第3話 異変と胸騒ぎ

 マナは裏庭で膝をかかえ、月明かりに照らされながら一人泣いていた。


「……お母さん。私、どうしたらいいの……」


 力のないことがこんなにも悔しくみじめに感じるなんて思わなかった。

 自分だって他者を思いやる気持ちは持っている。それが足りないのが原因なのか。

 思い詰めても答えは見つからない。


 それでも延々と泣いていると不思議なもので、こんなにも悲しく辛いと思っていながらも、もう一滴の涙も流れなくなっていた。


 大きなため息をつき夜空を見上げる。

 いつもと同じ夜空なのに、乾いた目で見る星々の光は目に刺さるようだった。


「部屋に戻ろう……」


 ゆっくりと立ち上がり、この裏庭も今日で最後だったのかと名残惜しむように周囲をくるりと見渡す。

 ふとあるところで視線が止まった。

 数メートル先、裏庭の一部が円を描くように黒ずんでいる。

 マナは不審に思いながら駆け寄った。


「なに……これ……」


 そう言ったマナの顔は蒼白そうはくとしていた。

 幅一メートルくらいに黒ずんだその一帯だけ、薬草や花々が枯れている。枯れているというよりは、腐っていると言った方が正しい表現かもしれない。

 闇の中で異様な気配を放っていた。

 しかもその一箇所だけではなく、また数メートル離れた場所で、同じように黒ずんでいる場所が数ヶ所もある。

 

 ──昼間にはこんなものなかったのに……。


 とにかく今自分に出来ることをと、マナは黒ずんだ草花を前に正座し、胸の前で手を組んだ。


「お願い……。もう一度咲いて……」


 マナの身体が光に包み込まれ、その光が草花へと広がっていく。

 光が触れたところから草花は息を吹き返し、元あった緑々あおあおしい姿へと戻っていった。


「よかった……」


 生気を取り戻したとこに一安心して、その後も黒ずんでいる一帯に祈りを捧げ続けた。


 …………

 ……

 …

 

 蘇った薬草や花々についたつゆが月明かりを反射させ、裏庭を星屑のように輝かせている。

 その景色を見てやっと胸を撫で下ろせた反面、大きな胸騒ぎが襲ってきた。


 ──あの感じ、邪悪な魔力が込められていた……。でも、一体誰が……。

  


 ꧁——————————꧂



 胸騒ぎが消えないまま朝になった。


 昨日執事に指示された通り、朝には退去できるよう最後の整理をしている。

 忘れ物がないか執拗しつように引き出しの中を何度も確かめた。どうせ洗濯するだろうがベッドも綺麗に整えた。聖女服もハンガーにかけシワが出来ないように仕舞った。

 自分がいたという形跡を、一つも残したくなかった。


 身支度を終えた私服姿の自分の姿を鏡越しに見て、眉を下げながら鏡に向かって微笑む。


「……お疲れ様でした」


 コットンリネンのワンピースと大きな鞄が一つ。

 半年ほど前に王宮へやってきた時と同じ格好で、元自室を後にした。

 


 うつむき加減で長い廊下を歩いていると、反対側から数人の騎士を従えた白いドレス姿の女性が歩いてくるのが視界に入った。


 その女性はマナと同じほどの背丈であったが体つきは全く異なっていて、豊満な胸と妖艶ようえんにくびれた腰回りをしている。

 紫がかった黒髪は毛先までサラッとしていて、視線を逸らせない大きい目が印象的だ。

 そして誰もが羨むような、綺麗と可愛いを凝縮させた顔をしている。

 

 瞬時に、マナはこの女性が新しい聖女なのだと悟った。

 女性がまとっているドレスを自分も着たことがあったからだ。

 それは半年ほど前、王宮で行われた聖女就任式の時に着たドレスに違いなかった。

 

 使い回してたのかと怪訝けげんな顔にもなったが、その女性の美貌と身体の曲線美によって、同じドレスとは思えないほど印象が違った。


 女性は嘲笑あざわらった顔でマナと目を合わせ、そのまま優雅に横を通りすぎていく。

 きっとフェアラートか執事から旧聖女自分のことを聞かされたんだろう。

 それは『落ちこぼれの聖女』を見る表情だった。

 

 これからあの女性、新聖女の就任式が行われる。

 でも、何も告げられていない。

 それはまるで、「初めからいなかった者」として扱われているようだった。


 ──最後に裏庭だけ見ておこう……。


 昨晩の異変が気掛かりで、王宮から去る前に裏庭へと向かった。


 ………

 ……

 …

 

 裏庭自体はいつも通り、綺麗な緑の絨毯じゅうたんが広がっている。


「良かった……」


 そう胸をなでおろしたのは束の間でしかない。

 昨晩よりも、もっと異変なことが起きていた。裏庭と繋がった数キロメートル先にある森の方だけ夜のように暗い。

 普段は基本立ち入り禁止になっている森。

 あの森の奥深くで、母は魔女を封印したと言われている。


 ──昨日から何かがおかしい……。


 昨晩の比にならない胸騒ぎが全身を脈打つ。

 不安と恐怖で足が震えたが、意を決して森へと足を踏み入れる覚悟を決めた。


 ꧁——————————꧂

 

 マナが森へと動いたその頃、王宮内にある教会では新聖女の就任式が開かれていた。


 主祭壇の中心ではフェアラートが椅子に腰掛け、その右隣にいる近衛騎士が起立しながら式を進めている。

 執事はフェアラートの真後ろで直立しており、左隣では新聖女が手を前に組んではんなりと立っていた。

 

「この女性こそが此度こたび正式に迎え入れた我が王宮の新しい聖女、リリィ=フレイヤ様である!」


 近衛騎士が張り上げた声で新聖女──リリィを紹介した。

 リリィはゆっくりと足音を立てずに前に出ると優美な一礼をし、すうと息を吸い込む。


「ただいまご紹介にあずかりました。新たにこの地区を守護させていただきます、わたくしリリィ、と申します。『あの大聖女』が守ったこの地区を守護させていただけるなんて、恐れ多くも感謝でしかごさいません。皆様と力を合わせ更にこの地区を、そして王国を、良きものへと変えていく手助けが出来ればと思っております。不束者ではございますが、何卒よろしくお願いいたします」

 

 教会に集められた人々は盛大な拍手をリリィに送る。男女問わず、皆見惚れていた。

 リリィの完璧な抑揚と言葉の間、そしてお辞儀までの所作。

 国が国なら、この立ち振る舞いで天下を取れてしまうんじゃないかと思うほど美しいものだった。

 

 見惚れていた近衛騎士も我に返り、「ごほん」と咳払いをして司会を続ける。

 

「昨日、すでにリリィ様から『聖なる光』を授かった者もいる。その者にはリリィ様のお力がどれ程なのか伝わっていると思うが、きっと皆、リリィ様こそが第二のドロシア様に相応ふさわしいと実感しているだろう。その聖力、包容力、そしてこの美貌。我が王国に偉大なる功績をもたらす聖女……いや、大聖女となるだろう!」


 近衛騎士が手を振りかざしたと同時に、教会内に大きな歓声と拍手が響き渡った。

 皆、リリィを歓迎している。


 しかし。

 天使のように微笑んでいたリリィの顔が冷たく奸悪かんあくなものへと変わったことに、誰一人として気がつかなかった。

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