第7話 悪魔と契約を交わしました

 マナが騎士に手を引かれフェアラートの元へ走っている頃、リリィは上空で大きなため息をついていた。

 その表情はどこか退屈そうだ。

 

フェアラート王子様の顔も見飽きたし、そろそろこの余興もおしまいかしら」


 リリィは短剣を手持ち無沙汰な様子でくるくる回している。

 すると、彼女の前に一人の男が現れた。

 

「ならば、俺と違う余興でもするか?」


 その男は挑発的な笑みを浮かべている。

 リリィは突如現れた男に驚きながらも、すぐにそれが何者であるかを理解した。


「これはこれは、珍しいわね。悪魔が地上にいるなんて、どういう成り行きなのかしら。でもそうね、本番のお楽しみはないわけだし、貴方と殺り合うっていうのも素敵かもね」


 リリィは彼の挑発に乗り、楽しげな表情を浮かべながら唇に手を当てる。

 

 ──やっと面白くなってきたわ……!

 

 長い封印から解かれた今。

 退屈な見世物よりも、命のやり取りのほうがずっと興がそそられる。


「ずいぶんと舌が回る魔女だ」

「だってニ十年ぶりの地上よ! 楽しくないわけがないじゃない! ずーっと魔法を使えなかった分、魔力も溢れているの。そう! 今なら悪魔にだって負ける気がしないわ」


 リリィはますます饒舌じょうぜつになり、高揚しながら笑ってみせる。

 

「封印され己の力量すら測れなくなったか。魔女ごときが、悪魔おれに勝てるはずないだろう」


 見下すように嘲笑あざわらう彼の態度に、リリィの高揚は次第に苛立いらだちへと変わっていく。

 

「……やってみなきゃわからないじゃない!」

「無理だな。まあ、精々しらけさせないようにしてくれよ」


 しびれを切らしたように奥歯をぎりっと噛んだリリィは、勢いよく手のひらを前にかざす。


「そうやって……! 余裕ぶってられるのも今だけよっ!」


 黒い渦といかずちが合わさった魔法が、凄まじい速さと威力でレイの方へと向かっていった。

 

 ──ああ、やっぱり魔力が溢れているわ……!

 

 そう実感し、自分の手を眺めながら色香のある吐息を漏らす。

 だがレイは冷静にその魔法を見据え、剣を盾にして防いだ。

 何事もなかったように無表情だったが、それで怯むリリィではなかった。


「ふふっ。そうよね、あんなくらいじゃ倒れないわよね。……でも、次はどうかしら⁉︎」


 リリィは愉悦ゆえつに浸りながら、先ほどの魔法を今度はレイの四方を取り囲むように放った。

 彼の周囲が黒い渦に巻かれ、黒光りするいかずちで充満していく。

 その光景と大きくうねりを上げる大気に、リリィは恍惚こうこつとした。


「あはっ、綺麗ね。さすがの悪魔もひざまずいたんじゃない?」


 くすくすと笑うかたわらで、放った魔法が何かに吸い込まれるようにして跡形もなく消えていく。


 ──そんなはずは……!

 

 最大の魔力を込めたはずの攻撃。

 笑みを浮かべたままのリリィだったが、じわりと冷や汗が滲むのを自覚する。


「終いだな」


 レイは冷たく嘲笑あざわらう。


「……そんなわけないじゃない! まだまだ、これからよ!」


 リリィがまた手をかざしたと同時に、レイは瞬間移動したかのごとく距離を詰め、彼女の手首を掴んだ。

 

「もう少し楽しめると思ったんだが」

「……っ‼︎」


 冷たい手の感触にリリィは動揺を見せると、レイは冷酷な笑みを浮かべ、囁く。

 

「魔女の肉は腐敗臭がして不味い。そして、俺は不味いものは食わない主義だ。よかったな、魔女で」

「はあ⁉︎」

「死を理解する間もなく死ねるぞ」

「だから! そうやって余裕ぶっ…………」


 レイが音もなく振り下ろした剣は、すでにリリィの体を二つに分けていた。

 そのまま魔女はちりとなり消えてく。

 レイの言葉通り、リリィは自分が斬られたと理解するよりも前に消滅した。


「魔術を使うまでもない。余興にもならなかったな」


 魔女の消えていく様を鼻で笑ったレイは、マナのいる方向を探した。



 ꧁——————————꧂



 マナはフェアラートを救うため、騎士たちが見守る中で祈りを続けている。


 治癒を始めてから一分ほどだろうか。

 フェアラートが勢いよく吐血し、せるように咳き込んだ。

 息を吹き返したことに安堵しつつ、そのまま治癒を継続する。


「……マ、ナ…………」


 フェアラートが口を開き意識を取り戻すと、「おぉ」と騎士たちの安堵した小さな歓声が漏れた。

 うつけながらも目の焦点にブレはなかったので、もう峠は越えただろう。

 マナのこわばっていた顔から力が抜けていく。


「はい。意識が戻ってよかったです。でももう喋らないでくださいね。内蔵の損傷が酷くて、あと少しかかりますから」

「……すまない」

「とんでもない」


 にこりと微笑むと、フェアラートはゆっくりと目を閉じた。


 …………

 ……

 …


 

「もう大丈夫です」


 大まかな治癒を終えたマナは息をつく。

 額には大量の汗をかいていた。そのくらい、フェアラートに聖力を尽くしていたのだ。

 

 完治にはまだ時間と治癒魔法が必要だが、ひとまず血の気の戻った彼の寝顔に、やっと心から安心できた。


「マナ様! ありがとうございます!」

 

 騎士たちは歓声を上げ、次々とマナに感謝の言葉を述べ始める。

 安堵と歓喜が入り混じり、場は一気にざわめきに包まれた。


「おい、これはなんの騒ぎだ?」


 そんな中、低い声が割って入った。

 レイが怪訝けげんな顔をしながら周囲を見回し、マナのほうへと近づいている。


「マナ様、この方は……?」


 見慣れない顔に、異質な服装の男性。

 騎士たちは不思議そうにレイを見つめていた。

 

 当然、悪魔だとは言えない。

 

「あ……えと、知り合いです!」


 マナは咄嗟とっさに言葉を発し、不自然な作り笑顔を浮かべながら続ける。

 

「皆さんは、目が覚めるまでフェアラート王のそばに!」


 騎士たちが納得したのかどうか確かめる暇もなく、素早くレイの背を押し、逃げるようにその場から離れた。


 歩みを緩め、ようやく足を止める。

 レイには確認しなければならないことがある。

 神妙な面持ちでマナは尋ねた。

 

「……魔女は?」

「お前の『お願い』通りだ」

「本当……?」

 

 疑いの言葉をかけたものの、レイが一人で戻ってきたということは、そういうことなんだろう。

 確かに、あの魔女の魔力はもう感じられない。

 レイの言う通り、魔女は消えた。


 しかし、闇のような空間は一向に晴れず、魔物に変えられた騎士たちも人間に戻らない。

 そんな困惑を察したのか、レイがその答えを呟いた。


「魔女の残痕ざんこんか」

「残痕……?」


 聞いたことのない言葉だった。


「呪いみたいなものだ」

「……どうしたらその呪いは解けるの?」

「普通の呪いならば、かけた本人に解かせたりもできるが。残痕となれば、誰かが浄化するしかあるまい」

「浄化……」

 

 浄化は治癒や解毒魔法などより高度な魔法で、聖力の消費も激しい。

 今の自分にそれだけの聖力が残っているのか、仮に全快だったとしても王宮全体を囲んでいるこの空間を浄化できるのか。

 徐々にマナの顔が曇っていく。

 

「レイは……浄化の魔術とか使えないの?」

「悪魔がそんな神聖な魔術を使うと思うか? 消滅ならすぐにでもやってやるが」

 

 小馬鹿にしたようにレイが答えてきた瞬間、自分がどれだけ愚かな質問をしたのかに気がついた。

 焦燥感に駆られ口にしてしまった言葉、それがまた自分の無力さを痛感させられる。

 

 ──今の私にできることって何?


 思い詰めていると、ふと間隙かんげきを縫うように「お願い! しっかりして!」という女性の悲痛な叫びが割り込んできた。

 聖力が残っておらず体力も底を尽きそうだったが、その切実な声にマナの身体は自然と反応していた。


「どうされました?」


 女性の肩に手を添えて、落ち着かせるようにゆっくりと話しかけた。


「夫が……魔物になって倒れたまま……。夫だけじゃありません、就任式の途中で騎士たちが魔物に変貌へんぼうしていって……」


 女性は顔を手でおおい、さめざめと泣き始める。

 この夫婦以外にも大事な家族、恋人、友人がリリィの被害にあっているに違いない。


 魔女が消えても傷痕きずあとは残り続ける。

 残痕とはよく言ったものだ。

 そして、その傷痕を消せるのが聖女であるならば、答えは一つ。

 

「安心してください。私がなんとかしてみせます」


 マナは王宮の中心となる場所を探す。

 おおよその目星をつけ、そこに膝をつけると胸の前で手を組み、静かに目をつむった。


 治癒魔法の時とは違った、真珠のような虹彩こうさいをした清澄せいちょうな光がマナの身体を包み、その浄化の光はマナを中心にして拡大していく。

 

 ──もっと広く、もっとたくさんの人まで……!

 

 眉間にしわを寄せながら目を強くつむり、一層聖力を強める。

 

 しかし、限界に近い身体は半径三メートルくらいしか浄化域を拡大できず、状況が変わったとは言い難いものだった。

 当然、マナ自身もわかっていた。

 自分の無力さに、心がくじけそうになる。

 

 そんな時、消え入るようなか細い声が聞こえた。

 

「マナ様……。どうか、我らが同胞を、皆の家族を……お救いください……」


 治癒魔法で意識を取り戻した騎士だった。崩れた壁にもたれかかりながら切実に訴えてくる。

 それを皮切りに、次々と助けを求める声が胸に響き渡った。


「マナ様……どうか」

「助けてください……」

「仲間を戻してやってください!」

「マナさまああああ!」


 ここにはいない倒れた騎士たち、救助している人たち、子供たち。

 幻聴かもしれない。でも、みんな助けを待っている。

 自分ならやってくれると、信じてくれている。

 

 ──諦めない!

 

 今一度、強く祈る。

 献身的な彼女の隣で、レイは腕組みをしながら冷笑していた。


「実に滑稽こっけいだな。お前の力では、浄化は無理だ」

「それでも! 助けを必要としている人たちが大勢いるの!」

「何故そこまでして助けようとする? 魔女を引き入れたのは、こいつらだろう? 諦めて、他の国にでも移った方が楽じゃないか?」


 彼の言うことだって、痛いほどわかる。

 でも、目の前で傷ついて泣いている人たちのことを見て見ぬふりなんて出来ない。

 仮にそうしたとしても、いつか絶対に後悔する。

 

 母が大聖女だからとか自分が聖女だからとか、そういうのは関係ない。

 この気持ちは根源的で昔から心の底にあるもの。

 それを曲げてしまったら、きっと自分ではなくなってしまう。


「この人たちは何も知らなかっただけ。子供たちともまた遊ぶって約束をしたの。それに、この場所はずっとお母さんが守ってきた場所……! それを見捨てるなんて、私が許さない!」


 聖女として、してはいけないこと。

 悪魔と契約すること?


 ──ううん、違う。


 覚悟を決めた。


 ──もう、迷いはない……!

 

 うるみながらも、力強さのある真っ直ぐな瞳でレイに告げる。


「レイ! 私に力を貸して! これは命令、契約よ! 大聖女になったら……私の心臓をあなたにあげるわ‼︎」


 レイは不敵に笑い、問う。


「二言はないな?」


 一度、大きくうなずく。


「いいだろう。契約成立だ」


 その瞬間、レイは唇を重ねてきた。


「……‼︎」


 驚きで体が硬直する。

 唇を離した彼は、冷ややかな笑みを浮かべていた。

 

「美味いな。やはり聖女の生気も、人間のそれとは違うようだ」


 親指で口元を拭いながら、レイは満足げに呟く。


「なんで……キスなんか……!」


 震える声を前にしても、彼は冷淡な表情を崩さない。

 

「命令通り、お前に力を分けてやった。この辺り一帯なら浄化できるだろう」


 そう言われてハッとする。

 確かに、体から発せられる聖力が増しているのがわかった。

 今までに感じたことのないほどの力が、体内から溢れ出している。

 

 そっと手のひらを開き聖力を込めると、透き通るようで鮮やかな輝きが指先を包み込んだ。

 

 ──これならきっと、浄化できる……!


 胸に安堵の気持ちが広がり、希望が宿る。

 手のひらを握りしめ、もう一度浄化をしようとした、その時。


「足りなければ、もう一度分けてやるが?」


 視線をこちらに下げて舌なめずりをするレイに、思わず心臓が高鳴った。

 青い瞳が妖美に煌めいていて、また吸い込まれそうになってしまう。

 

「……十分だから!」


 そうなる前にと、急いでレイから目を逸らした。


 ゆっくりと深呼吸をし、もう一度目をつむる。

 そして全聖力を捧げ、祈った。


 マナを中心として、浄化の光が王宮一体を包み込んでいく。

 しんしんと舞い散る雪のように、淡い輝きをした粒子が王宮中に降り注いだ。

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