13-1 二年生・一月(7)
その日の昼休み、朝烏&兎褄の名物百合カップルは現われなかった。昨日、朝烏は学校を欠席していて、兎褄は泣きながら保健室に行ったことが報告されている。本日、両者は平生通り出席しているものの干渉はなく、よって、喧嘩に類する諍いがあったのではないかと推測の声が上がっている。なお、昨日は比良宮&西泉カップルの存在を示唆する報告がされており、何らかの関連が疑われるが、委細は不明である。
──というのが、ラルヴァから抜粋したあたしたちの現状だった。要するに、喧嘩して破局の危機に陥ったものと勝手に解釈されているらしい。根も葉も大地も空もないような話だけど、傍目から見ればそういう憶測をするよな、とあたしは達観したような気持ちで見ていた。
知らん間に生まれたありがちなストーリー。ただ、あたしたちには大変好都合だった。
そういうわけで放課後、麻路と破局の危機にあるというあたしは、補習をサボってとある場所にいた。手元のスマホで、ちょうどラルヴァに投稿文を打ち込み終えたところだ。
「そんじゃ、燃料投下……」
投稿ボタンをタップして、あたしの書いた言葉を全校に晒す。
──「グラウンドの端っこのところで朝烏がいるけど、誰か待ってるっぽい。プールの方」
じっくりコトコト待つ。だいたい数十秒ごとに、レスポンスがつく。
──「確かにいる。多分だけど学食からちょっと見える位置にいる」
──「兎褄ちゃんも来た。なんか良い感じで話してる!」
──「マジ?」「仲直り展開来た?」「なんか知らないけど学食に用がある気がする」
光に寄せられる虫みたいに、ぞろぞろぞろぞろ、と集まってくる。リアクション、リアクション、リアクション。ほら見て麻路、あたしたち、こんなにも愛されてるのね。これが読み切りマンガならクライマックス。必ず来る大団円に期待もさぞ膨らんでいることでしょう。
愉快になってきたあたしは、新たな爆弾を書き込む。
──「もしかして、このままキスするんじゃないの?」
突っ込んだ発言に、ぞろぞろぞろぞろぞろ、と、ラルヴァも現実もざわめき出す。
──「学校で? 無敵か?」「いや、毎日中庭でイチャついてたし」「待て、罠だ」「学食に誰かいる?」「いる。見てる。話してる」「学食来た。どこ?」「いるけど見えん」「距離どんぐらい?」「すごい近い。ゲンコツ一個分」「学食、昼間くらい人いて草」「ちっか」「ドラマのカメラばりに近いわ」「リアル幽霊いんじゃん、こわ」「ふたりの間のことね」「学食から距離どんぐらいって訊いてんだろ」「まだ?」「っつか、いる?」「奥の方の席なら朝烏様の背中は見える」「マジで?」「詰めて」「全員無言でぞろぞろ詰めててキモ」「朝烏は見えた」「兎褄いなくね」「キスした?」「兎褄は見えない」「朝烏に隠れてる?」「兎褄どこ?」……。
「ここでーす」
あたしはそう言って、購買部のカウンターの奥からおばちゃんよろしく身を乗り出した。
その瞬間、ギョッ! という文字が浮かんで見えた気がした。購買の正面、学食には生徒たちがずらっと行儀良く並んで座っている。ラルヴァ民同士の馴れ合いは御法度。だからって全員が「たまたま学食で休憩したい気分になっただけですう」って澄ました顔をして、一言も喋らず、ラルヴァに釘付けだったとか信じがたい。いくらなんでも無理があるだろ。
でも、その無理が通ってる。それが世曜高校とかいう異空間なんだから仕方ない。互いに素みたいな顔した生徒たちが、あたしたちの和解とキスを見物しに、わんさかと集まっていた。
……いや、多くない? 二十人もいればいいって話が一クラス分くらいいる。男女混交、バラエティーに富んだ面々。ビブスつけてるヤツとかいるけど部活抜けてきたの? どんだけ見たいんだ。娯楽に飢えすぎ、あたしたちのことが好きすぎ、そして規律が取れすぎ。目論見通りではあるけど目論見通り過ぎてキモい。
まあ、これで第一段階は完了した。あたしと麻路の仲直りとキスを餌に、営業時間外の学食にラルヴァ民たちを呼び寄せる。麻路は学食からギリギリ見えるところに突っ立って、架空のあたしを演出してもらう。ラルヴァでのやり取りでは、話がよく盛り上がるように健翔や愛沙先輩に潤滑油を入れてもらった。誘導っぽい投稿があったらふたりのものだと思う。ロケーションに学食を使うのはグレーな気もするけど、ラルヴァのお陰でなまじ治安が良く、学校側から信頼されるっぽくて放課後の立ち入り禁止は明文化されてない。今回限りなら多分、平気。
あたしを見ていると思ったらあたしに見られていた、深淵状態の生徒たちの反応は様々だった。素知らぬ態度を貫くヤツ、おどおど周囲を見渡すヤツ、テニスのラリーでも見てんのかってくらいあたしと麻路を交互に見交わすヤツ。でも、逃げ出すヤツはひとりもいなかった。そんなことをすれば、ラルヴァで集中砲火間違いなしだから──と思い込んでいるから。
「ごめんね、チューはなしで……代わりに本質的な話をしたくって」
あたしはそう言いながらカウンターを跨ぎ超すと、お集まりのみなさんの方へ歩いて行った。この連中の目にあたしはスーパーアウトローとして映っているだろう。羨ましかろう。こんなに好き放題できて。
さて、一クラス分の面々の前に立って、あたしは息を吐く。話すことは決めてるけど、台本なんてない。ぶっつけ本番アドリブオンリーの即興ブリコラージュ・ステージだ。
ふと、窓の向こうを見ると、例の位置に立った麻路が幽霊みたいにあたしを見つめていた。
うん、大丈夫、麻路。あたし頑張るよ。
あたしは道化っぽく両手を広げてみせて、言った。
「ってことで、ネタバラシなんだけど、あたしと朝烏麻路が毎日飽きずにイチャイチャさせてもらってた目的はまさに今、ここにあんたらを連れ出すためでしたー。まんまとあたしたちの手の上で踊ってくれてどうもありがとうって感じ」
これは愛沙先輩と健翔に結びつけられないために、あえて用意した建前だった。矛盾もしないしそれっぽいし、実際そうなってるし、ちょうどいい塩梅だ。
あたしの発言に会場に緊張が走る。各々の指がスマホに動きかける、けど、ぷるぷる震えるだけで動かない。報告したら特定される。特定されたらなんと言われるかわからない。そんなナイーブな感情が邪魔をして、誰も今の発言をラルヴァに書くことができない。繊細でしょーもない習性。なのに、集まってしまうふてぶてしさ。あたしは内心意地悪く笑いながら続ける。
「でも、はっきり言って、ここまで集まってもらえるとは思わなかったよ。半分もいれば良い方かなーって。やっぱ朝烏麻路のブランド力って感じ? ごめんね、あたしなんかがあの子を独占しちゃって。えーっとそれで……あんたらに集まってもらったのは、ひとつ、あたしからお誘いしたいことがあるんだよね」
あたしは自分のスマホを取り出すと、連中に見せつけて言った。
「ラルヴァ、潰さない? っていう」
切り出した瞬間はさすがに、あたしへの視聴率が一〇〇%に到達した。その視線に込められた感情を汲み取ることは難しい。みんな、一様にのっぺりとした作り物みたいな目をしていた。
「わかってるよ。あんたらにとって、ラルヴァは素敵な場所かもね。縛りごとだらけでつまらない学校生活を、せめて食えるものにしてくれる万能調味料だもん……でも、本来そこに閉じ込めておくべき空気が現実に漏れ出したせいで、もっと縛りごとが増えちゃってるってことにも気づいてる。現に今、誰も何も喋らず、スマホをいじってないのがその証拠」
あちこちで、きゅ、とスマホを握るのが見える。無意識の反応なんだろう。あたしは憐れみを持って語りを続けた。
「あたしさ、ずっと、あんたらは快楽のためにラルヴァに張り付いてるんだと思ってた。SNS的な匿名の空間でしか生まれないコミュニケーションの気持ちよさみたいなものね。でも、この二ヶ月間、あんたらに見られ続けてよくわかったよ。どうして、あそこまで執拗に話題に食いついてメタメタにお喋りするのか……きっと、そうやって別の誰かが槍玉に上がってる間は自分に矛先が向くことはないって、安全圏にいるって安心できたからだと思うんだよね」
すん、とした沈黙。どう取られたかわからないけど、あたしには確信があった。
「あんたたちは自分が見られていないという安心、逆に言えば、自分は見られたくないっていう不安を覆い隠すために、常に身代わりになる誰かを探してただけなんだ。そこには嫌な授業を仮病で休んだ時みたいなねちっこい安堵があるだけで、快楽はない。常に次は自分、っていう想像に怯えて震えてる。だから何にも言えないままに、ラルヴァとの共存は仕方が無いことなんだと思い込んできた。そうなんでしょ?」
生徒をラルヴァに駆り立てる原理が快楽じゃなくて、不安の裏返しだとしたら。
「みんな、心の底では思ってるんじゃないの? ラルヴァなんかないほうが良いって」
もちろん、例外はいるだろうけど無視する。重要なのは、今この場所にいる連中の本音だ。
「少なくともあたしはそう思ってる。朝烏麻路も同じ。だから、あたしたちは協力してここまでやった。ラルヴァのディープなところにいるあんたたちと直接顔を合わせて、その本当の気持ちを聞き出すためにね。……さあ、ラルヴァがいるか、いらかないか。あんたたちはどう思ってんの!」
と、威勢良く問いかけてみたものの、反応はしらーっとしたものだ。それはそうか。仕方ない、面倒くさいし意地悪な教師っぽくて嫌だけど、ひとりひとりに訊いていくしかない。
「じゃあ、そこのあんた」
あたしはその辺の男子を指さす。そいつはぎょっとしてスマホを取り落とした。
「ラルヴァはあった方がいいと思う?」
キリキリと音が立つような緊張を感じる。あたしに白羽の矢を立てられた男子は、メデューサに見られたみたいにゴチゴチに固まってしまい、何をどうにも答えることができない。こいつはダメだ。じゃあ、次。隣の女子。
「あんたは? ラルヴァはあった方がいいと思う?」
「わ、わたしは……」
その女子は鶏肉に下味をつけるみたいにスマホをしきりに揉んでいたけど、そのうち高飛び込み台から飛び降りるみたいに全力で息を吸い込んで、答えた。
「ほ、本当はないほうが、いいと思ってます……」
その言葉が出た瞬間、周囲の空気が変わった気がした。
来た。あたしは確かな手応えを覚える。
「よく言った! じゃあ、あんたは?」
また隣の男子に質問を移す。そいつは遠慮無くキョロキョロした後、窓の外を見て、顔を青くする。学食にやってこなかったラルヴァの民草が、遠巻きにこちらの方を見てスマホをいじっているのが見えたのだ。
「ない、ない方が良い」
捕虜になった小物みたいな調子で答える。本当に見られることへの耐性がないんだ。それでも、実際に口にしたという行為は偉大だ。あたしはそいつの肩を叩いた。
「よく言った! それで、あんたは?」
そうしてまた別のヤツを指名し、こんこんと問うていく。あんたは本当に、ラルヴァがあった方が良いと思う? 訊いていく先々、みんな口々に「ない方がいい」と言う。それはもう気持ちがいいくらいに。中には訊く前から答えるヤツもいた。そのたびにあたしは言う。
「よく言った!」
そりゃそうだろ。尻尾を隠して、自分を押し殺して、モブみたいに振る舞って、それが世曜高生だから、みたいな雑なキャラ付けに収まってしまうほど、あたしたちは単純じゃない。もっと、やりたいこと、したいこと、振る舞いたいこと、いくらでもあるはずなんだ。
「ごめん、最初は言い損ねたけど」
と、最初にあたしがつっかかって、何も言えなかった男子が焦ったように言ってきた。
「ラルヴァはいらないと思う。周りが言う前から、ずっと思ってた。嘘っぽいけど本当!」
「うん、よく言った! ありがと」
あたしは改めて、そこにいる連中を眺めた。みんな、本音を口にできたからか、顔は上気して目にも光が戻っているように見える。あたしはお腹の底から熱いものがこみ上げてくるのを感じた。やっぱりそうだったんじゃん。自由になりたかったんじゃん!
「オッケー、じゃあ、ここにいる全員はもう共犯者だからね。ラルヴァをぶっ潰すの、最後まできっちりと協力してよ!」
みんなこくこくと、神妙な表情でうなずいた。おお、あたしについてきてくれる。これは──いける!
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