⓶・〖Memento mori〗



 午後九時四十五分、[エリア71]にある安アパートの一室で物音がした。ベッドの枕元にあるスライド式の携帯が、ボロの布団に押しやられて床に転げ落ちた為だ。桃色の端末は狭い隙間に入り込み、埃だらけになってしまう。その画面には先程まで青い六芒星が映っていたのだが、今はすっかり暗くなり、代わりに別の文字を表示していた。


 ……〈CODE:KLST《コード:カリステー》〉。


 細いデジタルフォントの下にはプログレスバーが伸びている。赤色の進捗が百パーセントに到達した途端、文字は〝Bonum diem〟と文章を変えた。

 室内にアラームの音が鳴り響く。騒音に耐えかねて不摂生な顔の女性が起き上がると、セミロングは寝ぐせを残して縺れていた。


 それは、月下人類最初の目覚めである。

 一人の引き籠りを皮切りに、[エリア29]、[67]、[04]と、ばらけて誰かが目を開いた。そして————月下全域が覚醒する。


 各家庭のテレビや都市のビルモニター、学校のパソコンルームなど、あらゆる画面が目を覚ました。そこに映し出されるのは、[エリア92]の真紅に染まった街並みである。固定された画角からは防犯カメラの映像であることが理解出来、映像は四角く飾り気の無い建物の割れた窓や、延焼する様子、何かに焼き切られたかのような焦げ付いた壁面を捉えていた。街の遠方には黒い煙がいくつも立ち昇っているのが伺える。漏れ出る音声は避難警報を鳴り響かせて、月下に異常を知らせていた。


 ここは、文字通りの〝レッドゾーン〟だ。瓦礫が散乱する広い道路の中心を、バイクに乗った女性が駆け抜けていく。黒いジャケットにスキニーズボン、また同系色のヘルメットを被っているため顔を見る事は出来ないが、鮮烈な赤の世界には黒で統一された彼女の姿が映えていた。

 画面の端に彼女が消えれば、映像はすぐに切り替わる。どうもこのカメラは女性の動向を追っているようだ。次に映し出された街の奥に銀色の何かが蠢くと、手前に映った女性は腰のベルトから拳銃を抜いた。


 彼女の右手に輝くのはレザーグローブと剛鉄だ。デザートイーグルにも似た拳銃には純白の塗装が施されていて、どこか近未来的な意匠でもある。だが、その鉄が放つのは弾丸ではない。……白く眩い〝星の光〟だ。画面奥の銀色を消失させた後、彼女は何者かの気配に気づいたように振り返って、映像は途切れた。


 砂嵐の後に映り直したのは、月下全域を示す簡易的なエリアマップだ。数字の刻まれた正円はカジノのルーレットにも似ていて、それが何重にも重なって月の都市を現している。最も外側から[エリア01]、中心に行くにつれて[エリア95]と表示されている。



『皆さん、ここは地獄です。』

 画面の向こうから機械音声が語り出した。


『偽物の救世主は死にました。[エリア95]には、〝もう誰も居ません〟。』

『〈大解放〉は失敗に終わったのです──── 』


 声は淡々と言葉を告げる。


 〈ピスカーティオ計画〉、〈信号生命体〉、〈地球〉、〈釣り餌〉。知る限りの事実を惜しげもなく曝け出し、その突飛な単語にテレビを切る者も現れた。もしくは、間近に迫る危機に身を震わせる者も居ただろう。それでも尚画面を見てくれているのなら、彼らには気休めのセーフエリアが提示される。九十五区ある都市のエリアで、緑色に点灯しているのはたった二十五区だ。そのエリア区分は図として表示される他、画面下にテロップとしても流れ出す。


月輪01:[エリア95]/RED

月輪02:[91]~[94]/RED

月輪03:[81]~[90]/SAFE:89

ー ー ー ー ー ー ー ー ー ー

月輪03:[71]~[80]/SAFE:75,76,77,78

月輪04:[61]~[70]/SAFE:62,63

月輪05:[51]~[60]/SAFE:53,56,58,59,60

月輪06:[41]~[50]/SAFE:46,49,50

月輪07:[31]~[40]/SAFE:35,38

月輪08:[21]~[30]/SAFE:24,25

月輪09:[11]~[20]/SAFE:12,13,17

月輪10:[01]~[10]/SAFE:03,05,08


『以上が、比較的〝器化〟の少ないエリアです。検索して頂ければセーフエリア一覧は再確認できます。』


 ジャックされた画面の内携帯とパソコンが解放されるとSNSは瞬く間に更新を遂げた。月下全域には不安と混乱、怒りが伝播していく。その只中で機械は告げる。


『避難は皆様の意志に委ねられます。』

『避難される方はお近くの誘導隊に保護をお求めください。』

『ですが、これだけは変わりません。』


『あなたは死にます。』


『近い将来、もしくは月下の最期と共に。』


 テレビを見続ける者は、月下百二十万人の内役三百人にまで下っていた。その三百人は画面に映る黒い悪魔を見る事になる。

 悪魔は告げた。


『僕は地球しごとまっとうしります。』

『〝心臓が止まるその時まで〟……あなたはどう生きますか?』




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