8-2 二年生・十一月(1)
その後、あたしはボッコボコに怒られた。肘が当たっちゃったって念仏のように言い訳したけど、「嘘を吐くな」とモグラ叩きみたいに連呼されてちょっと堪えた。実際、嘘なんだけど、なんかあたしが愉快犯的にやったのだと思われるのはものすごい癪だった。まあ、確かに愉快になったけども。あれ? 結局、あたしの所業って普通に怒られにあたるな。ごめんなさい。
ちなみに色んな人に迷惑がかかるし、最悪、罰則も適用されることもあるので、本当に絶対に軽い気持ちで火災報知器は鳴らしてはいけない。好きな人を守る時でも、ちょっとは考えた方がいい。
五~六時間目と指導室で説教喰らうわ、その後はシームレスに補習だわで散々な目に合った。今日の担当が相対的に柔和な丹堂センで本当に良かった。古典歌物語の雅な響きはあたしの荒んだ気持ちをリラックスさせ、安らかな眠りへと導いてくれた。
終了後、三年生の補習室を覗いたけど愛沙先輩はいなかった。あれ。あたしはにわかに心配になる。警報器の音がストレスで融けちゃったとかないよね。
本当の本当に一応、ラルヴァも確認してみる。昼の警報器の件は大賑わいになっていて、普通にあたしがやっていたことがバレていた。「高校入ってわざとやるヤツなんかいないだろ」「でも兎褄バカじゃん」「購買がリニューアルされたことへの抗議らしい」。おーおー、喋っておるわ。「バカ」とド直球の誹謗中傷だとか、「抗議」とか三秒で思いついたような大デマだとか、こいつら、どこでもそんなこと言ってるんじゃないだろうな、と心配になった。
でも、どこにも愛沙先輩に言及するような投稿はなかった。つまり、あたしの目論見は見事に成功したわけだ。ははは、群衆どもめ、強い情報に踊らされてまんまと欺かれておるわ!
不思議な高揚感と共にログを辿っていくと「兎褄が朝烏様とつるんでるところ見たけど、あれは何?」という投稿を見つけた。にわかに心臓がドキドキ脈打ち始める。ど、どうしよう、誰かお調子者が「え、もしかして付き合ってるとか?」とか言い出しちゃったりして。
けど、それにはなんのリアクションもなかった。ラルヴァの中で孤島みたいにぽっかりと浮いてる。何でだよ。今回の騒動の中で一番本質的な情報だろ。
あたしはげんなりしながら廊下を往き、秋の終わりを感じさせるような冷たい風吹く昇降口に辿り着く。自分の下駄箱を覗き込むと一枚の紙が入っていた。お、ついにイジメの波が我が身にも──と身構えつつ開いたら「フルネスの屋上駐車場4Bに来て。十八時まで待ってる」と書いてあった。朝烏麻路の字だった。
あたしは全力疾走で向かった。
フルネスは学校からそれなりに歩いたところにあるショッピングセンターだ。地元の人はともかく、近場に別の選択肢もある世曜生にとっては絶妙に不便な立地なので、文化祭の買い出し以外ではあんまり行こうと思わないところだった。
店内に入って階段を駆け上がり、屋上へ。車でやって来た人以外に用のない場所だから、ラルヴァに書くような手合いに見つかる可能性は限りなく低い。正味、今の時間なら学校を出ればそうそう見つからないと思うんだけど、朝烏麻路的に絶対に見られたくない何かがあたしを待っているということだ。あたしはこの期に及んでそれが何かがわからない。ただ、朝烏麻路があたしを呼ぶから、駆けつける。
屋上に辿り着いた時には、あたしの息はぜいぜいと上がっていた。スマホを見ると十八時十分。4Bっていうのは、車を駐めた場所を覚えやすくするためのエリア表記で、床に引かれたラインを見ればすぐわかるようになっている。乳酸で脚がパンパンになったあたしでもすぐにその場所に辿り着くことができた。
4Bエリアの隅っちょにベンチが置いてあって、朝烏麻路が座っていた。その姿を見ただけでここまでに溜め込んできた疲労が全部すっ飛んでいく。
「よ、良かった、まだ待ってた」
「兎褄碧子……」
あたしは朝烏麻路の隣に座り込むと、一区間を走りきった駅伝選手みたいに天を仰いだ。
「そ、それで? せんぱい、無事だった?」
「うん……バレなかった。でも……」
「ん?」
不穏な「でも」に、あたしは隣へ顔を向けた。朝烏麻路は複雑な表情をして、駐車場の地面を見つめている。
「あなたが──犠牲に」
あぁ、とあたしは笑った。
「気にしないでよ。あたしが失うもんなんかないし、勝手にやったことだし」
「でも……ただの補習仲間のために、あそこまでするなんて」
補習仲間って愛沙先輩のことだろうか。その物言いに、疲れきったあたしの脳みそは、何言ってるんだ? と思ってしまった。
「せんぱいのためだけじゃないよ。あんたが助けてって言ってきたんじゃん」
「え……」
朝烏麻路はその凜とした面を上げてこっちを見た。あたしは、あの時のオロオロした表情を思い出しながら言う。
「あんな様子のあんたを放っておけるわけにはいかないじゃん。っていうか、せんぱい、誰といたの? あたし、そんな秘密とか知らないんだけど」
「え……え? 愛沙に彼氏がいること、知ってるんじゃ……」
「あ、えっ! そうなの!」
あたしはめっちゃ驚いてデカい声を出してしまった。昼休みは「ふたり」で過ごしてるってそういうこと? 人の秘密を曝くことが生業の人間の跋扈する世曜高校で? マジかよ!
対して、朝烏麻路は顔を蒼白にする。
「え、嘘、知ってるでしょ。だってあなた、祭りの日に──」
「お祭り? 何で今、そのこ、と、を……を?」
その瞬間、わかんねぇからといって頭の中に放っておいたいろいろな情報の断片が突然、あたしの頭の中でむくりと起き上がって、てくてく歩き出し、完璧な形で合体した。
祭りの日、朝烏麻路が口封じをしてきた、健翔と彼女のデート。
昼休みに、朝烏麻路が必死で助けを求めた、誰かと愛沙先輩の逢瀬。
それってつまり、つまり、え、え、え、え、え──。
「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーもがむむ」
空前の大絶叫が、あまりにうるさかったからか朝烏麻路に口を塞がれた。そのまま肩を掴まれ、ぐ、っと背もたれに押しつけられる。そういう達人が使うような強い抑え方でもあるのか、身体が動かなくなってしまった。
「愛沙の事情知ってるって言ってたじゃない」
あのお祭りの日に見せた険しい顔相でマウントを取りながら、朝烏麻路が言う。あたしはすっかり震え上がって、必死に弁明した。
「むごもごごごおおお!」
「知ってるのは家庭の事情……だけ? じゃあ、祭りの日は?」
「むごごばむごもっごごもも!」
「相手が誰なのかはっきりわかってなかった……う、嘘でしょ……それなのにあなたは……」
「んー! んー! んんー!」
息ができん! 言ってること通じるのは嬉しいんだけど、息が!
あたしは必死で声を上げながら、かろうじて動く両腕で朝烏麻路の手を口と鼻から引き剥がそうとした。なのに、ネオジム磁石でくっついてんのかってくらい動かないし、朝烏麻路はこの世の終わりみたいな顔をして悄然としてる。
ちょ、ちょちょちょ、ちょっと! うっかり真実を知って死ぬとか、学園ミステリーで三番めに死んじゃう引率の先生ポジションじゃんこれーっ!
なんて甲斐のないツッコミは虚しく脳内にこだまして、意識がふわふわとしてくる。あ、あのお祭りの日と同じ。朝烏麻路に殺されるなら本望とかネタで言ってたけど、なんか、マジで悪くない気がしてきた。銀色の匂いに包まれて、苦しさが遠のいていって、それで──。
「あっ、アオちゃん?」
その声が聞こえた瞬間、息がどわっと肺に飛び込んできた。朝烏麻路は風のようにあたしの上から消え、何事もなかったように隣に座る。あたしは涙目で深呼吸しながら、命の恩人の顔を見上げた。
「あ、愛沙せんぱい……と」
それから、その隣に立っている男も。
「健翔」
「……よう」
比良宮健翔がでかいビニール袋をぶら下げて突っ立っていた。
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