど経ったが、未だに幸叶は膨れっ面で窓際に頬杖をついている。


 オレは盲目的な行動をやめられない。実際海水がどんな味なのかは気になるし、飲むと言って溜飲を下げてやるべきだったかも知れない。


「……ねぇ、私って親が——うわっと」


 急ブレーキが掛かり、車体が大きく揺れてオレたちは前方に身を乗り出した。


 運転手の男はすぐに無線機を取り出し、前を走る車に応答を求める。


『——前方五十メートル先に障害物を発見。これから車を降りて確認してきます』


 前後の護衛車から武装した人が一人ずつ降りる。


 オレも一緒に出ようとしたが幸叶に袖口を掴まれた。


 渋々窓を開けて双眼鏡で様子を窺うだけにすると、先方に紫色の大きな物体が複数横たわっているのが見えた。


 紫色の物体は羽毛のようで、あとで戻ってきた護衛の話によると鳥類の死骸らしい。


 袖を掴んでいた幸叶の腕は震えていた。


 怖いのだ。


 一緒に海に行こうと言っていた彼女は震えていた。


 オレは窓際から離れて、座席の真ん中にそっと座る。


 すると、幸叶は胸に寄りかかるように抱きついてきた。


「……父さんはもう五年も帰ってきていない」


 彼女は腕に顔を埋めて小さく呟いた。


「そうなのか」


 気の利いたことを言えない自分に嫌気を感じながら、オレは彼女の頭に手を回す。


「どこかでのたれ死んでいるかもしれないし。案外普通に生きているかもしれない。でも毎朝、行方不明者の数が報じられるたびに不安な気持ちにさせられる。——野良が羨ましいよ。身勝手で、盲目的で、妄想的で、衝動的に生きて。置いて行かれた側の気持ちも少しは考えてよ」


 考えている。


 でも、二十二年間の全てを置いてきてしまったオレには、今更誰かに寄り添うことなんて許されない。どちらかと言えば、彼女の父親に感情移入してしまいたかった。


「いとこなのに、オレたちは本当に似てないよな」


「そうだね。きっと私は母親似だったんだと思う」


「オレは父親似だな」


 どっちも志楽家の血筋だ。


 オレに今従姉弟いとこといたことを親父に話してみたい。


「——もうすぐ、着きます」


 進行を再開して運転手はそう言った。死体があっただけでなんの問題もなかったようだ。


「あれが……海か」


 目の前に広がるのは赤い夕暮れの世界。


 幸叶と共に窓から顔を出して塩っ気の感じる風を浴びる。


 初めて海というものを目の当たりにした。


 尽きることのない波音が不思議と全身を包み込むように響く。


 白く泡立つ波が青い空との違いを際立たせ、その広大さに過去の自分がどれほど小さな世界に囚われていたかを痛感する。


 海を見て喜んでいるオレを、幸叶は少し寂しそうに見ていた。

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