ー16ー
「おれたちにとっては、楽園それ自体が未知の場所だ。楽園の地下深くにそういう特殊な場所があったとしても、不思議には思わない」
おれが言うと、ヒナはぎくりと意を突かれたような顔をした。
「な! セトさん、やっぱりするどいですね……。そうなんです。老人の言葉のなかにあるんです。地中へとつづく幾千の階段を降りた先に、その場所がある——」
階段で降りていくということは、その場所は人工的なものなのか?
「純政府が極秘につくった、キルラの影響がない場所——?」
「いや、それはわからないのです……」ヒナはあごに丸めた指を当てて、悩んだ。「老人の言葉を鵜呑みにするのなら、そこへ行くための経路は人工的なもの、であるはずです。しかし、キルラが届かない場所を人間が工作したのか。あるいは、天然のスポットとして発見されたのか。そこはまだわかりません」
そもそも、老人の言葉に信憑性があるのかも定かではない。
「その老人って、どんなやつ?」
なにげに言ってみたが、それは疑問に思って当然のことだろう。
「ええと……、言いにくいというか、なんというか。純政府権威長です。つまり、純政府内の最高権力者です」
「……ん?」
どうしてこう、ヒナからはぶっ飛んだ話ばかりが出てくるのか。頭がついていかない。けど、まちがいなくふだんは聞けない話ばかりだ。疲れのせいかすこし眠いけど、集中したほうがいい。
「すいません……。老人、だなんて、もったいぶった言い方をして……。その方は、若かりしころから純政府に勤めていました。主に軍事公務を担当していらしたのですが、六〇代に権威長に就任しています。その方が死ぬ間際、ベッドの上で一枚の紙に書いたのです。遺言、ともいいましょうか。なぜそれを大衆に知らせたかったのかは、謎なのですが……」
純政府の偉いやつらの一部がキルラの届かないところで、スマホだのパソコンだのを独占し、楽しんでいる……。考えつくところだと、それか。
それを隠しつづけた罪悪感で、老人は最期に事実を伝えた。あるいは、自分こそが楽しんだ人間のひとりであるからこそ、罪滅ぼしのつもりで言ったのか……。真実は本人のみぞ知るところか。
「そいつって、純政府長とはちがうのか?」
「はい。純政府長は国のリーダーです。いまや数すくない外交をする際の顔であり、みなが知ってのとおり国民の代表ではあります。といっても、基本的に地域それぞれの長がいて、その人物の手法により、各所の政治が動いていますから、あまり実感はないですよね……」
たしかに、そういえば国の代表がいるんだよな、と頭のどこかで思い出す程度の存在ではある。国の長より、街の長、とはよくいったものだ。
純政府はどうしても変えられない天気のような存在だが、街の代表はちがう。声も、手も届く、かなり近い存在だ。それゆえに、いい政治をすれば賞賛の嵐が巻き起こる。逆もしかりで、わるい政治をすれば、冗談にならない暴動が発生する。
「純政府って、街の政治にはあまりうるさく言わないんだよな? たしか、局所政治不介入、だっけ?」
「ええ、もちろん暴動によって殺人が起きそうな場合は別です……。といっても、表向きは別だといっているだけ、って感じです。悪政によって倒れる政治家がいるなら、自業自得、という考えが通っています。いつか殺されるかもしれない、という緊張があったほうがいいでしょ? 政治家なんだから、という感じで……」
実際のところ、町長やなんかが殺された、という話はいままで聞いたことがない。しかし、どこかでそういうことが発生していても、なんら不思議ではないだろう。その情報がこちらに伝わっていないだけで。
「純政府が敏感なのは、純政府に対して牙を向ける人物です。そういっちゃうと、やっぱり自己保身の塊のように聞こえてしまうのですが……」
「実際そうだろ? 安定思考の人間ばかりが集まってる」
「うーん……。かならずしも全員が絶対そうだ、とはいえないですけども、傾向は強いかなぁ……」
自分で口を突いておいて、ちょっと後悔した。最近、純政府への偏見が自分のなかで強くなっているかもしれない。こちらが悪口を叩かれたからといって、相手のコミュニティ全部をくくって悪者にするのは、いい傾向ではない。
「——わるい、あんたも純政府の人間ではあるんだよな」
「そこについては、なんというか……。博物館が税金で運営されていて、そこで働いているというだけなので、どっぷりがっつり純政府の人間です、と名乗れるほどではないです」ヒナは苦笑いで片手を後頭部にやった。「もし博物館が民間の運営になったら、それこそ純政府とは関係なくなりますし」
「おれの周囲にかぎったことだけど、純政府の話でいいことは聞かないんだ。おれ自身も、白灰の換金で役場に行くと変な目で見られることが多い。命知らずだとか、歩いて紙喰いを殺すくらいしか能がないとか。そんなようなことも実際言われる。だから——ごめん」
おれが言うと、ヒナはまた両手を広げてみせた。
「いや、いいんです、そんな……! わたしも思います。純政府、自分ばっかり守ってんじゃないよ、って……。保身と慢心、安定と衰退は、表裏一体です……」
これを言えるヒナだからこそ、楽園を飛び出して、いまはここにいる。その心労は、役場で小言を言われる程度のおれなんかとは、比にならないはずだ。
「わたしもセトさんとおなじですよ」
えへへ、と笑ってヒナは片頬をかいた。
「頭狂ってるとか、そんなことしてなんになるとか、人生を捨てるようなものだとか、さんざん言われながら、楽園を飛び出してきました。でも、他人の評価なんて気にしている場合じゃない。そんなものは時代と地域性に加え、一般世論が勝手に決めた傾向的意見にほかなりません。人の評価など、西暦や個々人の状況によっていくらでも変化します」
言いながら、ヒナは悔しさを噛んだような顔をした。
「ただ——信念というものは、どの時代でも通用します。一本の巨木みたいに、ときを超えて凛々しく在りつづけます。あくなき挑戦の思考は、時代をまたいで、後世に勇気や活力を与えつづける。わたしは、たった数十年の命を使って、何千年も語られる思想を遺したいんです。いつか、だれかがわたしの言葉を拾って、勇気を得られるように……」
ここでリュウゾウやタツオがいたら、また拍手が起こっているだろう。さすがにおれは、そこまでのリアクションはとれないが。
「あんた、頼むから死なないでくれよ。それで、あんたが遺すものを、おれにも見せてくれ。できれば無料で」
なにかがうけたのか、ヒナは両手を叩いて笑った。
「できればもなにも、当たり前です! むしろ、取材料を支払わなければならないくらいです」
「あ、これって取材なのか?」
おれが言うと、ヒナは急にぴたりと止まって数秒固まった。
「——世間話です」
「そっか。なら、取材料は発生しないな」
「ええ。はい。発生しません」
ここでふと、ヒナはこの旅のためにほぼ無一文になったことを思い出した。金の話はやめておこう。
「……そうだ。あんたに訊かないといけないことがあった。——というか、もう訊いているけど」
「あ、それです。わたしもその件を話しにきたのに、なんだか脱線ばかりしてしまって……」
いま、どちらもおなじ単語を考えていると、図らずもわかる空気が流れた。
「人の罪——」先に言ったのはヒナだった。
「それについて、なにかわかるなら、教えてほしい」
すぅ、と息を吸ってヒナは目を閉じた。
「ちょっと、現実離れした話になってしまいますが……、ご容赦を……」
「いまさら、なんだっておどろかない」
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