第1話 ブレーキ音は鳴らないまま何処までも

 直人と未來はあれから姿を消してしまった。


 未だに友人以上の関係だと思っているが、今は彼をなんと評して呼べば良いのか分からない。壱真を通してでしか現状を知る術がないのは、やっぱり関係性に過大な評価をつけていた。


 気持ちを切り替えようと部屋全てのカーテンを開け放ち、少しでも多く日の光を取り入れる。


 すると、直人の部屋のゴミ箱にまだ中身の残った煙草の箱を発見した。


 オレはキッチンにあるチャッカマンでそのうちの一本に火をつける。


「う……ごほっ、ごは、うぉぇ!」


 吸い方もわからないまま、咥えてそっと息を吸い込んだ。


 焦げたパンのような食感が口一杯に広がり、つい鼻呼吸をすると奥の方がツーンと痛む。ほんの少し吸い込んだだけなのに肺が燃えるような息苦しさと圧迫感に襲われた。


 なにかに依存すれば楽になれると思っていたが、そう簡単なものではなかった。


 火を消さずに灰皿の上に放置して副流煙を撒き散らす。直人から普段漂ってきた香りで不快感はない。あらためて、本当にいなくなったんだと実感した。


 ソファーに腰掛け、ぼんやりと天井を眺めていると、突然チャイムが鳴る。


 相手が誰なのか察しながらも、覗き窓を確認して扉を開ける。


「——やさぐれてるなぁー」


 壱真は顔を合わせるなり、馬鹿にするように口端を上げた。


「直人はどうなったんだ?」


「その前にお茶を出すべきじゃないかな? 犯人蔵匿者」


 揚々とした態度で足を踏み入れた壱真は神妙な面持ちで鼻をひくつかせ、「……なんか臭いな。お前タバコ吸うのか?」と軽蔑に近い視線を向けてきた。


「直人の残りになんとなく火をつけたんだ」


「情けない奴だと思っていたがそこまでとはな」


「いいから早く要件を言えよ」


 オレは思わず睨みつけると、壱真はやれやれと左右に首を振る。


「結論から言うと、直人の捜索は断念することになった。もう、外に出ちまったって考えだ」


「そうか……」


 都市の重要インフラが停止して一週間。通信基地局や一部の発電所は僅かに復旧しているらしいが、完全に戻すのには早くても二ヶ月先のことらしい。


 誰も彼を許しやしないのだろう。直人が容疑者だと報じられたことはないが、それでも重い業を背負ってしまった。


「……言っておくが、悲観的になっている暇はないからな。お前は早々に都市から出ていけ」


「なんでだよ」


「都市を復旧させたら親父は囚われの街の調査を始めるつもりだ。お前の存在もいずれバレる」


「……知っていたのか?」


 それはアンタが上に話すべきことだろ。


「散々巻き込まれたからな。そもそも、一号ぼくは人間らしい感情を優先して作られている。仕草や態度で人の心が読めるし、感情移入し易い設定プログラムなんだよ」


「その割には性格と態度が合ってなくないか?」


「五月蝿い。こっちは十番目と違って失敗作扱いなんだ。だから、親父似た奴にさえ少しくらい兄ぽいことをしたくなっちまうんだ」


「そうなのか……ありがとな。助かるよ」


「直人なんかより俺の方が大人だからな」


「かもな。友達にはなりたくないが直人の次くらいに尊敬しとく」


 先ほどのお返しと言わんばかりに嫌味を返すと、壱真は不愉快そうに鼻を鳴らしてそっぽを向く。


「……じゃあな、いつか後悔しやがれ」


 結局彼は一度も靴を脱ぐことなく玄関から去っていった。


 オレは一瞬寂しそうに見えたその背中を見送って温泉川に電話をかける。


『——おかけになった電話は電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないためかかりません』


 電波は復旧している筈なのに、これで十回目の着信拒否が流れた。


 すでに都市の外に出てしまったのか、もうオレと会うことはないのかもしれない。


 仕方なく気持ちを切り替えてネットで調べた情報を元に旅立つ準備を始める。問題を起こした友人のおかげで時間だけは十分にあった。


 こうして都市を発つ準備を進めていくと万愚節のことを思い浮かべる。まだ別れの挨拶なんて出来ていない。夜鶴のときみたいなハッキリとしないのはもう嫌だった。


『——話があるんだけど。どこかで会えないか?』


 短いメールを送ると、すぐに通知が鳴る。


『いつでもいいよ。ついでに海にでも行く?』


『その話もするつもりだ。いつもの駅前で明日会えるか?』


『わかった。楽しみにしとく』


 メール越しでお別れを伝えられれば楽だったのに、と送ったあとで気づいた。






「——すみません。アイスコーヒーを一つ下さい」


 オレは喫茶店で一旦気持ちを落ち着かせようと温かいコーヒーを頼む。


「じゃあ私はサンドイッチとホワイトシチュー。あと、海鮮グラタンとこの生クリームの乗ったプリンを一つ」


 飲み物を頼むと、万愚節は本格的な朝食を注文した。


 手短に要件を伝えて帰るつもりだったのになんだか動き辛い。


 視線を落とし、掌を握り締める。


「——あ、あのさ……」


 遠回しな言い方になったがオレは意を決して別れ話を伝えた。


 彼女は少し残念そうに離れてくれるだろうと、その程度の関係だと考えていた。


「じゃあ、海に行こうよ!」


 でも、万愚節は普段と変わらない態度でそう答えた。


「いやだから、ここを出るんだって。理由は言えないけど、約束は守れないんだ」


 訴えかけるオレを他所に、万愚節は運ばれてきたサンドイッチをもぐもぐと頬張る。


「でも、時間に余裕はあるんでしょ? だったら一週間くらい私と遊ぼうよ」


「いや、出来るだけ早くここを出るつもりだからさ」


「海は都市外にあるんだよ。尚更ついでみたいなものじゃん」


「そうかもしれないけど、初めてのことばかりで不安なんだよ。ここの住人じゃないから検問の手続きとか面倒だし。一度出たら戻れなくなるかも知れない」


「だったら教えてあげるよ。これでも昔は調査員に憧れていたから詳しいよ」


 でもなぁ……慎重に行動しないと身バレする可能性もあるしな。


 黙り込むオレに、万愚節は少しムッとした顔をする。


「詳しい理由は知らないけどさ。急いで都市から出て行きたいんでしょ? 都市の中で悩んでいても仕方ないし、なんなら都内で揃えるより外の方が暮らしていくための道具が充実してるんだよ」


「そうなの?」


「海っていっても希望ヶ丘っていう海岸のことだからね。調査員の殆どがそこで物資を変え揃えたりしてる。移都市は色々と規則が厳しいからさ」


「……わかったよ。一緒に海に行こう」


 これで最後だしな。


「よし、じゃあ行こうか」


「今から向かうのか?」


 いつの間にかテーブルの上の食器は空になっていた。手品かよ。


「急がないとダメなんでしょ。持っていく荷物ってなにかあるの?」


「自宅にバイクがある。あと日用品はキャリケースに入れてきた」


「バイクは外でも使うの?」


「移動手段がそれしかないからね」


「中古車だったら海の街にあるよ。燃費悪いし車に買い替えたら?」


「そうしようかな」


 囚われの街から移都市に来るまでに携帯食糧は五日で無くなった。そう考えると、もう少し積載量は欲しいところだ。


「まぁ取り敢えず行こうか」


 万愚節はオレの腕を引っ張って急かした。


 会計を見ると、珈琲一杯しか頼んでいない筈なのに三千円を超えていていた。


 店を出て彼女に誘導されるがまま駐車場を歩かされる。


「え、なに?」


 オレは黒服スーツを着たサングラスの男によって車に押し込められた。


「——では、出発進行!」


 元気のいい合図に、黒服スーツの男は無言で車のエンジンを掛ける。


 専属運転手プライベートドライバーがいるのを見て、オレは万愚節がお金持ちだったことに唖然とした。


 お前、今までなんの為に奢ってもらってたんだ……。

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