第41話


——倒し切る。

 ただそれだけを胸に、俺は一歩を踏み出した。


 後ろには、アイラがいる。無防備に眠る彼女のぬくもりを、さっきまで俺は腕の中で感じていた。

 その重みが、今も背中に張りついてる気がした。

 もう、二度と、誰にも奪わせはしねえ。


 足元を踏み締めるたび、《狂鋼》の装甲がきしむように鳴った。その音さえも、今の俺には心強い証だった。全身に宿る《Lumina Fortis》の光が、未だに薄く俺を包み込んでいる。


 それは、まるでアイラの意志が、ずっと俺の傍にいるような──


 そんな錯覚すら抱かせる、優しい光だ。


 「……さあ、来いよ。俺が相手してやる」


 囁くように呟いたその声に反応するように、異形種が動いた。ぬめるような音とともに、巨体がゆっくりと姿を現す。


——ギュグ……ルルァ……


 割れた顎から、濁った粘液が滴る。片側が崩れた頭部にはひびが入り、焦点の合わない片目がこちらに向けられる。


——ギュアァァアアアアアアアアア


 異形種が吼えた。


 ドロリと粘液を引きずりながら、地を這うようにして迫ってくる。その背中で脈動していた肉塊が、グズグズと泡立ち、裂けた。そこから生えたのは――無数の触手。しかも、今までよりもはるかに“数”が多い。


 数十、いや──数百か。触手の一本一本が、意志を持った蛇のようにうねり、空間を這い回る。


 「なにしてやがる……?」


 だが、すぐにわかった。その触手のいくつかが、地下空間に点在する“つぼみ”に向かっていたのだ。


——ブチン


 乾いた音を立てて、触手がつぼみを摘み取った。その動きは執拗で、そして迷いがない。

 一度掴んだら逃さず、ずるりと持ち上げ──そして、大きく開かれた異形種の口が、それを喰らう。


——バキン!!


 つぼみを、噛み砕いた。中に宿っていたステラエネルギーの光が、霧のようにこぼれ出す。青白いその輝きは、命の雫とも言える。その雫を、異形種は飢えた獣のように、喉の奥まで吞み込んだ。


同時に、異形種の体が、目に見えて変化を始める。


——ドクン


 心臓の鼓動のような音が空間に響いた。脈動が拡がる。空気そのものが震えるような重低音。その波動を浴びた瞬間、直感した。


「……こいつ、進化してやがるな」


 壊れかけていた肉体が、瞬く間に再生していく。ただ元に戻るだけじゃない。その背に、巨大な角が二本──まるで悪魔のように突き立つ。口元からは二重の牙が生え、太い鉤爪が両手に備わった。

 さらに、両肩には追加の腕、否、カマキリのような鎌が生え、触手は硬質化しながら鋭利な刃を備えていた。


 「……随分とご立派になったじゃねぇか」


 ひとつ息を吐く。


まるで、戦闘に特化した“兵器”のような進化。

 生存のため、戦闘のため──己を捧げる、異常進化の権化。

 それを前にして、恐怖は──なかった。


「……クク」


 自然と笑みが零れる。


 全然、怖くねえ。むしろ、ワクワクしてる。拳の奥がうずいてる。血が沸騰してる。冷静な心のまま、内側だけが熱を帯びていく。目の前の“強敵”に、全力をぶつけられる喜びが、確かにあった。


「……燃えてきたじゃねぇか」


 恐怖どころか、不思議なほど冷静だった。背筋に震えもなければ、膝が震えることもない。

 心は静かだ。だけど、その奥には確かに炎が燃えている。


「最高だな……だったら、こっちも遠慮せずに行かせてもらうぜ」


 自然と、口元が吊り上がった。

 敵がどれだけ強かろうが関係ない。この身に宿る力は、アイラの想いに応えるためにある。

 だから──


 「──全力で、ぶっ潰す」


 俺はゆっくりと、拳を握りしめる。

 轟、と空気が震えた。直後、奴が吠える。


「ギャアアアアアアアアッ!!」


 振るわれた触手が、山のように押し寄せてくる。  一撃一撃が、風圧だけで瓦礫を吹き飛ばす。地を抉り、空間を切り裂くその速度と質量。生半可な防御じゃ即死だ。


「──ッ!」


 俺は咄嗟に身を屈め、地を滑るようにして回避。ギリギリを掠めていった触手が、背後の壁を貫通し、コンクリートの柱ごとへし折った。


 だが、その程度じゃ止まらねぇ。


「オラァッ!!」


 踏み込みと同時に拳を叩き込む。  《狂鋼》を纏った拳が、異形種の装甲へとぶち当たる。


 ——バギン!!


 高音が響き、火花が散る。だが──砕けねぇ。


「チッ、マジで硬ぇな……!」


 触手を薙ぎ払おうと振りかぶった瞬間、奴の尾が背後から襲いかかった。


——ズドォッ!


「がっ……!」


 腹を抉るような衝撃。吹き飛ばされ、地面を転がる。けれど、《狂鋼》が全身を守ってくれていた。痛みはある。息も詰まった。でも──まだ立てる。


「っは……痛ってぇ……けど、それだけかよ……!」


 ぐっと膝をつき、すぐに立ち上がる。  目の前で、奴が再び触手を構えた。避けろ──そう思った瞬間には、もう動いていた。

 地を蹴り、跳躍。飛来する触手の間を縫い、空中で身体を捻って背中に着地。


「逃がすかよッ!!」


 拳を振る。続けて回し蹴りを叩き込む。背中の肉塊がぶるりと揺れ、粘液が飛び散った。


「──ッ!!」


 奴が吠え、背中の角が俺の方へ突き上げられる。すんでのところで飛び退いたが、着地した瞬間──


——バギャアッ!!


 前方からの一撃。触手が《狂鋼》を弾くように俺の胸へ突き刺さった。


「ぐっ……うぉおおおおおおおッ!!」


 踏みとどまる。血の味が口に広がるが、折れてねぇ。心も、体も、折れてねぇ。


「そんなもんで倒れるわけねえだろうがッ!!」


 吼えるように言い放ち、拳を高く振りかぶった。心の奥底で──熱が、暴れた。


 《狂化》と《狂鋼》に、《Lumina Fortis》の光が重なる。力と破壊と、優しさが一つになった拳。


「──この拳に……全部込めてやるよ!!」


 直後、奴の巨大な顎が迫ってくる。だが、俺は止まらない。そんなもん、避けるまでもない。


 踏み込む。そして──


 放つ。


 拳が、空を裂いた。


 《狂鋼》が軋み、《狂化》が爆ぜ、《Lumina Fortis》が光をまとい──


「──っらあああああアアアアアッ!!」


 それが、奴の顎を貫いた。


――ッ——ドゴォン!!


 爆音。地響き。空気が震える。


 異形種の巨体が、ぐらりと揺れた。奴の体表がひび割れ、内側から青白い光が溢れ出す。


 崩れ落ちた異形種の巨体が、地面に濡れた音を立てて沈んでいく。


――グギャァアアアァァァァァァ…………


 断末魔のような咆哮を上げながら、背中の肉塊が弾け、無数の青白い光が霧のように散った。


 俺は、呼吸を整えながら、構えを解かない。相手は確かに崩れた。だが──その最後の光まで、しっかり見届けなきゃ安心できねえ。


 ……数秒後。

 残滓すら残さず、奴は完全に霧散した。


「──勝った、か……」


 拳を下ろし、ぐっと膝をつく。

 《狂化》のオーラが散り、《狂鋼》の硬化が解け、ずしりとした疲労が身体にのしかかる。

 全身が痛い。特に腕と脇腹、それに胸は触手の直撃を食らったせいか折れそうなくらい痺れてる。


 それでも──まだ動ける。


 「……アイラ」


 彼女の元へと戻ろうと歩き出した、その時だった。


 ──ズズッ……ズルッ……。


 異音。

 それも、ひとつじゃねえ。あっちから、そっちから、あらゆる方向から──


 暗闇の中に、青い光が浮かぶ。

 いや、あれは──目だ。奴らの、光る眼孔。


「……チッ、どこか別の空間にもつながってたのかよ」


 ざっと見て十体以上。しかも、生まれたばかりといった感じの奴じゃねえ。

 みんな、どこかしら異形に歪んでいる。

 進化途中か? それとも、別の種か──いずれにせよ、もう戦える気力なんか残ってねえ。


 だけど。


 「──来いよ」


 俺は、もう逃げねえ。

 背中には、アイラがいる。

 だから、何が来ようが関係ねえ。


 「こっから先は、通さねえ……!」


 拳を握る。

 脚に力を込め、一歩──踏み出そうとした、その瞬間。


 ──シュバァンッ!!


 紫の光が、闇を裂いた。


 目の前の異形種が、まるで紙切れのように真っ二つに断たれる。

 血飛沫も、粘液も残さず、ただ閃光だけを残して崩れた。


 そして──その光の中から、ゆらりと現れたのは。


 紫の炎が舞う中に、気高く立つ鬼。

 アッシュグレーの髪を揺らし、紅の瞳が暗闇を貫いて俺を見据える。


「セレン……!」


 紫炎を纏い、静かに歩み寄るその姿は、まるで戦場に舞い降りた神話の戦士のようだった。


「……待たせたわね」


 セレンの紅い瞳が、俺の全身をひと目で見て、状況を察したように細められる。だが、言葉の端に滲むのは怒りじゃない。ただ、俺が生きていたことへの安心……そして、信頼。それがありありと感じられる。


 そのまま、彼女は無言で俺の隣に並んだ。炎のように揺れる長いまつげが、わずかに震えていた。


「よく一人でここまで戦ったわね……」

「はっ、なんのこれしき。それに……まだ終わってねえだろ?」


 俺の言葉にセレンは不敵な笑みを浮かべる。

 闇の中から迫る異形種たちは、俺たちを囲むように低く唸りを上げていた。十数体。そのどれもが、異様に肥大化したツタ、複数の眼球、不規則に脈動する肉塊を備えている。


 俺が半歩だけ前に出ようとした、その瞬間だった。


——ドンッ!!


 地を穿つ衝撃。 隣で、セレンが一歩を踏み鳴らし、大太刀が風を切り、周囲の空気がわずかに震える。その姿だけで、異形種たちの動きが、一瞬止まる。

 だが、すぐさま数体が突進してきた。喉奥から嗄れた咆哮を上げ、先陣を切った個体が跳躍し、触手を振り上げた──


「遅いわよ」


 セレンが、一言呟いた。その瞬間。


——ガギャッ!!


 異形種の体が、斬撃の軌跡を残して宙を裂かれた。


 セレンの手には、紫炎を纏った大太刀。その刃がわずかに振るわれただけで、突進してきた異形種の体が真横から断たれていた。

 続く二体目も、三体目も──近づく間もなく斬り伏せられていく。

 その動きは、まるで舞のようだった。大太刀の斬撃が空気を切り裂き、紫炎が光の残滓となって宙を漂う。


 セレンが舞うたびに、異形種の数が着実に減っていく。そして、残る数体を、後方から駆けつけた救星者たちが一斉に討つ。


 雷を纏った槍が、轟音とともに突き出され、異形種の身体を貫く。

 青白く光るエネルギー弾を放つ銃が、精確に敵の頭部を撃ち抜き、爆ぜるように霧散させていく。

 そして、巨大なハンマーが振り下ろされ、床ごと異形種の肉塊を叩き潰すように粉砕する。

 彼らの猛攻で、異形種たちは霧のように散っていく。 


 重く淀んだ空気の中で、セレンが俺の方に顔を向ける。


「……もう大丈夫よ。ここからはアタシが守る」


 その声に、胸が熱くなる。


「セレン……あり、が……」


 そう言いかけたところで、力が抜けるように膝が崩れた。

 すぐさま、セレンの腕が俺の背を支えてくれた。


「ふふ、無理しないの。あなたの戦いは、もう十分よ」

「……ああ。任せたぜ、セレン……」

「……ええ、任せなさい」


 囁くように答えた彼女の声が、やけに優しかった。そのまま、俺の意識はふわりと溶けていった。

 暗闇の奥で、誰かが叫ぶ声。異形種の咆哮。味方の掛け声。

 その全部が、だんだんと遠ざかっていく。


 でも──

 最後に耳に残ったのは、穏やかな言葉だった。


 「——よく頑張ったわね、ナオ」

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