世界を変えられると信じていた ~青春の波紋~ | エッセイ

シロハル(Mitsuru・Hikari)

二十四年前

 三月は卒業シーズン。

 二十四年前、私は中学卒業を機に、次なる自分へと脱皮する決意をした。

 眉毛を細く剃って、髪を明るく染める。耳にも三箇所ピアスの穴を開けた。これまでの優等生な自己と徹底的に決別することにしたのだ。


 高校の入学式の日、髪をツンツンに尖らせて、胸ボタンを開けた学ランに派手に改造した鞄を抱えて登校した。上履きを履かずにスニーカーで校舎を闊歩する。

 授業は眠る時間と決め込んだ。高校生活や大学進学は自分の夢とは全く関係がないと感じ、学校に通う意味を見出すことができないのだ。他人との交流にも消極的で、完全にクラスで浮いた存在になっていた。

 誰も近寄ってこないし、私からも近寄らない。でも、それでいい。生活に音楽さえあればいいのだから。

 校則違反を繰り返し、教師から幾度も呼び出された。だがその度に、反骨的な態度こそがロックだとか訳の分からない美学を持って、ひとり悦に浸った。

 高校生活とは何て退屈で怠いのだろう。ため息ばかりが出る。自分を含め、誰のことも好きになれない。

 私がこんな生活態度をしていたからか、軽音楽部には入れてもらえなかった。エースとして期待されていた陸上を辞めて、私は学校から帰ると歌の練習に明け暮れていた。

 そんな学校生活にうんざりしていた日々の中で、ある出来事が起きた。それは、高校二年の夏、Kの歌を初めて聴いたときのことである。


 軽音楽部では月に一度、音楽室でライブが開催されていた。彼らはどれだけのレベルなのだろうと以前から気になっていて、一度観に行ってみることにした。

 その中でも私が注目していたのはKだ。Kは軽音楽部で一番歌が上手いと知られていた。茶髪に染めた長髪でパーマをかけている。細い目が特徴的で、廊下で見かけると、いつもにやにやしていた。こんな奴が本当にいい歌をうたえるのか、私は疑いの眼差しを向けていた。

 マイクを握った彼は、その長身痩躯な体をくねくねさせながら、激しくシャウトした。ステージでもにやにやしながら歌っている。一瞬だけ、私と目が合った。その瞬間、彼は片方の口角を上げた。私は思わず震えた。ヴォーカルとしての確かな実力とライブパフォーマンスの上手さは、噂以上だったのだ。わかる人にはわかる。彼にはセンスもあるが、相当な練習を積み上げているに違いない。

 ライブを最後まで直視することができず、途中で退室してしまった。堪らなく悔しかった。静かなトイレに行き、大きなため息をつく。鼓動が激しく高鳴っていた。


 後日、一人で下校して駅まで向かっていると、後ろから声をかけられた。振り返ると、そこにはKがいた。私に声をかけてくる人など滅多にいないため、少し驚いて挙動不審になってしまった。


「確か……みつる、だよな? この前、ライブに来てただろ?」


「ああ」


 何を話したらいいかわからない。あまり親交を深めたいとも思えない。私はKに対して、その歌に嫉妬し、一方的に勝手なライバル視をしていたのだ。

 だが、彼は誰とでもフランクに話をするタイプのようで、私にどんな音楽が好きなのか、楽器は演奏できるのかなど、たくさん質問をしてきた。

 そこで私たちは共通のミュージシャンが好きなことで意気投合した。彼はプロのミュージシャンになるという夢があるのだと、にやにやしながら語った。私もその場の勢いで、プロを目指しているのだと打ち明けた。すると、彼のにやついた顔がぴたりと止み、急に真面目な顔になった。


「じゃあ、歌ってみせろよ」


「嫌だよ。俺はこの学校にいる奴らに聴かせるつもりはない」


「つまり、自信がないってことだろ? だせーな。そんなんでプロになろうだなんて言わない方がいい」


「は?」


 さっきまで話が盛り上がっていたのが嘘だったように、険悪なムードになった。だが本心では、Kが言っていることは核心をついているのだとわかっていた。むしろ、それを言われたくなかったのだ。本当は自信がなくて、失敗が怖いのに、それをごまかすために言い訳を続けてきたのだ。


「どうせ下手なんだろう。そういう、お前みたいに、ただでかい夢を掲げて何もしない奴が、世の中には腐るほどいるんだ。そういう奴に限って、ビジョンばっかり立派で行動しない。真面目にやってるこっちからすればいい迷惑なんだよな」


 私は彼の言葉に正当性を感じていたため、返す言葉が見つからなかった。だから、感情的になってしまった。


「うるせーよ。お前だって、先日のライブ、はっきり言って上手いとも思わなかった。練習が足んねーよ」


 せっかく音楽仲間が得られたかもしれないと思ったが、私たちはそれきり、口をきくことがなかった。


 高校三年生になり、文化祭が近づいてきた。

 あれから私は、ボイトレ教室で組んだバンドでイベントに出演したり、コンテストに出場したりした。が、まだ一度も学校の生徒たちに、その姿を見せることも、声を聴かせることもなかった。Kから言われた言葉がずっと頭から離れずに、こびりついている。あの言葉をどうにかして払拭したかった。

 文化祭ではメインイベントとして学生によるライブが行われる。私はついに、そこでライブ出演することを決意した。そのためには先ず、校内の生徒でメンバーを探さなければならない。そもそも私が音楽をやっていることを知っているのは、ごく僅かな生徒のみだったため、私からカミングアウトしてアプローチしなければならなかった。

 そのために弾き語りの音源を作成した。あまりギターが弾けなかったが、カラオケやアカペラの音源を聴かせることには抵抗があった。自分でギターも弾いた方が説得力が増すことは容易に想像できた。

 最初に交渉したのは、軽音楽部の部長。彼のギターは荒っぽいが学生にしてはかなりの腕前であった。部長は音源を聴いて即座に快諾してくれた。彼は校内で一番上手いと評判のベースとドラムにも音源を聴かせてくれ、非常にラッキーなことに、とんとん拍子でバンドが組まれることになった。


 文化祭のライブに出演するバンドは六組。出演順について各バンドのリーダーを中心に話し合いの場が持たれた。多くのバンドは特に順番にこだわりがなかった上に、私のバンドが錚々たるメンツだったおかげでライブのトリを務めることに決まった。だが、この出演順を巡って、Kのバンドとは、ぎりぎりまで揉めることとなった。Kはプライドが高く、自分がトリでないこと、ましてやどんなヴォーカルなのかもわからない私がトリを務めることが許せなかったのだ。部長が彼を説得してなんとか収まったが、明らかにKは私に敵意を向けていた。彼は私の歌をまだ聴いたことがない。私がど素人だと思っているのか、見下すような態度を取っていた。

 話し合いの後、彼は私の目の前に立った。


「おい、トリでよかったな。文化祭でどちらの方が盛り上げられるか勝負しようじゃねーか」


 ガムをくちゃくちゃ噛みながら、いつものにやにやした顔で挑発してきた。


「ああ、いいね。構わないよ。お前には負ける気しねーわ」


「は? どこからその自信が湧いてくるの?」


「お前はまだ、俺の歌を知らねえじゃん」


 Kは私をかっと睨みつけてきた。私は絶対に彼に負けたくなかった。

 ステージに立った経験は確かに少ない。だが、私が毎日六時間近くどれだけ厳しい練習に取り組んでいるのか。授業中も皆が教科書を開いている間、私はこっそりと音楽の研究をしてきた。Kはそれを知らない。わからせてやる。上には上がいるってことを。


 当時の日本の音楽シーンでは若者を中心にパンクがブームになっていた。我が校もバンドの殆どがパンクの曲を演奏していた。私は本音を言えばパンクには乗り気ではなかったのだが、バンド内で話し合った結果、学祭という場を考えると、やはりパンクがよいのではという結論に至り、ポップな曲をパンク調にアレンジして演奏する方針で決まった。

 朝と放課後、音楽室かスタジオに集まって練習する。私はちゃんとしたライブはこれが初めてになる。バンドに合わせて歌うとは、なんて気持ちのよいものなのだろう。この抑えきれない昂揚感を抱きつつ、ステージで歌う自分の姿を想像し、武者震いがした。私は敢えて練習を皆に聞かれたくないとメンバーに伝え、できる範囲で協力してもらっていた。


 文化祭当日がやってきた。ライブは文化祭のメインイベントであり、体育館で行われる。校舎では各クラスや部活の展示や出店もあるため、先にそちらを回ってから体育館へライブを観に来る人が多い。つまり、後半になるにつれて、観客となる学生の数が増えてくるのだ。四組目が始まるあたりで、体育館のステージ周辺は多くの学生でぎゅうぎゅう詰めになっていた。何百人いるだろう。小さなライブハウスよりも遥かに大規模なイベントになっている。

 四組目は、ミスター〇高に選ばれた、学校のアイドル的存在の男がステージで歌っていた。女子たちの黄色い声援が多く飛び交う。ミスター〇高の男は、くしゃくしゃにした髪を時折触り、照れながら歌っている。彼の歌は、たとえカラオケでも聴きたくない程に下手で、舞台袖で観ていた私は非常にイライラしていた。

 そこへ、安っぽい革ジャンを羽織り、ボロボロのジーンズを穿いたKが、ギターをぽろぽろと爪弾きながら私のところへやってきた。彼のバンドの出演は、このバンドの次。つまり、トリ前の五組目だ。


「苛つくよな。ま、俺が本物の音楽を見せてやるから。みつるもちゃんと見とけよ」


「おう。頑張れよ」


 なぜかKを物凄く頼もしく感じた。そこには妙な信頼関係があった。

 Kはギターをスタンドに置くと、私の方へじろりと視線を向けた。


「勝負のこと、忘れてないよな?」


「もちろん」


 彼はふっとにやつくと、私から顔を背けてストレッチと発声練習を始めた。一瞬だけ見えたその表情には、若干のこわばりと強い闘志のようなものが見えた。私の目ではなく、その向こう、遠くを見ていた。


 Kはバンドメンバーがセッティングを終えると、イントロが始まるのを舞台袖で待っていた。ドラムの合図からギターとベースが轟音を鳴らす。そこへあのにやにやした顔で、観客に手を挙げながら入ってきた。学生ながら演出もしっかりこだわっている。

 だが、彼は意気込みが強すぎたのか、いつもより緊張して声が出ていないのがわかった。ライブは盛り上がってはいたが、本調子ではない。Kが焦っているのが私にはわかった。観客を煽るようなパフォーマンスも控え目で、彼の顔からはいつものにやにやした表情がいつの間にか消えていた。

 彼らのライブが終わり、舞台袖で「お疲れ」と言うと、無言でKは通り過ぎて行った。彼の右手が僅かに震えていたのを私は見逃さなかった。


 そしてついに、私たちバンドの番がやってきた。私は普段着ないようなストリート系ファッションに身を包んでステージに立った。私がセンターでマイクを握ると、会場からざわざわする声が聞こえてきた。それもそうだろう。殆どの人が私が音楽をやっているだなんて知らなかったからだ。私もこの瞬間まで明かさないように努めてきた。


 まだ騒がしい中、突然、アカペラで歌い出す。皆が知っているあの曲を。

 すると、急に静まり返った。と思ったら、多くの観客たちが一緒に歌い始めて、会場は大合唱に包まれた。そこへテンポの速いギター、ベース、ドラムが入る。急にパンク調に変わり、観客たちも笑顔で飛び跳ねる。私は目をかっと開いて完全に音楽の世界に入り込んでいた。ステージ上で走る。跳ぶ。叫ぶ。バンドのサウンドと観客の声が心臓に響き、全身が熱くなる。ブレイクの場面では、勢い余って、被っていた帽子を観客の方に向かって投げた。取り合いになっているのが見えた。その帽子は二度と返ってくることはなかった。(兄から借りたものだったので、後日怒られた……)

 MCのときも歓声は止まず、会場は激しい熱気に包まれていた。


「声が小さいぞー! もっと叫べ―!」


「おー!!!!」


 私が呼びかけると、観客の生徒たちが手を挙げて大声で叫ぶ。


「まだまだ小さいぞー! もっとー!!!」


「おー!!!!!!!」


「いいねえ! 次の曲もみんなで一緒に歌ってくれ!」


 アコースティックギターのストラップを肩にかけ、私の弾き語りから始まった。再び大合唱からパンクへ。途中で私のリズムがずれてしまったが、そんなことはお構いなしだ。

 今、この瞬間を、全力で叫び、楽しむ。

 それしか頭になかった。

 嗚呼、青春よ。


 興奮冷めやらぬまま、ステージから降りると出待ちをしている女子たちに囲まれた。(私の数少ないモテキだったのかもしれない……)たくさんの女子に写真や握手を求められて応じたが、私にはこんな経験がなかったので、照れてしまって上手く笑うことができなかった。

 担任の教師やクラスメイトたちもやってきて、皆が一様に私の歌やパフォーマンスに驚いたと称賛してくれた。これまで抱いていたイメージとのギャップも大きかったのだろう。演奏のクオリティは決して高かったとは言い難いが、皆の反応を見るからに、学祭のライブとしては成功だったと受け止めてよいのかもしれない。私はまるでスターにでもなったかのように浮かれていた。この日のライブは、しばらく校内で語り草になった。


 文化祭が終わり、翌週からは通常の授業が始まる。登校時、生徒たちが何やらざわついていた。何かと思って聞いてみると、Kが坊主頭にしたと言うのだ。私は驚いて動揺してしまった。私は自分のライブの余韻に浸りすぎて、勝負のことをすっかり忘れていたが、彼はしっかり覚えていたのだ。そして、私のライブを観て負けを認めたのである。しかし、坊主頭にするなんて。そんな約束していなかったではないか。Kのところへ行った。


「よお、スーパーヴォーカリスト」


 彼は私を見ると、嬉しそうににやにやしていた。髪型のせいで今までと雰囲気の変わった彼の様子にショックを受けなかったと言えば嘘になるが、意外と坊主頭も似合っていることに少し安心した。


「なんで今までその才能を隠してたんだよ。ちょっと放課後に音楽室に来いよ」


 彼に言われるがまま、放課後に音楽室に行くことにした。

 音楽室にはKしかいなかった。彼はギターを弾きながら歌っていたが、私に気づくと演奏を止めた。


「その声、どうやって手に入れた?」


 彼はライブパフォーマンスよりも、歌声に注目してくれていたようで、私はそれが嬉しかった。だが、私は彼に勝ったとは心から思っていない。彼の方がスキルも経験値も高いのは明らかだ。文化祭のライブは運が良かっただけだとわかっている。私が彼に嫉妬するように、彼からも嫉妬されたことが、私の自信を高めてくれた。また同時に、そんな彼の潔さを人として尊敬した。彼はもっと想像を超えて成長していくのだろう。

 私たちはお互いのヴォーカル理論や理想のヴォーカリスト像などについて語り合った。次第に、話は将来のことになった。


「俺は進学しないで、東京でバイトしながら音楽をやっていくよ。Kはどうするの?」


「本当は俺もそうしたいんだけど……とりあえず大学に行く。でも音楽は続けるし、勿論夢だって諦めない」


 彼は少し俯いたまま答えた。その坊主頭を触ると、手をひっぱたかれた。音楽室に笑い声が響いた。彼とは一生のライバルになるかもしれない、そう思うと涙が出そうになるほど幸せな気持ちになった。


 卒業式から数日後、市民会館の小ホールを貸し切って、卒業生たちによるライブイベントが行われた。Kはなぜか、ぎりぎりまで出演を拒んでいた。理由は誰にもわからなかった。彼に「代わりに俺が出てもいいのか?」と訊くと、「じゃあ出る」とは言ったものの、消極的だった。練習もなく、ぶっつけ本番状態だったため、あまりよいパフォーマンスとは言えないものだった。そして私も、この日は文化祭のように盛り上げることはできず、空回りし大失敗のライブに終わってしまった。

 控室で顔を合わせると、お互いに吹き出して、「どうしようもなかったな」「お前もな」と、握手した。

 Kは東京の大学に進学が決まっていたため、いつかまた対バンするときが来るかもしれない。そんな期待に胸を膨らませていた。


 それから数年が経った、二十四歳の十二月。中学生時代の友人に呼ばれて、久しぶりに地元の静岡で酒を飲んだ。彼の勤め先は偶然にもKと同じであった。Kとは仲の良い友人関係であり、よく飲みに行くこともあるようだ。


「Kって、最近ライブやってる?」


 私がそう質問すると、友人は「え?」と、意味がわからないといった顔をした。


「あいつが音楽やってるなんて、そんな話一度も聞いたことないよ。嘘でしょ?」


 友人が言うには、現在の彼は音楽とは無縁の生活を送っているらしい。営業職として一生懸命仕事をこなしつつ、二児の父として週末はよく家族旅行に出かけているようだ。

 私は微笑ましく聴いていたが、一抹の寂しさを抱かずにはいられなかった。

 しかし、時代の流れや様々な出会い、環境の変化によって、人はいくらでも変わっていく。それは決して悪いことではない。それだけ人生は未知なる可能性に溢れているということなのだ。

 もしかしたら、誰かにとっては今の私に対して、このときの私と同じ感情を抱くかもしれない。

 だが、こうも思うのだ。

 坊主頭にしたKも、帽子を投げた私も、あの日、きっと世界を変えられると信じていた。

 あのときの気持ちを、これからもずっと失いたくない。

 その心こそが、誰かが夜を越えられるように、笑顔になれるように、小さな世界に波紋を起こすのだから。

 そしていつか。


 あなたに伝わりますように。

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