第25話 昨日より、もっと

 薬草園での仕事のあと、ギギーが鉢植えを持ってレオルの部屋を訪れると、お茶に誘われた。

 寮が閉鎖される期間の件を訊かれて、どきりとしてしまったのは、エリオットとの一件があったからだ。エリオットは変わらず忙しそうにしているが、ギギーに変わらない態度を取ってくれている。

 薬草園の寮を借りることになりそうだと伝えると、レオルは怪訝そうな顔をしていた。


「意外だな。シュレーバーのことだから、おまえを誘うのかと思っていたが」

「意外、かな? エリオットは、どうしてか俺がレオルと過ごすと思ってたみたいだよ」


 ギギーのことばに、レオルが渋面を作る。


「あいつに考えを見抜かれていたようで癪だが……もし、シュレーバーとの予定がなければ、おまえを誘おうと思っていたんだ」

「……え?」

「寮が閉鎖されるあいだ、うちに来ないか?」


 思わず黙り込んでしまったのは、エリオットとの会話を思い出したからだ。これもエリオットの見た夢の通りになっているのかと思うと、複雑な気持ちになる。レオルに誘われたことはうれしいはずなのに、素直によろこべなかった。


「聞いているのか、ギギー?」

「あ……ごめん、聞いてるよ。うちってレオルの家ってことだよね? レオルって、なにか用事があって家に帰らないのかなって思ってたんだけど……」

「いや、特に用事があるというわけじゃない。……どうしてそう思ったんだ?」

「あ、ごめん。俺の思い込みっていうか……もしかして、レオルが友達……俺に似てるっていう子のこと探してるのかなって、勝手に思ってた。まだ再会できてない、みたいなこと言ってたから」


 ギギーの返事を聞いて、レオルは苦笑を浮かべた。


「探す必要はない」

「え? もう会えたの?」

「再会とは少し違うかもしれんが……もう、いいんだ」


 もういい。あきらめにも聞こえることばだが、レオルの声にも瞳にも諦観はみじんも感じなかった。

 昨日と違って今日は顔色が良く、目の下の隈も消えている。


「……そう、なんだ」

「話を戻すが……正直、一週間もおまえをひとりで生活させるのは不安なんだ。料理もまともにできないだろう」

「う……なんとかなるよ」

「そうは思えないから言っているんだ。……それから、母が家に来るならゆっくりしてもらえと言っている」

「家に来るなら? お母さん?」

「ああ、まだ言ってなかったか。おまえが会いたがっている医師は俺の叔父だ」

「えっ?」

「母の再婚相手なんだ。養父でもあるな」

「そうなんだ。……お父さんと会いたくないから家に帰ってなかったの? 仲悪いの?」

「……訊きづらいことをはっきり訊くんだな」

「あ、ごめん。なんか、レオルって話しやすいから」


 本当にそう思ったから言っただけなのに、レオルは驚き、半ばあきれたような顔をしていた。


「そんなことを言うのはおまえだけだ」

「そうかな。アルスだって、レオルには遠慮なくなんでも訊きそうだけど」

「参考にならないやつを引き合いに出すな。……あのひととは仲が悪いというより、俺が一方的に避けているだけだ」

「そっか」


 あまり話したくない、と表情が告げている。叔父で養父でもある相手を「あのひと」と他人行儀に呼ぶのは、なにか根深い理由があるように思えた。


「それで、返事は?」

「え?」

「先約があるのか?」

「……ううん、ないけど」


 ギギーが約束する相手なんてエリオットくらいだが、エリオットから誘われることはありえない。自分の声にさみしさが滲んでいるのに気づいて、自分の未練がましさに自嘲的な笑みが零れた。

 冬季休暇をエリオットと過ごしたかったのだと、いまさらながらに自覚した。十月の休暇のときのように別荘に連れっていってもらいたいわけではなく、ただエリオットといっしょに過ごしたかった。


「やっぱり、悪いよ。レオルは先生に会いたくないんだよね? 俺がひとりで先生に会いに行ったほうがいいんじゃないかな」

「その話は、昨日もしただろう。おまえの力になりたいと言ったはずだ」

「レオルは、大丈夫なの? 無理、してない?」

「大丈夫だ。……確かに、俺は養父に会いたくないと思ってはいるが、この先永遠に避け続けるわけにもいかない。いつかは向き合わなくてはと思っていたから、ちょうどいいんだ」

「……そっか」


 詳しい事情はわからないが、レオルが無理をしているわけではないのならよかった。養父との関係を良くしたいと思っているなら、それはいいことだ。自分ができなかったことだからこそ、そう思う。


「母は客が来るのを楽しみにしている。おまえがよければ、来てやってくれないか?」

「えっと、でも……」


 ためらってしまったのは、エリオットの夢と同じ選択をすることに抵抗を覚えたからだ。ぜんぶ夢の通りになってしまったら、エリオットが恐れている未来まですべて現実になってしまうような気がした。


「遠慮する必要はない。気が引けるなら、鉢植えの礼だと思ってくれ」

「鉢植えとじゃ、全然釣り合わないよ」

「鉢植えは、おまえの大切なものだろう」

「そう、だけど……」

「おれとふたりでは気まずいというなら、アルスとシュレーバーにも声をかけよう」

「……えっ?」


 レオルと仲の良いアルスはともかく、ここでエリオットの名前が出るとは思わなかった。エリオットがレオルの誘いに応じるかは、正直怪しいものだが。


「俺、レオルとふたりだと気まずいなんて思ってないよ」

「そうか。それなら、断る理由はないな?」


 少し強引なレオルがおかしくて、笑ってしまいそうになった。ギギーが遠慮していると思って、わざとそんな態度を取っているのだ。


「うん。じゃあ、おことばに甘えて」


 そう言うと、レオルはほんの少しだけ笑みを深くさせた。わかりづらいが、確かにうれしさが滲んでいる顔を見て、つられて笑顔になる。

 一度はレオルを誘おうと思ったことがあるくらいなのだから、ギギーだってレオルといっしょに長期休暇を過ごせるのはうれしい。

 レオルの家で過ごす一週間が、楽しみだった。




 冬季休暇になっても、ギギーの生活は規則正しいままだった。朝食を摂ってから薬草園に行き、通常は授業がある時間まで働く。学校へ戻って、修練場でレオルとアルスの三人で剣の訓練をして、自分の部屋で汗を流して着替えてから、また三人で集まって夕食を摂る。そんな毎日を繰り返しているうち、あっという間に寮が閉鎖される期間になった。


 どうやら、一年生で寮に残っていたのはギギーとエリオット、レオル、アルスの四人だけだったらしい。学校まで迎えにきたスタンレイ家の馬車に乗って、レオルとアルスと三人でスタンレイ家に向かった。

 エリオットは昨日の朝のうちに寮を出ていて、あとで合流する予定になっている。まさか、エリオットがレオルの誘いを受けるとは思わなかった。

 一時間ほどかけて目的地に着き、馬車から下りるとレオルの両親が笑顔で出迎えてくれた。


「よく来てくれたね」

「いらっしゃい。自分の家だと思ってくつろいでちょうだいね」


 レオルの両親はやさしそうなひとたちだった。予想はしていたが、ふたりともかなりの美形で、顔立ちからレオルとの血のつながりを感じた。


「お世話になります」


 ギギーと視線を合わせた母親のヘルガが、笑みを深める。笑うと印象が変わるところもレオルとよく似ていた。足をけがしているのか、ヘルガは杖をついている。

 父親のオリヴァーは、仕事だと言ってすぐに出かけていった。王都にある大きな診療所で働いて、毎日帰りが遅いらしいが、今日は夕食までに帰ってくる予定だそうだ。


「ひさしぶりに家族がそろった食事だもの。間に合うように帰ってくるわよ」


 四人でお茶を飲んでいる最中、ヘルガのことばにレオルが渋面を浮かべた。どうやら、騎士学校に入学して以来、レオルは一度も家に帰っていなかったようだ。


「やっぱり、俺たちお邪魔だったんじゃ……」


 ただでさえ年末なのだから、本当は家族だけで過ごしたかったはずだ。ひさしぶりの家族水入らずなのに、ギギーたちがいたのでは台無しになってしまう。ちらりとアルスに視線を送ったが、素知らぬ顔で紅茶を飲んでいた。


「ギギー、それは違う」

「そうよ。むしろレオルを連れてきてくれて、ふたりには感謝しているの。この子、全然帰ってこないんだもの」


 レオルを援護したヘルガのことばが思わぬ方向へと飛び火して、レオルは気まずそうに顔を背けた。


「……母さん」

「なあに、本当のことじゃない。連絡ひとつも寄こさないで、心配してたのよ」

「悪かった。頼むから、ふたりの前ではやめてくれ」


 弱り切った声音でレオルが言う。ギギーが噴き出すと、つられたようにアルスとヘルガまで笑い出した。


「……おい、ギギー」

「ごめん、ごめん。レオルがかわいくて」

「か……? おかしな言い方はやめろ」

「本当にかわいいって思ってるんだけどな」

「アルス、おまえは笑い過ぎだ」


 腹を抱えて笑っていたアルスは、レオルに睨まれてもしばらく笑うのをやめなかった。

 和やかに話をしているうち昼になって、美味しい昼食をごちそうになった。そのあとは昼過ぎにやってきたエリオットといっしょに屋敷の中や庭を案内してもらい、客室へと向かった。


「エリオットとギギーがいっしょの部屋でいいよな?」


 そうアルスに尋ねられて、思わず「えっ?」と声を上げてしまった。

 客席は二部屋、一部屋につき寝室にはベッドがふたつ。一部屋にふたりずつの計算だ。レオルには自分の部屋があるから、必然的に一部屋にふたり、もう一部屋にひとりの割り当てになる。


「なに、ひとりの部屋がよかった?」

「いや、そうじゃないけど……」

「俺がギギーと同じ部屋になるわけにはいかないし、ギギーをひとりにするわけにもいかないからさー。そういうわけで、決まりな」


 なにが「そういうわけ」なのか、さっぱりわからない。エリオットが反論してくれるのを期待したが、なにも言ってくれなかった。

 すでに部屋の中に運び込まれていた荷物を寝室に移動させる際、並んだふたつのベッドが視界に入ってきて、どきりとしてしまった。ギギーの一方的な好意とはいえ、好きなひとと同じ寝室というのは意識せずにはいられない。普段は同じ部屋で暮らしているが、寝室が分かれているのとそうでないのは大きな違いだ。

 むしろ、ギギーの気持ちを知っているエリオットのほうが、気まずい思いをしないだろうか。あとから寝室に入ってきたエリオットは、当然ながらすこしも顔色を変えなかった。


「あのさ……エリオット、家の仕事は大丈夫? 俺と同じ部屋で仕事がやりづらければ、俺とアルスが同室になるからさ」


 寮に仕事を持ち帰るとき、エリオットは必ず自分の部屋で書類を広げ、共有の部屋に持ち込むことはなかった。スタンレイ家の寝室には机がないから、仕事をするならひとり部屋のほうがいいはずだ。


「ありがとう。大丈夫だよ、急ぎの仕事は終わらせてきたんだ」

「えっ? じゃあ、ここにいるあいだはゆっくりできるの?」

「うん。そのために、ここ数日頑張っていたからね」


 それを聞いて安心した。このところエリオットはいつも青ざめた顔をしていて、いつか倒れてしまうのではないかと密かにはらはらしていたのだ。一週間仕事をしなくていいのなら、疲れた身体をしっかり休められる。


「遅くなったけど、お祝いもしようか。四人で」

「うん!」


 笑うギギーを見て、エリオットもうれしそうに目を細めた。いままでと変わらないやり取りがうれしかった。エリオットといっしょに休暇を過ごせるのがうれしい。エリオットが笑っているのがうれしい。


「ふたりにも相談しないと」

「待って、ギギー」


 寝室を出て、そのまま客室を出ようとしたところで、エリオットが苦笑を浮かべて呼び止めてくる。


「落ち着いて。大丈夫だよ、そんなに慌てなくても」

「あ、ごめん」

「先に、おまじないをしておこうか。昨夜できなかったから、少し熱があるみたいだね」


 言われてみれば、ちょっとだけ身体が熱い気がする。楽しくてまったく気にならなかった。遊ぶのが楽しくて自分の体調不良に気づかないなんて、子どものようで恥ずかしい。

 エリオットに手招きされ、部屋の中央に置いてあるソファに並んで腰を下ろした。自分から手を差し出すと、温かい手のひらが重なってくる。


「寮が閉鎖しているあいだ……アルスを僕の家で預かってもよかったんだけどね」

「……え?」


 つないだ手に視線を落としながら、エリオットがひとりごとのような声をぽつりと零す。


「アルスは、こっちがいいって言うんだ」

「そっか」

「アルスに……おまえも好きなほうを選べばいい、って言われて」


 エリオットがゆっくりと顔を上げて、間近で視線が合う。


「それで、こっちを選んだ。いままで、夢が変わる可能性のある選択なんてしようと思わなかったのに」

「……夢の未来と変わった、ってこと?」


 期待を込めて尋ねると、エリオットはゆるやかに首を振った。


「わからない。僕が見たのは断片的な部分だから、なにも変わっていないのかもしれない」

「……そっか」


 エリオットは、ギギーとレオルがふたりでいるところを夢で見ただけで、エリオット自身やアルスがそのときどこにいたのかはわからない。夢の内容となにも変わっていない可能性もある。


「でも、スタンレイとギギーをふたりきりにさせる選択もできたのに、そうしなかった」

「どうして?」


 エリオットは困ったように笑った。エリオットが訊かれたくないことを訊かれたときに浮かべる表情。エリオットを困らせるとわかっていても、ギギーは訊くのをやめられなかった。


「自分でもわからなくて考えたんだけど……たぶん、こっちのほうが楽しそうだったから、かな」


 それは、嘘偽りのない本心に聞こえた。


「そんな理由で夢が変わってしまったら、どうするつもりだったんだろうね」

「でも、それはあたりまえのことだろ」

「あたりまえ?」

「うん。みんな、毎日ちいさな選択をしながら生きてる。今日はこれが食べたいとか、エリオットだって紅茶は気分で選ぶだろ。ふつうのことだよ」

「そうか、確かにふつうのことなのかもしれないね。でも、僕はそのふつうのことが、たまに恐ろしくなる。自分が、また選択を誤ってしまうのではないかと、恐ろしくてたまらなくなる。……だから、結果の明確な選択のほうがずっと安心するんだ。今回だって、自分がどちらを選んでも夢の内容は変わらないと考えたから選べただけだよ」


 安心すると言っておきながら、エリオットはいつかやってくる未来におびえているように見えた。今回、夢とは違う道を選んだのなら、わずかでも未来が変わる傾向にあるのだろうか。


「俺は、もっとエリオットの好きに選んでほしいって思ってるよ。エリオットの人生なんだから」

「僕、の……」


 エリオットがギギーの世界を広げてくれたように、エリオット自身の世界も広がってほしい。自分の望む未来を進んでほしい。


「それに、今回エリオットがレオルの家に来て、絶対に未来は良くなったよ」

「どうして、絶対なんだい?」

「エリオットが楽しそうだから。俺も、エリオットといっしょに過ごせてうれしい。アルスも、たぶんレオルもそう思っているよ」


 ギギーの返事が予想外だったのか、茫然としていたエリオットが、ふいに相好を崩す。


「なるほど、それは絶対だ。まあ、スタンレイはどうだかわからないけどね」

「うーん、俺もそこは自信ないかも」


 ふたりで笑い合っているうちに魔法石の光が消えて、『おまじない』が終わったことを伝えてくる。エリオットの手が離れたかと思えば今度は顔が近づいてきて、ギギーは目を瞬かせた。


「エリオット?」


 傾いた頭が肩に載ってきて、身体の重みが圧しかかってくる。


「ごめん、限界なんだ。……十分だけ、寝かせてほしい」

「え、体調悪いの?」

「いや、眠いだけだよ」


 そう言って、エリオットは目を閉じてしまった。すぐに規則的な寝息が聞こえてくる。

 一週間の休暇を確保するために、エリオットは無理をしたに違いない。昨夜はろくに寝ていないのかもしれない。十分だけではなく、しばらく寝かせておいたほうがよさそうだ。

 肩に感じる重みと温かさが心地良くて、だんだんと瞼が重くなってきた。はじめ、ギギーはエリオットの身体を抱き留めていたはずなのに、気づいたときにはエリオットの膝を枕にして眠っていて、先に起きていたエリオットに笑われてしまった。


 エリオットのことを知るたびに、エリオットと話すたびに、自分の中のエリオットに対する気持ちが、どんどん大きくなっているのを感じた。

 昨日より、もっとエリオットのことを好きになっている。

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