第四話文化祭当日、交錯する視線と隠された目的

文化祭の朝、抜けるような青空は、星ヶ丘高校に降り注ぐ喧騒を祝福しているようだった。飾り付けられた校門をくぐり抜ける生徒たちの顔は、高揚感と少しの緊張で輝き、模擬店の焼きそばやフランクフルトの香りが、甘いジュースや綿菓子の香りと混ざり合い、独特の祝祭の匂いを校内に漂わせる。家族連れや卒業生、近隣の住民たちが、この年に一度の活気を楽しもうと、続々と学校へと足を運んでいた。

二年B組と三年A組の合同お化け屋敷「冥府の迷宮」の前は、開場前から異様な熱気に包まれていた。入り口に掲げられた、健太が何日もかけて描き上げた、朽ち果てた古城と絡みつく鎖のイラストは、素人目にも陰影が深く、見る者の心に薄気味悪さを植え付ける。その周囲には、セレスが「魔界から持ってきた」と嘯く、精巧すぎる髑髏の模型が不気味な笑みを浮かべ、暗闇の中で妖しく光る蓄光塗料が、冥府の雰囲気を一層際立たせていた。

「グルルル……愚かな人間どもよ、冥府の恐怖を味わうがいい!」

特殊メイクで完璧なゾンビになりきったセレスは、開場を待ちわびる列に向かって、低く唸り声を上げた。その血走ったような赤いカラコンと、血管が浮き出た特殊メイクは、想像以上にリアルで、列の先頭にいた小さな男の子は、今にも泣き出しそうな顔で母親にしがみついている。

「セレスちゃん、いくらなんでもやりすぎだよ! 本当に怖がっちゃうって!」

隣であかりが、心配そうにセレスの腕を引っ張るが、セレスは満面の笑みで応じる。「いいのよ、あかりちゃん! これこそが冥府のエンターテイメント! 人間どもの脆弱な魂に、深淵の恐怖を刻み込むの!」(ふふん、どうよ、この出来栄え! ルナリア姉様も、まさか私がこんな才能を発揮するとは思ってもいないでしょうね! 魔界のゾンビだって、これには敵わないわ!)セレスの心は、人間界での自由な表現と、周囲を驚かせることへの小さな優越感で満たされていた。

一方、健太は、お化け屋敷の最終チェックに奔走していた。薄暗い通路を懐中電灯で照らし、足元の配線に引っかかる危険はないか、壁に設置したおどかし用の仕掛けはきちんと作動するか、一つ一つ丁寧に確認していく。昨夜、ルナリアに指摘された鎖の絵は、彼女の助言通りに修正を加えたことで、まるで長年雨風に晒された鉄の冷たさや、錆び付いた質感が、見る者の目に訴えかけてくるようだ。

(月影さんのアドバイスは、本当に的確だったな……まるで、本当に古い城の構造を知っているみたいだった。あの時、さらっと言った『光の当たる部分を意識して明るく』とか、『影の部分は深く沈ませるように』っていう言葉が、こんなにも絵の印象を変えるなんて……それに、時折、ふと見せる、あの冷たい光を宿した瞳の奥には、一体どんな知識や経験が隠されているんだろう? ただの容姿端麗な転校生じゃないのは、間違いない。でも、それが何なのか、全く想像もつかない……)

通路の奥、ひっそりとした一角に、見慣れた黒い影が佇んでいるのが、健太の目に映った。ルナリアは、周囲の喧騒をまるで遮断したかのように、壁に飾られた古びた紋章のような装飾を、じっと見つめている。それは、クラスの誰かが適当に描いた、架空の紋章に過ぎないはずだった。

「月影さん、こんなところで何をされているんですか?」

健太が声をかけると、ルナリアはゆっくりと振り返り、その完璧な美貌に、相変わらず感情の機微を読み取れない、静謐な微笑みを浮かべた。「ええ、山田くん。この世界の『文化』というものを、少しだけ観察していました。あなたたちが、この『祭り』という特別な時間を通して、一体何を共有し、どんな感情を表現しようとしているのか……興味深い現象です。」

その言葉は、まるで異世界の学者が、珍しい動植物を観察するような、客観的で分析的な響きを持つ。健太は、改めて、彼女と自分たちの間には、越えられない壁のようなものが存在していることを感じた。「あの……僕たちのお化け屋敷は、どうですか? 少しは、怖いと感じますか?」健太は、彼女との間に、ほんの少しでも共通の話題を見つけようと、探るように問いかけた。

ルナリアは、その問いに、一瞬だけ列の方に視線を移し、そして再び健太の瞳を見つめ返した。「恐怖、ですか……確かに、暗闇や予期せぬ出現といった要素は、人間の根源的な不安を刺激するように設計されていると感じます。しかし、その奥には、共に困難を乗り越え、スリルを共有することで生まれる、奇妙な一体感のようなものも感じられます。それは、私たちが支配する世界では、あまり重視されない感情かもしれません。」(連帯感、か……下等な種族が、互いに寄り添い、弱さを補い合うための本能的な行動原理でしょうか。興味深い。支配という絶対的な力の前では、不要な感情ですが……)

その時、お化け屋敷の入り口から、セレスの甲高い悲鳴が響き渡った。「きゃあああああ! ゾンビが出たー! 助けてー!」それは、明らかに演技だと分かる、大げさな叫び声だったが、並んでいる人々、特に子供たちは、その臨場感に目を輝かせ、早くも恐怖と期待に胸を膨らませている。

ルナリアは、その騒がしい声に、ほんの一瞬、眉の間に深い皺を刻んだように見えた。しかし、すぐにその表情は消え去り、いつもの冷徹な美貌を取り戻し、健太に視線を戻した。「あなたのクラスの、もう一人の転校生ですね。月影セレス、と名乗っていましたか。随分と、この世界の『文化』に、積極的に適応しているようです。」(セレスティア……あの愚かな妹が、本当にこの世界に紛れ込んでいるとは……一体、何を考えているのだ? まさか、私の計画の邪魔をするつもりでは……あの騒がしい様子を見る限り、全く危機感というものがない。甘い感傷に浸っているのかもしれません……)

健太は、セレスの騒ぎぶりに、少しだけ顔を赤らめながら、「ええ、まあ……あいつは、明るくて、誰とでもすぐに打ち解けるんです。ちょっと、騒がしいところもありますけど……」と、どこか他人事のように答えた。

ルナリアは、健太の言葉を静かに聞きながら、その深い蒼の瞳の奥で、複雑な思考を巡らせていた。(山田健太……彼の周囲に感じる微かな魔力の歪み。そして、予想外の妹の出現。この二つの事象は、果たして偶然なのか? それとも、何か見えない糸で繋がっているのか……警戒が必要です。この世界の調査は、より慎重に進める必要があるでしょう。)

一方、演劇部の部室裏では、セレスが、舞台衣装の裾を握りしめ、今にも心臓が口から飛び出しそうなほど緊張していた。今日上演されるのは、古典的な恋愛悲劇を現代風にアレンジした劇で、セレスは、怪我をした先輩の代役として、物語の鍵を握る重要な親友役を演じることになったのだ。

「セレスちゃん、大丈夫? さっきから、ずっと手が震えてるよ。」

同じく舞台に出演するあかりが、心配そうにセレスの背中をさすった。

「う、うん……大丈夫、だと思う。でも、こんなにたくさんの人の前で、セリフを言うなんて……魔界では、考えられないことだから……緊張しすぎて、頭の中が真っ白になりそう……」(どうしよう、セリフを忘れちゃったら……舞台で転んだら……観客に笑われたら……ルナリア姉様が見ていたら、きっと呆れられるわ……でも、あかりちゃんや、演劇部の皆が、一生懸命練習に付き合ってくれた。絶対に、彼らの期待を裏切るわけにはいかない!)

舞台の幕が上がり、共演者の流暢なセリフが始まると、セレスは息を詰めて見守った。舞台照明の熱さ、観客席から伝わる微かなざわめき、そして、舞台上で繰り広げられる、喜び、悲しみ、怒りといった、生々しい人間の感情のぶつかり合い。それは、魔法のように直接的ではないけれど、言葉と身振りを通して、観客の心に深く訴えかける、不思議な力を持っていた。

そして、いよいよセレスの出番が近づいてきた。舞台監督の小さな合図が、セレスの背中を押し出す。一歩、舞台へと足を踏み出した瞬間、強烈なスポットライトが彼女を照らし出し、無数の視線が、まるで針のように彼女の全身に突き刺さるのを感じた。

(これが、人間界の『表現』の世界……魔法を使わずに、ただ自分の声と体だけで、これほど多くの人の心を動かすことができるなんて……信じられない。でも、やってみせる! 私だって、きっとできる!)

深呼吸を一つ、セレスは震える声で、最初のセリフを紡ぎ始めた。最初はぎこちなかった声も、物語が進むにつれて、役柄の感情と一体化し、抑えきれないほどの熱を帯びていく。共演者の言葉を受け、セレスの瞳からは、自然と涙が溢れ出し、その感情豊かな演技に、観客席からは、すすり泣く声や、息をのむ音が聞こえ始めた。

(ルナリア姉様……あなたには、この感情が理解できるでしょうか? 世界を支配する強大な力も素晴らしいけれど、自分の言葉や行動で、誰かの心を揺さぶり、共感を生む力も、また違う種類の、かけがえのないものなのかもしれません……魔法では決して得られない、温かい繋がり……)

舞台の上で、セレスは、魔界の王女という立場を忘れ、一人の少女として、役柄の感情を全身で表現していた。その姿は、普段の天真爛漫さの中に隠された、繊細で豊かな感情を、観客の心に鮮やかに映し出していた。

一方、文化祭の喧騒に紛れ、黒い影が校内を彷徨っていた。ヨレヨレのトレンチコートの襟を立て、大きすぎるソフト帽を深く被った男――ガルムは、焦燥の色を隠せない表情で、磨かれていない水晶玉を握りしめ、落ち着きなく周囲を見回している。

(くそっ! 魔王様の魔力の痕跡が、完全に消え失せてしまった! 一体、どこへ行かれたのだ? あの時、あの平凡な少年の周辺に感じた、微弱だが確かに存在する魔力の歪み……やはり、何か重要な意味があるに違いない! そして、あの信じられないほど美しい少女……あれほどの魔力を持つ存在が、なぜこんな下等な世界に……?)

ガルムは、数日前、人間界に降り立った直後に感じた、微かな魔力の波動を頼りに、この星ヶ丘高校に辿り着いた。しかし、文化祭の異常な熱気と、無数の人間のエネルギーに紛れ、肝心のルナリアの魔力は、まるで大海の一滴のように、全く掴むことができない。

そんな中、ガルムは、ふと、演劇部の立て看板に書かれた「ロミオとジュリエット」の文字に、訝しげな目を向けた。「ロミオとジュリエット……? 下等な人間どもの、陳腐な恋愛劇など、一体何が面白いのだ?」鼻で笑いながらも、何かに導かれるように、ガルムは劇場の方へと足を向けた。そして、薄暗い舞台の上で、見覚えのある、しかし信じがたい光景を目にする。

「な、なんだ、あれは……!? ま、まさか……セレスティア様!?」

ガルムは、自分の目を疑った。あの魔界のわがまま姫が、なぜこんな人間の舞台で、涙を流しながら演技をしているのか? しかも、あれほどまでに感情を露わにして……信じられない光景だった。(セレスティア様……一体、何があったというのだ? 魔王様は行方不明、そして王女様はこんなところで芝居など……このままでは、アストラルディアの威信は地に落ちる! なんとしても、お二人を見つけ出し、一刻も早く魔界へお連れしなければ……!)

焦燥と混乱に駆られたガルムは、文化祭の喧騒の中、必死に二人の魔王の姿を探し始めるのだった。それぞれの隠された目的と、予期せぬ感情の芽生えが交錯する中、星ヶ丘高校の文化祭は、静かに、しかし確実に、運命の歯車を回し始めていた――。


(第四話完)

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