第9話 戦後処理

 背中からの落下により肺の中の空気が吐き出され、しばし呼吸の仕方を忘れたようにのたうってしまう。


 痛みに脂汗が出て、額にはりつく黒い髪が実に鬱陶しい。のそりと上半身だけを起こして念の為男を確認する。


「ほんと……最悪っす。身体痛いしよく分かんない場所で頑張んないといけないし」


 痛みは人を弱くさせる。それは肉体的にも精神的にも、似合わない愚痴が出る。

 旦那サマがいる時にはこんな事言えない。隣でずっと不機嫌な奴がいるなんて気を遣うだろうし嫌だろう。


 独り言としてブツブツと愚痴を零しながら男の身体を確認する。ちゃんと正しく死んでいるようで、脅威は無いとほっと安心する。


 敵の死亡が確認できたなら、後やるべき事は……


「旦那サマの安否確認、っすよね」


 あれほどの業火をくらい旦那サマが生きているかは……考えたくない。

 無心で私はダンジョンの最奥兼私達夫婦の部屋から独りで出た。


 最奥である私達の部屋の造りは剥き出しの岩ではあるものの、椅子らしきものやテーブルのような物などなんとか居住に適さないであろう穴蔵でしかない部屋をDIYしたような様相だ。


 そして、私はこの世界へと転移して以来そこから出た事が無い。

 私の世界とはあの部屋で完結していたのだ。


 故に、こうして部屋の外を歩くのは新鮮で視線が色々とあちらへこちらへと動く。もちろん、動く理由には旦那サマがどこかにいないかなというのも含まれているが……。


「実際歩くと旦那サマに最適化したこのダンジョンは歩きづらいっすね。暗いし、それに生き物の内蔵みたいな造形してるすね」


 あるいは背骨か、黒くぬめりを帯びた背骨は蛇が地を這うように曲がりくねってダンジョンの内部を何本も通っている。

 そのせいかダンジョンは非常に歩き辛い。


 それに加えて私が男の殺害によって得たポイントによって購入したランタンが無ければ、完全な暗闇なのだ。


「この状態が旦那サマにとっての最適って……旦那サマはよく見えますね」


 いや、見えてないのだろうか?


 目にあたる器官が旦那サマの顔には無いように見えたし、そういう生態かもしれない。

 もしかすると旦那サマの種族は洞窟などの暗所で生きる生物だったのだろうか。


 洞窟性の昆虫や生物の多くは身体が透明で、目が退化しており非常に小さいという特徴がある。

 洞窟というのは雑に言って捨ててしまえば暗い岩場だ。当然生命の数は少ないし視界の必要性は薄い。


 必然、生き物は成長する為の餌が少ない為体躯は小さく、そして目以外の感覚器官の発達と進化を余儀なくされる。


 コウモリは別だ。あれは周期性洞窟性動物とか言う存在で、住処や繁殖の場として洞窟を必要としているだけであり餌は外から調達してくる。


「多分旦那サマはコウモリとかに近い生態系だと思うんすよね……。目の退化は暗所で暮らす生き物に多い特徴っすけど、それ以外が宛はまんないんすよね」


 益体もない事を考えるのは半分意識しての事だ。


 旦那サマと早く会いたいが、それがもし死体だったらと嫌な想像が止まらず、それを回避したいが為の現実逃避だ。


「おーい!旦那サマっ!旦那サマのお嫁さんが心配してるっすよ!もう敵は私が倒したっすから、出てきて欲しいっす!」


 内心の不安を大声で誤魔化して旦那サマを呼ぶ。


 ふいに、声が聞こえた気がした。

 非常に弱々しく、か細い鳴き声のようなもの。


「っ!だ、旦那サマっすか!?」


 旦那サマだと言う保証もない。いやそもそもとして空耳の可能性すらある。

 だが私は目の前にぶら下がった気がした希望に全力で縋り、旦那サマを呼ぶ。


 あっちへ、こっちへとランタンを闇雲にかざして声を出し続けて旦那サマを探せば、小さな横穴から身体を半分だけ出した旦那サマを見つけた。


「旦那サマっ……!良かった、生きててくれたんすね。さ、私達の部屋に戻りましょ?立てるっすか?」


 手を差し出せば旦那サマは弱々しく私の手をとった。


 焼け爛れた皮膚が痛々しい。べろり、と皮が剥げて中途半端に垂れ下がり、瑞々しい内側の肉が剥き出しになっている。

 だが、それでも肩を貸した関係で密着したその身体からは命の鼓動が感じられた。


 ゴツゴツとした身体は私に遠慮なく預けられているようで、それが私はなんだか嬉しかった。


「旦那サマが殺してくれた一人と、私が殺したのでポイントも幾分か増えたっすから、何か身体を快復させる物が無いか探しましょうね」


 旦那サマがこくりと頷く。


「さ、旦那サマ。おかえりなさいっすよ。ゆっくり休んでください」


 部屋まで戻り、ベッド代わりに使っている安物のマットレスに旦那サマを横たえる。


 私は私で色々とやることがあるので、残念ながらまだ休めないが……。


 未だ部屋に転がっている元侵入者であり現死体の男の死体を部屋からダンジョンの通路へと放り投げる。

 これで元通りだ。


 旦那サマの傷を癒せるものが無いかとポイントショップを漁る。


「検索機能とか……ソートとか絞り込みとかないんすかこのポンコツは。旦那サマが苦しんでるってのに」


 先程かららしくない言葉が出るのは直接人を殺した事による精神の不安定によるものか、イヤな高揚の仕方をしている気がする。


「ん?あぁ、なんでもないっすよ!大丈夫っす、旦那サマ」


 旦那サマに私の独り言が辛うじて聞こえてしまったのか、起き上がろうとする旦那サマに問題無いと呟いて寝てていいよ、と告げる。


 落ち着かなければ、私。たかが人を一人殺しただけだ。

 殺人への忌避感は法律や所属する国や団体からの迫害を恐れての事だ。そしてそこに道徳的だとか倫理的だとか言うそれっぽい理由をコーティングしているだけに過ぎない。


 法も国も私の行いを問うことが出来なければ、なんら憂慮すべき事もない。


 一旦深呼吸をして気持ちを鎮める。


「ふぅ、今すべき事だけ見つめるべき……他は見ない。既に間接的とは言え何人も殺している、今更動揺するのは筋が通っていない……分かってる、分かってる……」


 そうだ。旦那サマがやったとは言え既に合計四人、私が手を下したのを合わせれば五人殺しているんだ。


 間接的とは言えその責任は私にある。であれば、自らの腕を動かすのと他者がそうするのに、差異は無い。

 すなわち、旦那サマの殺害は私の責任だ。


 今更悔いたり動揺するのは殺した命に対して誠実ではない。

 

 そうやって理屈で私は私を説き伏せる。

 人によって方法は異なるが、私にはこの方法が一番らしい。


 無理矢理に目下すべき事である旦那サマの治療に必要な品物の捜索へと意識を切り替える。


「……あった!これすか、確実にこっち地球の製品じゃないすね。異世界由来の物も買えるんすね、コレ」


 それはファンタジーな小説やゲームではよく見るありきたりな回復薬のようなもので、説明文が簡素ではあるが添えられている。


【経口摂取以外で本品を使用しない事。その他の説明は省略します。緊急に本品を服用し覚醒状態を維持するような状況では、このメッセージを読んでいる暇はないでしょう、幸運を!】


 とだけ書いてあった。

 要は急いでるんだよね?じゃあ説明は書かないでおくね!というなんとも巫山戯た文章だった。


 だが私としてもこの説明文には納得さぜるを得ない。

 なにせ旦那サマの怪我は酷く、緊急でどう使えばいいかだけさっさと教えて欲しいというのが心境だからだ。


 躊躇うことなく私はその商品を購入した。

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