2話 Painting

 ジャックは一人、だだっ広い書斎に籠もって、綴り続けている原稿と対峙している。


 朝に締結した約束もあって、シャンティーは意気揚々と「今日はママと遊ぶ!」と、ジャックをバッサリと切り離した。ハンナもそんな娘に「そうしましょ」と満足げに答え、夫だけを過酷な世界に置き去って行く。


 何だか、まぁ、寂しい気がするが……今は、仕事に取りかかる方が大事だからな。

 ジャックはふうと小さくため息を吐き出してから、はたと止まっていた手を動かし始めた。


 キーパッドに軽く触れる指先がタタタッと滑らかに動くと共に、画面の中で文字が配列されていく。

 それは徐々に一文字から一単語へ、一単語から文章へ、文章からとある場面と成っていき、物語が構築されていく。


 ジャックは「うーん」と眉間の皺を揉み込みながら、自分が書き綴った空想の世界を吟味した。


 よくよく考えてみると。ここの場面でギルが出ると、少し早すぎる気がするな。ギルはまだ、自分の立場と想い、そしてキャサリーンの想いに葛藤しているべきだ。

 となると、この場面はダニエルだな。ダニエルがサポートして、二人の山を作った方が良いだろう。

 ダニエルを演じる俳優も、あの名優。バート・クレヴェルだと聞いた。彼は情熱的な演技が上手い人だから、殊更この場面を良くしてくれるだろう。


 ジャックはうむと唸り、スッと右手の薬指をバックスペースに添わせた。そのまま軽く指先を押し込み、画面の中で羅列した文章が音もなく、スーッと一気に消えていく。


 パッと指先を離した。

 ピタッと消えていく文字が止まる。


 別の場面へ組み替えるに充分な空白が生まれ、ジャックは脳内で張り巡らす思案の一つずつを吟味しながら、指先を動かし始めた。


 タタタッと、純白の世界に黒い文字が新たに刻まれていく。

 その時だった。


 コンコンコンッ


 戸から、朗らかな音が発せられる。

 ジャックはピタと手を止め、少し離れた入り口に視線をあげた。


 すると、またコンコンコンッ、コンコンコンッと断続的なノックが弾ける。


 はて、誰だろうか。考えられるとしたら、セバスチャンだが。セバスチャンは舌を巻く程に優秀な執事だ。俺の仕事を遮る様な事は行わない。

 となると、ハンナか、シャンティーか? いや、その二人でも些かおかしいものがあるんだがなぁ。


 戸の向こう側に立ち、ノックだけし続ける存在に考えを巡らすジャックの顔が、徐々に渋面となっていく。


「誰だい?」

 ジャックの方から先に、問いかけた。

「ダディ」

 返ってきた声は、舌っ足らずが残る、可愛らしい声音。


 そうか、シャンティーだったか。と、ジャックの渋面が、緩やかに瓦解された。


「どうしたんだ、ティティー。お母さんと遊んでいるんじゃなかったのかい?」

 すまないが、ダディはまだ仕事が終わっていないんだよ。と、ジャックは申し訳なさそうに付け足してから、キーパッドの上に置いていた指先を滑らかに動かし始める。


 カーソルがドンドンと右に移動していき、文章が羅列していく。

「分かっているわ」

 戸の向こうから、シャンティーの朗らかな声が飛んだ。

「でもね、ダディとの絵を沢山描いたから見て欲しいの」

 本当に、上手に描けたから。と、興奮気味な声が発せられるや否や、戸の下の隙間から、サーッと紙が滑り込んでくる。


 ジャックは目の前に集中し、「そうだったのか」と生返事で返すだけだった為に、入り込む紙には気付いていなかった。


 だが、サーッ、サーッと床の上を滑る摩擦音が徐々に大きくなると、彼の手はようやく止まる。


 視線の先には、戸の隙間から吐き出された紙が雑然と広がっていた。


 見せたいと言う絵は一枚だけじゃなかったのか。

 ジャックはバッと散らかる紙と眼前の物語を交互に一瞥してから、徐に立ち上がった。


 そうして入り口付近で散乱する紙を一枚、一枚拾い上げる。

 クレヨンで描かれた絵が五枚、ジャックの手元に渡った。

 ジャックはぱらぱらっと捲って、描かれた絵を見る。


 花畑の絵。動物園の絵。遊園地の絵。リビングの絵。近所の公園の絵。

 場面や色使いは様々だが。どの絵も、子供らしい人間像(まるで、ジンジャーブレッドマンの様な、可愛らしい人間だ)で描かれたハーヴィー一家が和気藹々と楽しげに収まっていた。


 ジャックの目がふにゃりと細められ、口からは幸せがフフッと小さく零れる。

「ありがとう、ティティー。これで仕事を頑張れるよ」

 ジャックは戸の向こうに立っているであろうシャンティーに声をかけてから、ゆっくりと机の方へと戻った。


 その道中、手に収まっている絵をペラリ、ペラリと捲りながら。


 よく描けているなぁ。花も上手に描けているし、動物だって上手だ。子供が描くにしては難しいジェットコースタ―も、なかなか上手い。

 シャンティーには、絵の才能があるのかもしれないなぁ。


「それは、親馬鹿ってもんかな」

 ジャックは緩む口のまま、ボソリと独りごちた。

 その後、すぐにまた「ん?」と別の独り言が零れる。


 なんで、こんな所に「won’t」なんて書かれているんだ?


 ジャックは、絵の中に不自然に収まる単語に首を傾げた。


 黒のクレヨンで描かれているから、単語の練習でもしていたのか? いや、でもこんな所に、一単語だけを練習するものか? 

 どう書くかを忘れて、ハンナに聞いてそのまま書いてしまった。みたいな形だろうか?

 ジャックは怪訝に眉根を寄せたままパラリと捲り、その下の絵を見てみる。


 描かれる動物の間に交じってあったのは、「It」と言う単語。

 パラリと、もう一枚捲る。

 恐らく自分ジャックを描いているであろう人間の足下に描かれている、「you」と言う単語。


 ここの単語は、「この人はダディだよ」って伝える意味合いのものだろうから、他とは違いそうだな。


 ジャックは「気にしすぎだったか?」と思いながら、皺を寄せていた眉間を伸ばし、そのままパラリと下の絵に移る。

 すると、リビングで団らんする家族の右端に「go」と言う単語が刻まれていた。

 薄まっていた怪訝が、直ぐさま復活してしまう。


 ジャックは抱いた怪訝をそのままに、ポスンと椅子に座って、最後の一枚を確認した。


 跳ねるピンクボールの下に「let」と、黒い単語がしっかりと刻まれている。


 ジャックは「どういう事だ?」と怪訝をボソリと吐き出して、五枚の絵を机の上に並べた。

「won’t、It、you、go、let……」

 一つ一つは正しい単語でも、文法的にはめちゃくちゃだ。

 これに、何か、意味があるのか?

 ジャックは「並び替えてみるのか?」と、首を傾げ続ける自分に声をかけてから、考え込み始めた。


「You go It won’t let.Let it go You won’t……いや、You won’t let it goか?」

 ぶつぶつと口の中で並べ替えを呟き、答えを見つけたかと思われたが。釈然としない想いが、心中にデンと居座った。


 文法的には間違っていないが。これが正解だとしたら、その「意味」が分からない。

 ううむと唸ると、ジャックはハッとある事に気がつく。


 待てよ、Youの頭文字が大文字じゃない。文頭の単語は大文字にする事を学んでいるはずだから、Youは文中の単語と言う事だ。その証拠と言うべきか、Itの方が大文字になっている。


「つまり、コレは……」

 ジャックはボソリと呟き、先頭に置いていた遊園地の絵と三枚目に置いていた動物園の絵を引き抜き、虚空に掲げる。


 そしてゆっくりと動物園の絵を先頭に置くと、遊園地の絵を持っている手がふるふると顫動し始めた。


 ……何故、震えるんだ。震える事は、何もない。何もない、はずだ。


 ジャックはゆっくりと唾を飲み込む。

 しかし、不思議と、震えは止まらなかった。


 震える手から零れる様に、「you」と描かれた遊園地の絵がハラリと三番目に滑り込む。


 そうして、ある一つの文章が現れた。綺麗に整えられた、意味のある文章として。


「It won’t let you go(君は逃れられないよ)」

 ジャックの口からヒュウッと浅薄な息が零れた。ワナワナと弱々しい震えが、ガタガタッと力を増した。


 いや、下手に窘められ、奥底に追いやられていた理性がバッと表に現れたのである。

「もう、これで分かっただろう! 思い知っただろう! この世界は、俺の居るべき世界じゃないんだ! ここは、クラウンが俺を陥れる為だけの世界なんだよ!」

 ジャックは、ようやく痛感した。


 恐怖と言う高波がぶわりと襲い、その中を後悔と言う渦潮がぐわっと巻く。

 その凄まじい荒波が、ジャックの身体を容易く飲み込んだ。

 もがく力は、ない。無論、前進して脱出する力もだ。


「ど、どうしたら良いんだ」

 ボソリと呟いた刹那、戸の下からサラリと流れる白を捉えた。まるで、お前は波に呑まれるばかりだと言わんばかりに。


 ジャックの口から、ヒッと声にならない悲鳴が零れた。身体が、一気にガチガチッと凍え固まっていく。


 すると、戸から入り込んで来た白は、彼の心に広がる恐怖をフフフと嗤う様にふわんふわんと虚空を漂い始めた。


 紙がふわんふわんと漂う程の風なんて、どこからも入って来ていないにも関わらず、だ。


 ジャックの息がヒュウッヒュウッと浅薄になっていくと共に、ふわんふわんと嗤笑する恐怖は容赦なく距離を縮めていく。


 そしてパサリと、紙は机の中央に静やかに着地した。


 故に、怯えて開かれる双眸に、しっかりと映ってしまう。


「Whenever!(どんな時でもね!)」

・・・

 さて、ここで椿野小話です!(´∀`*)小話は少し久しぶりですね~😳w

 

 ティティーが書いた絵は、単語を並べ替えていくと、文章にもなるのですが。じわじわとジャックとの距離が縮まっている=迫っている所も演出しております_:(´ཀ`」 ∠):

 椿野、言葉遊びが大好きなので色々な物語に入れがちですw密かに言葉に意味を持たせているのも多いんですよ~w

 

 そしてもう一つ、ティティーのノック音に注目してみましょう。コンコンコンと三回叩かれておりますね。そしてまた三回続いていますね。

 ドアや壁を断続的に三回叩く、これは悪魔が三位一体(父と子と精霊)を馬鹿にしている行為でもあるらしいですよ(´・_・`)

 じゃあ、クラウンは悪魔なのか?と言う疑問の答えは……今は、黙っておきます。なので色々、想像してみてくださいませ(((o(*゚▽゚*)o)))♡

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