第二章 4

 大船駅東口を出て路地を進む。見落としてしまいそうな小さな店に滝本はふらりと入って行った。そこはゲーム機をテーブル代わりにしているような古い喫茶店だった。

「よお」滝本はカウンターに向かって声をかけた。だが返事はなかった。滝本は適当なテーブルに座った。しばらくすると頼んでもいないのに、男がコーヒーを持ってやって来た。三十代後半くらいだろうか。細身だが隙のなさそうな男だった。

「そろそろ来る頃だと思ってましたよ」そう言ってコーヒーをテーブルに置いた。箕島はそのコーヒーをジッと眺めた。

「ああ、ここはコーヒーしか美味くねえから」

「失礼な。ナポリタンだって美味いって言われてるっての」

「聞きたいことがあってな」

「依田サンのことでしょ? それでそっちはもしかして南中央署の刑事サン?」男は笑みを浮かべてそう言った。箕島は表情が強ばるのを感じた。

「あ、ビンゴだった? てかそんなふうに顔に出しちゃダメでしょ」

「気にすンな。こいつはいつもこうだから」滝本は箕島にそう言うと内ポケットから飯田の写真を取り出した。「このオンナってもしかして依田の情婦イロか?」

 男は細い眼鏡を頭に乗せて写真に顔を寄せた。冴えねえオンナ、と呟いている。だがすぐに黙った。

「──ああ、たぶん。依田サンの情婦だ」

「このオンナに新しい男の噂って聞いたことは?」

 滝本の問いに男はふっと笑った。

「依田サンも欲をかくから。大船だけで満足しときゃいいのに。だから藤沢なんかに行くのはやめとけってあれほど」

「だから噂はあるのか?」

「まあね。依田サンは藤沢の半グレに仕事をやらせてる。そこを仕切ってる野郎に入れ込んでるとは聞いてる。それで藤沢にわざわざ引っ越したってな」

「この情婦の過去について何か知ってるか」

 男は首を振った。「いや。ふらっと突然やって来て店で働き出したところを依田サンが入れ込んだって聞いてる」

「そのオンナ、整形だぞ」

「みりゃ分かるでしょ」

「もとはってオンナだ」

 男は「へえ」と呟くと口角を上げた。そして裏に戻って行った。箕島は問いかけようとしてやめた。ここで聞く話じゃない。

「アレはともかくコーヒーは美味いから。飲め」

 滝本に促されて箕島は仕方なく口をつけた。コーヒーは確かに美味しかった。

 コーヒーを飲み終えると滝本は席を立った。

「勘定はここに置いておくぞ」大きな声で叫んだが、姿をあらわす気配はなかった。


「──あの、さっきのって情報屋かなんかですか?」車に乗り込むとすぐに箕島が堪えきれずに尋ねた。

「まあな。喫茶店のマスター兼情報屋ってとこだ。だが俺の情報屋ってわけじゃあない」

 どういうことだろう。滝本だけの情報屋じゃないってことなのか?

「あいつは元警察官だったが、暴力犯係にいて奴らと近くなり過ぎた。それが噂になると奴は警察を辞めた。今じゃ立派な情報屋だよ。カネのいいほうにあっさり転ぶからな」

 それはつまり警察の情報を暴力団にも流すということか。

「だったら今のだって」

「まあ、高く売りつけるだろうなあ。勘のいい奴だから俺が言おうとしたことには気がついただろうな。警察も惜しい奴をなくした」滝本は悪びれることもなく言った。

「だったらヤバくないですか?」

「おまえさんは今回の件はどう見立ててる?」箕島の問いには答えずに滝本は聞いてきた。

「俺はこう考えてる」滝本はふいに口を開いた。「女は半グレの男に乗り換えたかった。恐らく依田には新しい情婦がいたんだろう。捨てられる前に女は依田からカネかヤクかを奪いたかった。できれば命も。それを桝野にやらせた」

「桝野がそんなことを手伝いますかね?」

「俺らと同じように騙されたんじゃねえかなと思ってる。あの女は騙しのプロだよ。俺だってすっかり騙されたんだからな」

「証拠がありません」

「だな。桝野は手際がよすぎた。すぐに分かる証拠はなんも残しちゃいねえ。だからここまで来たんだ。奴がこの話を依田に持っていくように。少なくとも依田の下のもんは警戒する。安易にカネもヤクも持ち出せなくなるはずだ。女の動きを止める。それで少しは時間稼ぎになるだろ?」

 それは箕島の最初の問いに対する答えだった。それでわざわざ餌を撒きに来たのか。箕島は滝本をじっと見つめた。

「だとしたら少なくとも桝野と飯田の確実な接点が必要ですね」

「そうだな。そろそろ時間だ。何か見つかるといいが」

 二人は桝野のマンションに向かった。

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