第3話 ——人生は君が思っているより単純だ

 家に帰ると当然ながら直人の姿はなかった。彼の使っていた衣類品はすべて跡形もなく消えている。


 もともとミニマリストに近い生活をしていたからか、いとも容易く痕跡を消せていた。


「——なんだこの冷蔵庫、大きい割に中がすっからかんじゃんか。普段なに食ってたんだ?」


 勝手に上がり込んだ壱真は人様の冷蔵庫を開けて、ぶつくさと文句を言いながら牛乳をラッパ飲みする。


「なんで当然のようにお前がいるんだよ」


 人が別れを惜しんでんだ。少しは空気を読んでくれ。


「居候の身なんだし、家主がいないなら別にいいだろ。キレ散らかしてたところをここまで送ってやったのは誰だか分かっているのか?」


「別にキレてない。お前以外には」


 多分こいつは直人が突然いなくなった理由を知っている。


 だからこんな意気揚々とした態度でオレの前にいるのだ。


「お前ら兄弟は一体なんなんだよ。どうしてこんな面倒くさい性格してるんだ」


「失礼だな。君がどう思うと他人の行動には関係のないことだ。自分の思い通りにことを運ばせたいのなら君から干渉しないといけない」


「そういう話をしてんじゃないんだよ」


「じゃあ、八つ当たりはやめてくれ」


 壱真はやれやれと手を仰いで鼻で笑った。


 オレは直人が離れたがっていたことを認めたくなくて身近なものに当たっている。


 でも、それならどうして直人は部屋を貸したり、嘘の発表をしたのか。本当に嫌いだったのなら要塞を出たあとで放ってけばよかったのだ。


 オレは深呼吸をして一度気持ちを落ち着かせた。


「……家庭の事情に首を突っ込むつもりはなかったけど、原因がわかっているなら教えてくれ」


「家庭の事情か。当たらずも遠からずだが、赤の他人に説明するわけにはいかない」


「やっぱり酷い家庭なのか?」


存在理由かちが最初からあっただけだよ」


「意味がわからない」


「君が知る必要のないことだ。知ったところでなにも変わらない。他人の事情を理解したとしても君はその人になることも支えになれることもない」


「じゃあ、どうしようもないじゃないか」


「知るかボケ。……そう言ってしまいたいところだが事情があってな。直人を捕まえなくちゃいけなくなった。アイツを探すのを手伝え」


「は?」


 壱真はお茶ポットからお湯を注ぎ、平然と即席珈琲インスタントコーヒーを作った。

 

「——手を貸してやるっていってんだ」

 

 口を開いて呆れていたオレの前に、湯気の立つ珈琲カップが一つ置かれる。

 

「嫌ならそれでもいい。別に一人で捕まえられないこともないからね。お前に影響されているみたいだから利用したほうが効率いいと思っただけさ」


「直人は都市の外に出たんだ。どうやって探すんだよ」


 オレの眉が寄ったのを見て、壱真は満足げに口端をあげる。


「都市の外に普及している伝送路は『希望が浜』という海岸に繋がる一本だけだ。であれば、電話の繋がった時点でまだ都市から出ていないか、その海岸にいるとわかる」


 ムカつく男だ。この男は最初から全部わかっていたんじゃないか。


「お前は直人と似ていると思っていたが勘違いだったよ」


「好きに思えばいい。君は僕の友人でも、ましては弟の友達でもないんだからさ」


 いちいち人の便箋に触れてくる。


 オレは熱々の珈琲を一気に飲み干し、睨み返すことしかできなかった。


「手は貸してやる。その代わりちゃんと役に立てよ」


「もちろん。そもそも君一人で何ができるって言うんだよ。……ん?」


 壱真は揚々とした態度で笑っていたが、直後に腹を押さえて顔をしかめた。


「……あれ、お前は大丈夫なのか?」


 オレは状況を察して笑みを浮かべる。


「平気だよ。期限切れの牛乳は飲んでいないからね」






 榮ビルの地下駐車場からオーリングの坂道を勢いよく駆け上がる。


 助手席にいる壱真はシャツの第一ボタンまできっちりと閉め、マイク付きヘットホンで誰かと通話していた。


「——そこを右折しろ」


 他人の高級車を自慢げに乗り回していると、壱真はそう言った。


 電波塔の局長と連絡を取ったおかげで彼のパソコンには都市の監視カメラをリアルタイムで閲覧できるようになった。


 AIを駆使して直人の姿を探し、そして映像では深川図書館にいるところが写っていた。


「出たのか?」


「車に乗って今は大学の方に向かっている」


「なにしに?」


「さぁな」


 図書館まで向かわず、大学の方角へ進路を変える。


 しばらく進むと、壱真が低く唸るような声を出した。


「妙だな……大学に用があるわけじゃなさそうだ。また進路を変えた」


「もしかして、オレたちから逃げてるんじゃないか? 直人だって監視カメラを見られるだろ。追われていることに気づいたんじゃ……」


「交渉して僕ら以外には利用できないようにしてもらっている。……そういや、お前のスマホって直人から借りたものだよな? ちょっと貸せ」


「これでオレたちの位置がバレるのか?」


「それだけじゃないかもな」


 壱真はオレから端末スマホを受け取ると、グローブボックスからドライバーを取り出して分解し始めた。


「おい、そんなことして大丈夫なのか?」


「うるさい」


 ちゃんと直してくれよ……。


 壱真はスマホの側を剥がし、内部から小さな電極パッドのようなものを取り外す。


「盗聴されてたみたいだな」


「マジかよ、あいつ。そんなことしてたのか」


 オレは頬を引き攣らせ、壱真は不適な笑みを浮かべて口元に人差し指を立てた。


「マジもんの変態だな。こんなのが弟だったなんて思いたくもないよ」


 壱真の過剰な反応リアクションからなんとなく察して、オレも苦笑いしながらそのテンションに乗ることにする。


「マジかぁ……オレもう直人の顔見れないわ。どうしよう、散々ホモだとか言ってきたくせに、実はオレのことをそういう目で見てたのか……」


「十二年もよく一緒にいられたな」


「だから童貞拗らせちまったのか。オレに彼女がいたせいで色々我慢してたんだな」


「へぇー、童貞だったのか」


 壱真は少し驚いたように言うと、盗聴器をタオルで包んでグローブボックスにしまい込んだ。


「……もう、大丈夫なの?」


「このタイプならこれで聞こえない」


「そんで、追いかけてることがバレたけど。これからどうするつもりだ?」


「助っ人を呼ぶ。兄より優れた弟なんて存在しないことを教えてやるのさ」


 なにを言っているんだ、こいつ……。


「それで、誰を呼ぶんだ?」


「隊長だ」






 数十分後。直人を追いかけながら合流地点に近づくと、先方に黒いトラックが停車しているのが見えた。


 車間距離をあけて停車させると、赤い髪を伸ばした美女、温泉川彼花がトラックから降りてきた。


 やっぱり綺麗だなと思いつつ、パワーウィンドウを開ける


「——久し振りね」


「そうですね。その節はお世話になりました」


「いいってことよ。村田を説教するために君を連れて来たようなものなんだし、非難されても感謝させるようなことはしてないから」


「でも、ありがとうございます」


 初恋の相手が第二の母親になろうとしているのは、やっぱり複雑な気持ちにさせられる。


 親父には幸せになってもらいたいが、それでもオレは異性として温泉川に惹かれている。


 ズバッと自分の非を認めながらドライなところが、出会ったあの頃のままなのだ。


「……その節ってなんの話だ?」


 壱真は不思議そうなにこちらを見ていた。


「女の秘密を知りたがるもんじゃないよ」


「でも、この前〝こいつと本当の家族になれた〟って言ってましたよね。今どういう関係なんです?」


 ちょっと待てなんて言った?


 オレは思わずギョッとした顔で壱真を見る。


「こういうのはゆっくり深めていくものなんだから部外者がバラさないでよ」


 温泉川はオレに向けて「気にしなくて大丈夫だからね」と優しげに言った。


 なんだこの状況……親父、マジで再婚したのか? この半月でそこまで進展したの? 


 衝撃に固まっていると、温泉川がオレの頭をギュッと抱きしめた。


 彼女の体温が伝わって顔が熱くなる。


「無理して母親って認めなくていいからね。ただ、そっと受け入れて欲しいかな」


「わ、わかりました」


 …………。


 ……。


 映像を見ている限り、直人が都市の外に出ることはなさそうなので、オレたちはガソリンスタンドに寄って軽い食事を取りながら事情説明を行っていた。


 壱真のパソコンにはスーパーで平然と買い物をする直人の姿が映っている。


「事情は分かったけど。そいつは結局なにがしたいんだ?」


 温泉川が飲口ストローを歯で咥えながら疑問を呈した。


「それは俺にも分からない。ただ志楽と縁を切りたくて嘘をついた。追われたから逃げた。わかるのはそれだけだ」


「だったら、なんで壱真も追うの?」


「家庭の事情だ」


「そっか……」


 温泉川は一瞬、オレに視線を向ける。


「野良はそれでいい?」


「とりあえず、直人に会えればなんでもいいです」


 オレがそう答えると、温泉川は少し納得いかない顔をした。


「それで作戦は決めているの?」


「隊長のを含めて車は二台ある。単純に挟み撃ちでいいだろう」


「それはそうだけど、一番優秀な兄弟なんでしょ? かなり難しいんじゃない? 人的被害を出されたらこっちは立場的にアウトだし」


「隊長は公務としての仕事をすればいい。交通道路法違反でもなんでも理由をつけて追いかけてほしい」


 温泉川は「わかったわ」と渋い顔で頷いた。


 会話に混じっても邪魔になるだけだなと思い、オレは静かに黙って聞いている。


 村田の一件といい、温泉川は警察なのだろうか?


「志楽、トラックの運転はできるのか?」


「足場屋の仕事をしてたから普通に」


「なら、僕らは温泉川のトラックを使ってアイツの進行を妨げる」


「発信機と盗聴器は撹乱のために移動させておく。細かい合流地点は追いながら話そう」


 温泉川とスマートキーを交換し合い、オレはトラックの運転席に座り込んだ。


 壱真は助手席からパソコンで指示を出している。


「——じゃあ発信させろ」


 久しぶりの運転で少し心配だったが、クラッチレバーを握ると乾燥したワカメが蘇るかのように手に馴染んできた。


 オレは走行しながら壱真に幾つかの条件と合流地点を説明され、二、三個覚えたあたりで頭がパンクしてしまった。


「……お前って。隊長のことが好きなのか?」


「なんでそう思うんだよ……」


 オレは悟られないように、ぶっきらぼうに答える。


「抱きつかれたときに凄い照れてたじゃん」


「胸に顔を押し込まれたら誰だってそうなるだろ」


「……まぁ、そうかもな」


 壱真は少し納得したように頷いた。


 オレは温泉川とは別の道にトラックを走らせる。


「——次の交差点を右に曲がれ」


 唐突に言われ、急いでハンドルを切る。


「直人の車がコンビニを出た。nasa、乗用者を認識できたか?」


『検視中……見当たりません』


「お前はこのまま大通りに出ろ。nasa、俺の車で温泉川をナビしろ」


『よろしいのですか? 本体が移動すると今度はこちらの更新に遅れが生じてしまいます』


「構わん、常にデータを送り続けろ。それと今回だけは温泉川の指示に従ってろ」


『了解しました』


 パソコンの画面から、宇宙服の格好をしたキャラクターが消えてマップだけが映るようになった。


「なんかカッコイイな。オレにもやらせてよ」


「俺の人工知能バディーだ。お前と会話をさせたらバカになる」


 画面に表示される進路ナビは次々と変化していくが、結果的にこの指示すらも数秒ずれるようになってしまった。


 それでもオレたちは追いかけて続け、着実に直人の元に接近しながら五つ目の合流地点までやってきた。


 次々と変わる進路の先を読み、跨道橋を下り指示ナビから遅れないように急加速させた。そのとき、横から飛び出してきた車がトラックの貨物部分に衝突して、車体が大きく揺れた。


「あれ、事故った?」


 ナビ通りに進んだ筈なんだけど……。


「そういえばnasaに、穏便にするよう言ってなかったわ」


「ねぇ、これ死んでないよね?」


「わからん」


 互いに顔を見合わせ、頬を引きつらせる。


 トラックから降りると、前頭部分が潰れて見るのも悲惨な直人の車があった。


「いや、これ……やっぱり、死んでない?」


 全身から血の気が引いていく。


「とりあえず安否の確認だ」


 遠くからパトカーの警報音が聞こえ、温泉川は巡回中の交通警察がさも今駆けつけたかのようにやって来る。


「温泉川さん。どうしましょう」


「とりあえず救急車を呼んだ。直人を取り出すぞ」


 ロックが掛かった扉を温泉川は両手両足を駆使して引き抜き、運転席の男を引っ張り出した。


 だが、胸ぐらを掴まれた男は直人じゃなかった。


「——テメェ、こんなところでなにしてんだ!」


 温泉川は鬼のような形相で血を流している男に怒鳴りつけた。


「た、隊長……」


 よく見てみれば、その男は以前寿司屋で出会った人物だった。


 助手席には、やはり見覚えのある別の男も座っている。


「なんでお前らが乗っている」


「た、頼まれたんです。追われているから、代わりに運転して逃げてくれって……」


「いくら積まれた」


 二人は無言で顔を合わせて黙り込む。


 温泉川は苛立ちを隠さずに負傷者二人を車内から放り出した。


「早く答えろ」


「い、一千万。この車をうまく売ればそれ以上にはなるって……」


「なんでそんな話を受けた」


「だって、隊長の知り合いでしたし……壱真の弟なんでしょ?」


「関係ない。壱真の弟だろうが榮家の一員だ」


「でも、隊長だって壱真に頼まれて僕らを追いかけてきたんでしょ。それでそんな目にあってるのにあんまりだ」


「お前ら、私に追われているのをわかっていながら逃げていたのか」


 男は震えながら左右に首を振ったが、温泉川は冷たい目で彼らを一瞥した。


「依頼人はどこに行った」


「わかりません……」


「そうか。じゃあ用済みだ。二度と私の前に顔を出すな」


 二人は必死に「「隊長!」」と呼んだが、温泉川はその声を無視して車に戻っていった。


 後で来た警察に当事者全員は聴取をさせられることになったが、なにかしらの権力が働いたのかオレはすぐに解放されていた。






 その晩、壱真からの連絡は一度もなく。


 オレはベランダからぼーっと夜空を眺めていた。


 星空は薄らと光っているのが見えて、都市の光源が鬱陶しく。


 なにもかも消えてしまえばいいのにと思った。


 ——こうして、なにも成せないまま翌日を迎えると思っていたが。


 どこから爆発音が轟き。


 夜が星空だけの世界になった。

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