第一章 7
聞いていた名前の店はすぐに見つけることが出来た。店内は真ん中に大きなカウンターがあり、その周囲がテーブル席になっていた。照明も落としてあり、確かに居酒屋のわりに洒落た感じだった。だが個室や半個室というわけでもない。受付の女性が言っていた通り不倫だったらこの店を選ぶだろうか。
滝本は店長に話を聞いた。店長は「覚えている」とはっきり言った。
「連れの女性が綺麗な女性だったんで覚えてますよ。いや、このへんの人達は皆さん綺麗にしてらっしゃいますよ。でもなんていうか、隣の男性とあまりにも雰囲気が違ったんで。それで覚えてます」
接客を担当したという男性店員にも話を聞くことが出来た。
「付き合ってる? うーん、そんな感じじゃなかったですけど。でもどちらかというと女性のほうが積極的な感じでしたね。男性はそうでもなかったっていうか」
「そうでもなかった?」
「もしかしたら女性慣れしてないだけかもしれないですけど、なんか緊張してるようでした」
母親の介護に追われていたから、女性慣れしていないというのはあるかもしれないと箕島はぼんやり思った。きっとデートなんてしてる時間はなかっただろうし。
滝本はそのまま席に案内してくれるように頼んだ。本当に利用していくらしい。
「魚がうまいから食ってけ」とメニューを広げた。そして「酒は飲めないが」と断りを入れて注文し始めた。
「どこか泊まるところは決めたのか?」滝本は突然箕島に尋ねた。
「いえ」
「署の仮眠室で寝るのはやめておけよ。今日くらいちゃんと眠っておけ。明日はどうなるか分からねえんだから。あ、俺の家は駄目だぞ。片付ける暇がもったいない」
「それは考えてませんでした」そう言って箕島は笑った。よほど汚いんだろうなと想像した。箕島も他人のことは言えないが。
注文したものがやってきた。滝本は心なしか楽しそうだった。
「シラスも美味いが、サバも美味いぞ」滝本はそう言って皿を寄せてきた。箕島は困ったように眉を下げた。
「アジの唐揚げでーす」また同じ若い女性の店員が料理を持ってきてくれた。
滝本はそういえばとその店員にも先ほどと同じように尋ねた。すると何故か彼女は顔を顰めた。
「男の人って美人が来ると落ち着かないから」そう言って口を尖らせた。
「覚えてる?」
「覚えてますよお。奥から顔出す人もいたし」それは厨房からわざわざ見にきたということだろうか。箕島も苦笑するしかなかった。
「でもめっちゃ化粧映えするっていうか。ここには綺麗にして来てるだけで、普段はすごく地味なのに」
「普段?」慌てて箕島は繰り返した。
「はい。うちの近所のコンビニで見かけたことがあります。どこかで会ったようなって、思い出すまでに時間かかちゃいましたけど」
箕島ははやる気持ちを抑えて、コンビニの場所を尋ねた。それは桝野のマンションの近くのコンビニだった。
「見かけたのって一度きり?」
彼女は首を振った。「いえ、何度か。毎回化粧もしてなくて地味な格好でしたよ」
箕島が礼を言うと彼女は慌てて戻って行った。
「──マンションの近くに住んでるってことですかね」
「その可能性は高いな」
「今回のことに関係してると思いますか?」
「全く無関係ってことはねえだろ」
そう言うと滝本は魚を箸で突きながらぼんやりと何かを考え始めた。
滝本は署に戻ると告げた。まだ仕事をするつもりなのだろうか。一緒に署に向かうと言った箕島に滝本は署まで送ったらもう寝ろと言われた。
「そのひでえ顔をなんとかして来い。明日も明後日も寝られないと思え」
署に戻る前に話に出たコンビニに寄ってみたが、店長が不在で明日また改めて訪れることを告げた。
滝本を送って箕島は駅前に戻った。思ったよりも多くのビジネスホテルがあったので、今夜の宿は案外簡単に見つかった。
部屋に入るとドッと疲れが込み上げる。今日の昼までは捕まえた連続強盗犯の残務処理だけのはずだった。自首してきた犯人の取調べをまわされてきたが、問題なく供述していると聞いていた。
桝野。どうして桝野だったんだ? 箕島は上着を椅子に放り投げるとベッドに転がった。この仕事をやっていれば、取調室で知り合いと顔を合わせることだってなくはない。だが──まさか小学校からの友人と会うことになろうとは思ってもみなかった。箕島は目を閉じた。一緒に空き地を探検したり、夜中に抜け出して公園でジュースを飲んだり、学校帰りに買い食いをしたり。どうしてくだらないことばかり思い出すんだろうな。箕島は苦く笑った。
二人で熱く夢を語り合ったあの頃のことは、今日は思い出したくなかった。
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