6話 Confused
ジャックは、ひどく混乱した。
目の前の女性は、ハンナだ。
だが……違う。
顔にあるシミや皺、緩やかな弛みのある二の腕や首元。彼女の容姿には、老いが端々に現れている。
しかし、彼女が持つ異変は、それだけに留まらなかった。
彼女の纏う服は、上から下まで見事にハイブランドで、派手だ。華美と豪奢を嫌う彼女らしくない。
俺を呼ぶ声も、穏やかさを滲ませる顔付きも変わらないのに。俺の知るハンナとは、まるで違っている。
もしや、この女性は俺の知るハンナじゃないのか?
ジャックが悶々としていると、女児が現れた女性に向かって「ママ~!」と抱きつきに行った。
「シャンティー。お父さんは大丈夫だったかしら?」
ハンナは膝元に抱きついた娘・シャンティーを愛おしげに受け止めながら尋ねる。
シャンティーは母親からの質問に「うん!」と、元気よく答えた。
「あら、本当に?」
ママには、あんまり大丈夫じゃなさそうに見えるわよ。と、ハンナは苦笑を零してから、ジャックの方に笑みを向けた。
「ジャック、大丈夫なの? あまり顔色が良くないわよ」
顔色が良くない、そりゃあ当然だろう。この可笑しな事態ばかりか、君までおかしくなっているんだから。
そんな事を思ったが、ジャックの理性が乗った奥歯がグッとそれを潰して止めた。
ジャックはふうと小さく息を吐き出してから、「ハンナ、だよな?」と窺う。
その問いかけに、ハンナは「えぇ」と頷くが。彼女の眉間には、ぐにゃりと皺が寄っていた。「なんで、そんな風に訊くのよ?」と言わんばかりである。
ジャックは視線をサッと落とし、小さく息を吐き出した。
「気を悪くしないでくれよ、ハンナ。今、俺はひどく混乱しているんだよ」
君がそうなっているのも、ここがカリフォルニア州じゃない事も、こんなセレブリティ溢れる家に居る事も……そんなにすぐ飲み込める訳がないだろう。と、嘆息混じりに呟く。
ボソリと零された弱々しい非難は、ジャックの弱り果てた本心であった。
次々と訳の分からない状態に陥れられ、理解がやっとの思いで追いついた所でまた堕とされてしまう。
一体、俺はいつまでこの狂気に怯え、疲弊し続けなくちゃいけないんだ。
ジャックの頭が、がっくりと落ちた。重力に引っ張られている事だけが原因ではないのは、明白であろう。
すると「何を言っているのよ、貴方」と、ハンナの口から怪訝と呆れが綯い交ぜになったかの様な声が飛ばされた。
ジャックは重たい頭を上げ「え?」と、彼女の方を向く。
ハンナは彼の怪訝をまっすぐ受け止めながら「こっちが、え? だわ、ジャック」と、淡々と言葉を継いだ。
「カリフォルニアからここに移って、もう二十六年経っているのに。急に、そんな事を言い出すんだもの」
「二十六年も前だって? !」
ジャックは素っ頓狂な声で叫び、ガタッと立ち上がった。
ハンナは大仰に驚く姿にギュッと顔を顰めてから、クルッと背を向けて歩き出す。
そうして少し離れた飾り棚の上に並べられている写真たてを手にして、颯爽と戻ってきた。
「ほら、見て」
ジャックは手渡された写真たてに目を落とすや否や、ヒュッと息を呑む。
ガラス張りのお洒落な写真たての中央に収められている写真は、この家の玄関前で仲睦まじそうに佇む自分とハンナ。
自分の記憶に近しい、いや、全く同じ容姿をしている自分とハンナの姿だ。
「……そんな、馬鹿な」
ジャックは写真を見つめながら、呆然と吐き出す。
こんな記憶は、自分の中にまるでないぞ。
ジャックはがっくりと腕を降ろすと、その下で写真を覗き込むシャンティーが「ティティーが居なぁい!」と、まだまだ舌っ足らずの可愛らしい口調で訴えた。
ハンナは「そりゃあ、そうよ」と、喚くシャンティーの頭を優しく撫でて言う。
「この時は、ママとパパが結婚して三年ちょっと過ぎたくらいだもの。ほら、お兄ちゃんも、ウィンも居ないでしょう?」
朗らかに交わされる母娘の会話に、ジャックはじわりと目を見開いた。
ちょ、ちょっと待ってくれ……。
この写真は、三年ちょっと過ぎた頃の物だって?
今の俺とハンナは、もう直で二年目と言う所のはずだぞ。
そればかりか、俺にはいつの間にか、ウィンと言う息子も居るらしい。
二人暮らしだったはずが、いつの間にか、四人家族になっている。
理性が止まり、ホワイトアウトをしたかの様な脳内で、点々と言葉が生まれ始めた。
そしてそれはぐにゃりぐにゃりと歪み、辿々しい思考と成っていく。
俺は、この世界を「クラウンが俺を陥れる為の、奇っ怪な現実世界」だと思っていた。
でも、今回の世界はそうじゃない……?
今回の世界は、俺の「未来」と言う現実世界なのか……?
ジャックは茫然自失となったまま、ふらふらと写真立てが並ぶ飾り棚の方へ歩を進めた。
ふらり、ふらり。ふらり、ふらり。
弱々しい足取りだったが、止まる事なく、前へと進んだ。
だからこそ、ジャックは辿り着く。
眼前に並ぶ、時間の流れを。その時間に止めた、家族との思い出を。
ジャックは最新のものであろう、家族写真を手に取った。
この中のジャックは満面の笑みで座るハンナの肩に左手を置き、息子のウィンと言う少年の肩に右手を置いている。
ウィンと言う息子は、もうすっかり背丈も大きく、中学生ほどの年頃であった。ジャックとハンナ、どちらにも似た相貌をしているが。彼の顔は、満面の笑みを浮かべる両親と打って変わって、強張っていた。
ジャックはその顔を見るや否や、彼の強張りが照れと嫌悪にある事を感じとる。
どうやら、俺の息子は思春期真っ盛りらしい。
ボソリと心の中で呟いてから、座るハンナの横に立つドレス姿のシャンティーを見る。
兄の仏頂面と違って、シャンティーは満面の笑みだ。
自分が選んだであろう可愛らしいドレスに身を包んでいるからなのか、家族写真という特別に嬉々としているのかは、分からない。だが、何はともあれ、シャンティーはこの中で一番笑っていた。
ジャックは彼女の笑みと何秒か見つめ合ってから、ゆっくりと顔を上げる。
……嗚呼、そうか。
「やはり、これは、俺の「未来」って言う世界なんだな」
ボソリと苦悶に満ちた独り言が吐き出された。
すると、パチリと目が合った。
壁にピタリと貼りつけられた丸い
写真の中で「えらく老け込んでいる」と思えた自分の顔が、すぐそこにあった。
ジャックはゴクリと唾を飲み込む。
そしてポカンと間の抜けた顔によろよろと手を伸ばした。
コンッと、爪先が堅い表面にぶつかる甲高い音が弾ける。
……だが、消えなかった。勿論、歪む事だってない。
ジャックは告げられてしまったのだ。
しっかりと鏡の中に映る、老け込んだ相貌の自分から「この世界は未来であって、未来ではない。現実の世界だ」と。
ジャックは「そんな」と呟き、呆然と佇んだ。
まるで、この時が止まったかの様に。
だが
「なんか、ダディ変~」
「そんな事を言わないであげて、ティティー。お父さんは、きっとお仕事で疲れているのよ。如何せん、お父さんはアメリカ一忙しい脚本家なんだから」
朗らかに言葉を交わす母娘は、しっかりと「今」を生きていた。
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