第2話 裏切り

 いつだって、物事の終わりは突如として何気ない日常にやってくる。

 

 母が死んだ日も、王宮に呼ばれ田舎を離れた日も、その瞬間までは、いつもと変わらぬ毎日だった。

 だからこの日だって、それが来るまでいつもと変わらない日を過ごしていた──。


 夏の陽射しがまだ柔らかな午前中、薬草を取りに王宮の裏庭へと足を運び、昼頃に所持していったサンドイッチで軽めの昼食を取った。

 そしてまだ陽が傾く前、ある程度の薬草が採取出来たところに王宮使用人たちの子供ら四人が現れた。

 男の子三人と女の子一人。五歳から七歳くらいの子どもたちだ。

 

「マナ様、またここにいたんですね」

「今日は何して遊びますか?」

「僕、鬼ごっこしたい!」

「マナ様のお仕事の邪魔しちゃダメでしょ!」

 

 子供たちは思い思いの言葉をかけながらマナを囲む。

 その無邪気な瞳や仕草がとても愛らしかった。

 

 それに騎士たちと違い、「聖女」ではなく「一人の人間」として見てくれているようで嬉しくもある。

 兄弟のいないマナにとって子供たちは弟や妹のような存在で、子供たちからしてもマナは良き姉のような存在であった。

 

「ありがとう、もう薬草も必要分は取れてるから大丈夫。……じゃあ、鬼ごっこ、する?」

 

 マナは子供たちに負けないくらい元気で、にんまりとした笑顔を返す。

 その笑顔を見た子供たちは「やったー!」と飛び跳ね、すぐに誰からともなく声が上がった。

 

「いつも通り、マナ様が鬼ね!」

「逃げろ逃げろ!」

「はいはい! みんなちゃんと逃げないと、すぐに捕まえちゃうからね!」

 

 一斉に駆け出した子供たちに、マナは元気よく叫んだ。


 

 楽しい時間はあっという間に過ぎていく。

 まもなく夕飯の時間になるからと、空がうっすらオレンジ色になろうかという頃に子供たちと別れることになった。

 

「マナ様、またね!」

「次こそは負けないんだから!」

「えー! 次はかくれんぼだよ!」

 

 裏庭から離れながら、子供たちは弾けるような笑顔で大きく手を降ってくれた。

 マナも汗ばむ額を拭い、小さな手のひらが見えなくなるまで手を振り続ける。

 心地よい疲労感と裏庭に残った明るい声に心が温かくなって、明日は何して遊ぼうかなと、童心に戻りながらその場を後にした。



 自室へ戻ったマナは、真っ先にシャワーを浴びる。

 それから髪を乾かし聖女服から私服に着替えると、「さあ、やるぞ」と気持ちを新たに採取した薬草の仕分けに取り掛かった。

 

 作業を始めてから数分後。

 コン、コンと、秒針のようにゆっくりとしたノック音が部屋に響く。


 そのノックが、物事の終わりを告げる合図だった──。

 

「はあい。今開けまーす」

 

 手に持っていた仕分け前の薬草をカゴの中に戻し、軽やかに扉へと向かう。

 こんな時間に珍しい誰だろうと、首を傾げながらドアノブに手をかけた。

 

「……!」

 

 予想外の訪問者に思わず目が丸くなり、身体に緊張が走る。

 そこにいたのはフェアラートの側近である、あの執事。

 糸で吊られているんじゃないかと思うほどの真っ直ぐな姿勢で、なんの感情も乗っていない微笑を浮かべていた。

 

「お疲れ様です。……えと、私になにか?」

「ええ。この度、新しい聖女を迎え入れる運びとなりました。マナ様におかれましては、明日朝にはご退室いただきますよう、ご準備のほどよろしくお願いいたします」

「え……?」

「ご苦労様でした」

 

 淡々と告げることだけ告げた執事は同じ姿勢のまま扉から離れていく。

 無駄なことは決してしない、完璧主義で効率重視な執事の人格が滲み出ている歩き方だった。

 それを見ているマナは、ただ茫然としていた。

 

 ──クビ……ってことだよね。

 

 あまりにも突然すぎて、晴天の霹靂とはこういうことなのかと実感する。

 本当に頭上へ雷が落ちたような衝撃で、頭と気持ちの処理が追いつかず執事を引き止める言葉すらすぐに出てこなかった。

 

 扉の前で立ち尽くし、虚無の時間がしばらく流れる。

 そうしているとなんとなく実感が湧いてきて、ふらふらとベッドまで歩くと勢いよく横たわった。

 

「まあ、しょうがないか。みんなの期待に添えなかった私がダメだったんだろうし……」

 

 納得がいかないという不満よりも、当然の結末なんだろうという、やるせなさの方が大きかった。

 それと、もう暴言も言われなくなるんだという安堵感。

 呼ばれたのが突然なら追われるのも突然だなと、ぼんやりと考えていたら自然と涙が溢れていた。

 それを拭う手から薬草の匂いがして、今度は声を出して泣いていた。



 泣ききったマナは放心状態でベッドに横たわっていた。

 

 ──お母さんの名前にも傷を付けちゃったな……。

 

 いつも胸元にしまっている小さな絹の袋を取り出すと、その中に入れている母の形見である青いダイヤモンドを手のひらに乗せた。

 

 深海のような深い青色をしていて、動かすたびに結晶内で輝きを変える。中に満天の星を詰め込み、見たものを虜にしてしまうような煌めき。

 そんなブルーダイヤモンドだった。

 

《この宝石には不思議な力があるの。心からマナが何かを望んだ時、いつかマナの力になってくれるわ》

 

 今から十三年前、当時二歳だった自分に母が残していった手紙にはそう書かれていた。

 不思議な力のこともわからなければ、今何を心から望んでいるのか自分自身にもわからない。

 

「お母さん……」

 

 弱々しく呟くとダイヤモンドを強く握りしめ、身体を丸めた。




 泣き疲れたのか、どうやらそのまま眠りについてしまったようで、気がついたら夜になっていた。

 

 せめて最後にフェアラートにお礼がしたいと、また聖女服に着替え、王室へと足を運ばせる。

 長い廊下を足音が立たないよう慎重に、そして最後になんと言われるのだろうと緊張しながら歩いていた。

 

 王室の前は不気味なほど静かだった。

 いつも扉の前にはあの執事が立っているのだが、どうやら今日はいないようだ。

 

 ──まあ、そういう時もあるよね。

 

 深くは考えずノックをする前に深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。

 すると、中での会話がわずかに聞こえてきた。

 

「我が国が威厳を取り戻すのも、時間の問題だな」

 

 それは、フェアラートの声だった。

 

「はい。二十年前のあの日、そして大聖女様が亡くなってからのネームルア国の評判は地に落ちる一方でしたからね。明日、正式に迎え入れる聖女の力と、フェアラート様の天性の才能をもってさえすれば、容易いことかと」

「俺は、必ずこの国を蘇らせてみせる。そして父上の無念、絶対に晴らす。父上も、きっと空から見守ってくれているはずだ」

 

 どうやら、あの執事と会話をしているようだ。

 聞いてはまずいものだとは思いながらも、引き返そうという一歩も、ノックをしようと扉にかざした手も動かせずにいる。

 いけないことなのは重々承知しているが、彼らの会話に少しだけ興味を持ってしまった。

 

「新しい聖女の働きには期待をしてよろしいかと。わたくしは先に力を拝見させていただきましたが、あれは『落ちこぼれ』よりも使えますね」

 

 執事の言葉で心音が乱れ始める。

 不意に聞かされる『落ちこぼれ』はけっこう堪えた。

 

 そして、新しい聖女。

 執事がそこまで言うなんて、どれほどの力なのだろう。

 

「そうか。それにしても、マナは期待外れだったな。ドロシア様の娘だというから、わざわざ田舎から連れてきたというのに……」

「あの聖女は、最後までフェアラート様の寵愛にお気づきになりませんでしたね」

「偽りの寵愛だけどな」

 

 彼のその言葉は、心臓の鼓動を一層激しくさせた。

 心音は頭の中にまで響き渡り、鼓膜を突き破りそうなほどだ。

 

 ──偽、り……?

 

 身体中を冷たい何かが駆け巡った。

 これ以上はここにいない方がいいと、全身が叫んでいる。

 だが、心だけはその先を知りたがっていた。


 マナは苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、そこから動かずにいた。

 

「大聖女ドロシアの伝承だと、『皆を守りたい』という強い思いがきっかけとなって、結果魔女を封印できたんだろう?」

「はい、そのように。聖女の力の根源は、他者を思いやる心だと聞きますからね」

「『なら、思やる相手は俺でもいいはず』と、わざと落ちこぼれという評判を広め、そこで俺が助け舟を出して惚れさせて、それから国のため存分に力を発揮してもらう、というシナリオだったが……。田舎育ちのじゃじゃ馬には無駄だったな」

 

 表情こそは見えないが、それは鼻で笑ったかのような物言いで、普段のフェアラートの声色からは想像もできないものだった。

  

 ──やっぱり、あれ以上は聞くべきじゃなかった……。

 

 愕然とし自分のとった行動を後悔すると、聖女服を胸の上からぎゅっと強く握り、音もなく扉の前から離れた。

 

 誰かが言い出した『落ちこぼれ』は、フェアラートから始まったもの。

 王子様のように現れ優しくしてくれたのも、全部惚れさせるため。

 

 キラキラと輝くあの笑顔に射られないようにしておいてよかったと冷静に考えていながらも、大粒の涙を流しながら長い廊下を走っていた。

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