第22話 気持ちは同じ

「……それで、寮が閉鎖される期間はどうするんだ?」


 涙ぐんだことが決まり悪くなったのか、顔を背けたレオルはそのまま簡易調理場に戻っていった。ぶっきらぼうな声でギギーに尋ねながらコンロの火を止め、ティーポットにお湯を注ぐ。

 レオルがギギーのために泣いてくれたのなら、ギギーにとってはうれしいことで、恥ずかしがる必要はないのに。

 冬季休暇中の年を跨ぐ一週間は、教師や職員も休暇に入るため、寮が完全に閉鎖される。ギギーが家に帰れないと聞いて、レオルは心配してくれたのだ。


「十月のときはエリオットが別荘に連れてってくれたんだけど……」


 ティーポットとカップの載ったトレイを運んできたレオルは、ギギーの斜めにあるひとり掛けのソファに腰を下ろした。エリオットの名前を聞いた途端、むっとした顔になる。


 十月の休暇では、施設の点検のために三日間の閉鎖日があった。当初、ギギーは薬草園の寮を借りる予定だったのだが、エリオットに誘われて郊外にあるシュレーバー家の別荘で過ごすことになった。

 シュレーバー家の別荘は、とても立派でお城のようだった。広い屋敷を使っているのはエリオットとギギーだけで、ほかには使用人が数名いるだけ。ギギーが気を遣わないよう配慮してくれたのだろうが、贅沢というよりもったいない気持ちになった。

 毎日豪勢な食事がふるまわれ、美味しいお茶とお菓子も出てくる。膨大な蔵書の収められた書庫は好きに使っていいと言われ、暇さえあれば書庫に入り浸った。昼間の暖かい時間帯は、庭で過ごすことも多かった。

 エリオットは休暇中も家の仕事を手伝っていたが、時間が許す限りはギギーとふたりで過ごしてくれた。剣や弓の訓練をしたり、敷地内の森を馬で走ったり、湖で釣りをしたり。楽しくてあっという間の三日間だった。でも、お城のように立派な別荘が自分には分不相応に思えて、どこか落ち着かない気持ちで過ごしていたのをよく覚えている。


「……今回は、まだ決まっていないのか?」

「うん。でも、薬草園の寮も貸してもらえる予定なんだ。部屋は空いてるから、直前でも大丈夫だって言ってた」

「寮には、ほかにだれかいるのか?」

「えっと……よくわかんない。普段から寮を使ってるひとはあんまりいないみたいだけど、薬草園に休みはないから、だれかいるんじゃないかな」


 なんとも曖昧なギギーの答えを聞いて、レオルが「それは、大丈夫なのか」と不審そうな瞳を向けてきた。

 騎士学校の寮が閉鎖されるのは、年末から年始を跨いだ一週間。その期間は休業する飲食店も多いので、薬草園から歩いて行ける店も軒並み休みのはずだ。

 たとえ寮にギギーがひとりきりだとしても、調理場は貸してもらえる予定なので、食事を作る環境は整っている。料理の腕に自信はないが、料理実習や期末試験の経験もある。さいわいなことにいまは冬場。日持ちする食材を買っておけば、一週間くらいならどうにか過ごせるはずだ。


「先に、シュレーバーの予定を訊いたほうがいいんじゃないか?」

「……うん、そうだよね」

「自分から言いづらいのはわかるが、あれだけおまえの世話を焼いているシュレーバーのことだ。遠慮は必要ないと思うぞ」

「あ、そうじゃなくて……最近、ずっと忙しそうだから、エリオット」


 エリオットは、近ごろ忙しそうにしている。部屋にこもっているか、門限すれすれまで外出していることが多かった。外泊して翌朝戻ってくることも少なくない。授業が終わればすぐに教室からいなくなり、昼休みでさえ食事を済ませた途端にどこかへ行ってしまう。同じ部屋で暮らしているのに、ふたりでお茶を飲む時間どころか、ふたりきりになれる時間さえほとんどない。そうして互いの予定を確認できないまま、とうとう長期休暇を迎えてしまった。


 エリオットには、休暇の予定だけでなく、『おまじない』のことも話しておきたかった。ここ数日、エリオットが外泊していたときの『おまじない』は、ギギーが寝ているあいだに済ませているらしい。エリオットから部屋に無断で入ったことを謝られたが、ギギーとしては起こしてくれないことのほうが引っかかった。ギギーが起こしていいと言っても、エリオットは笑うだけで、一向にギギーを起こそうとしない。今夜こそ、話をする時間をもらわなくては。


「部屋に戻ったら、エリオットに訊いてみるよ」

「……ああ、そのほうがいい。もしシュレーバーと予定が合わなければ……」

「合わなければ?」

「いや、なんでもない」


 ふたつのカップに紅茶を注いだレオルが、片方のカップをギギーの前に置いたところで、肝心の用件を思い出した。


「レオル、遅くなったけど合宿のときはありがとう。レオルが知り合いの先生に頼んでくれたから、回復薬のことも上手くごまかせた」


 すでに回復薬の使用については、レオルが報告書をまとめ、校医に提出している。内容は問題ないだろうと、校医のお墨つきをもらっていた。教室でレオルから報告を受けたときに礼は言っていたが、改めて礼をしたかった。


「別に、たいしたことじゃない」

「その知り合いの先生にもお礼がしたいんだ。時間があるときに、会わせてほしい」


 そう言うと、レオルはなぜか渋面を浮かべて見せた。


「……礼なんて必要ない」

「医者って忙しいだろうし、迷惑かな……」


 町の診療所で働いていた母は、ろくに休日がないほど忙しく働いていた。王都の診療所に勤めている医師ならなおさら忙しいだろう。

 ギギーが声の調子を落とすと、レオルは早口で訂正した。


「そうじゃない。おまえがわざわざ礼を言うために足を運ぶ必要はない、という話だ」

「もちろん、レオルにつきあわせるつもりはないよ。俺がひとりで会いに行ってくるから、先生がどこの診療所にいるのか教えてほしいんだ。あ、でも先に約束とか取りつけないとだめか。手紙の書き方もよくわかってないから、教えてくれる? あ、あとお礼はなにがいいか相談に乗ってほしいんだけど……」

「だれも、行かないとは言っていないだろう」


 怒ろうとしたのに、調子が狂って怒りそこねた。レオルの表情はそんな感じに見えた。


「いっしょに行ってくれる、ってこと?」

「……ああ。会う手筈くらい俺が整えておく。手土産は不要だ」

「あのさ、もしかして、レオルが会いたくないひとだったりするの?」


 無言は肯定だった。

 その医師について、ギギーは「知り合いの医師」としか聞いていない。レオルとの関係性は不明だった。


「ごめん、レオル。俺、すごくいやなこと頼んでたよね」

「いや、違う。確かにあまり会いたくない相手ではあるが、言い出したのは俺だ」

「ありがとう、すごく助かった。でも、今回のお礼はやっぱり俺ひとりで――」

「だめだ。おまえをひとりで行かせるくらいなら、俺も行く」

「無理しなくていいよ」

「無理はしていない。……そんなに礼が言いたいのか?」

「もちろん、お礼も言いたいんだけど、先生に訊きたいことがあるんだ」

「訊きたいこと? 回復薬の件を心配しているのか?」

「違うよ。回復薬の件は信頼してる。そうじゃなくて、自分のことを知りたいんだ。


けががすぐに治る体質のこともだけど、俺、昔から頻繁に熱が出て……医者ならなにかわかるかなって思って」


「熱のことは試験のときにも言っていたな。大丈夫なのか?」

「詳しいことはわからないんだけど、エリオットがいつも処置してくれてるから平気」

「……そうか。すまない、話が逸れたな」


 熱が出るようになったのはオルランディ家に引き取られたあとの話だが、けががすぐに治る体質のことはだれにも知られてはいけないと、昔は母に何度も言い含められた。幼いころはその重大さに気づいていなかったが、いまならそれがどれだけ大変なことかわかる。

 いままで大けがを負ったことがなかったから、自分の体質の異常さに気づかなかった。一度死にかけたからこそ、理解してしまった。死にかけるほどの身体がたちまち回復してしまう。それは世界でたったひとりしか使えないはずの光魔法を、自分限定で使えるようなものなのだから。


「それで……もしかして、俺って特殊能力者なのかなって思ったんだ。もし、発熱が能力に関係あるなら、どうすれば熱が出なくなるか、わかるかもしれない」


 この世界には、特殊能力というものがある。生まれ持って備えている特異な体質や能力のことで、魔法とは異なり、能力を使用する際に魔力を使用しない。

 速く走れる、耳が良く聞こえる、遠くまで見える。そういった身体能力が強化されたものもあれば、物を浮かせる、声に出さずに思考を伝える、空を飛べる、動物と話せる、といった真偽のあやしい能力もある。個人によって効果の大小の違いはあるものの、特殊能力者は、魔法が使えない国に生まれる事例が多く、このアイレルズ王国では少ないとされていた。


 授業で特殊能力者について知ったときから、もしかしてと思っていたのだ。先日の魔物に殺されかけた事件以来、その予感はいっそう強くなった。

 いままで、ギギーは自分のことにも関わらず、体質について知ろうとしなかった。いくらでも調べる方法はあったのに、だれかに秘密が知られるのを恐れて、向き合おうとしなかった。いまはそれを後悔している。後悔してもどうにもならないから、前を向いて進むしかない。


「騎士学校に入ったきっかけは伯父さんに言われたからだけど、騎士になりたい理由があるんだ」

「……それ、は?」


 どこか期待するようなまなざしを向けられた。絶対にレオルをがっかりさせるとわかっていたが、ここまで話したのだからいまさら嘘はつきたくない。


「伯父さんとの約束なんだ。騎士学校を卒業して、騎士として三年間仕事をやり遂げたら、母親と暮らしていた家を返してもらえる約束になってる。だから、俺にとって騎士になるのは手段だった。――いままでは」


 どうやら、がっかりさせてしまったらしい。隠し切れない落胆がレオルの顔に滲んでいた。


「ごめん、がっかりさせたよね。軽蔑した?」

「違う。そうじゃない。……俺は、この期に及んで期待した。おまえが……もしかして覚えているのか、と」

「覚えてる? なにを?」

「いや、なんでもない。……先ほど、いままでは、と言ったな。いまは違うのか?」

「うん……魔物に襲われてなにもできなかったとき、悔しかった。情けなかった。俺は弱くて、なんの力もなくて、約束も守れなくて、だれも守れない。それどころか、守ってもらうばっかりで、大切なひとたちを危険にさらした」


 下手をすれば、最悪の事態もありえた。そう考えるとぞっとした。


「このままじゃ、いやだと思った。変わりたいと思った。ちゃんと自分の身体のことを知って、ちゃんと訓練できる身体になって、強い騎士になりたい。たくさんのひとを、大切なひとを守れる騎士になりたい」


 黙って話を聞いていたレオルが、大きく目を見開く。


「ギギー、おまえは……――変わらないな」

「え?」


 なにが変わらないのかと尋ねようとして、レオルの浮かべた笑顔に目を奪われた。冷たい印象が消えて、やわらかさと親しみを感じる。幼い少年のような、無邪気な笑みだった。


「わかった。あのひとに会わせよう」

「え? ……いいの?」

「かまわない。俺もおまえに協力したい。……おまえの気持ちがわかるからな」

「俺の、気持ち?」

「悔しい気持ちも、情けない気持ちも、俺にはよくわかる」

「レオルが? あんなに強いのに?」


 あの巨大なテールサーペント相手に、レオルは一歩も引かず果敢に挑んでいた。元騎士である教師たちに引けを取らない強さのように見えた。


「俺は、早く助けが来てほしいと、おまえが助かってほしいと、ただ祈ることしかできなかった。あのときおまえを救ったのは、シュレーバーだ。……俺は、おまえを守れなかった」


 先ほどまで笑っていたはずの顔は、ひどくゆがんでいた。眉間に深い皺が刻まれ、噛み締めた歯が軋んだ音を立て、目は鋭くつりあがり、青い瞳が苦しみに染まる。やがて、ギギーの視線に耐えきれなくなったかのように、ゆっくりと目を伏せた。

 レオルは強くなりたいのだ。友人を、大切なひとを、守れるくらいに強く。ギギーとレオルでは実力の差は大きいが、きっと気持ちは同じだ。


「レオル……きみは、強い。きみがどう思っていようと、俺はレオルが守ってくれたと思ってるよ。レオルがいたから、俺は助かったんだ。本当に、ありがとう」


 ソファから腰を浮かせてレオルの前で膝をつき、きつく握り締められたレオルの両手にそっと手を重ねた。レオルの瞼がゆっくりと持ち上がり、青い瞳と視線が合う。


「俺とレオルじゃ、実力の差がありすぎてこんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、俺とレオルは同じなんだってうれしかった」

「同じ?」

「うん。俺もレオルも、守りたいひとがいて、強くなりたい。気持ちは同じだろ」

「そう、だな。同じだ」


 答えた声はかすかに震えていた。


「いっしょに強くなろう」

「ああ」


 短い返事だったが、レオルの声には強い意思が込められているように聞こえた。


「ひとつ、おまえのことばを訂正させてくれ」

「え、もしかして怒った?」

「そうじゃない。おまえが、だれも守れないと言ったことだ。おまえはテイラーを守った。それは事実だ」

「あ……」


 ありがとう、おまえのおかげだと、何度も繰り返し言っていたジョルジュの顔を思い出す。泣き出しそうなほどぐちゃぐちゃの顔で、うれしそうに笑っていた。ギギーのけがが回復薬で治ったことを知って、よろこんでくれた。


「それに、なんの力もないなんてことはない。忘れているだけで、おまえは――……っ!」


 なにか言いかけたレオルが、途中で声を喉に詰まらせ、激しく咳き込む。よほど苦しいのか、自分の両手を喉に持っていき、茫然と目を見開いた。


「レオル!」

「……大丈夫、だ」

「大丈夫って感じには見えなかったけど……もしかして、風邪ひいたんじゃないの? 医務室で薬もらってこようか?」


 近くで見た顔はひどく青ざめていた。その上、目の下にうっすらと隈ができている。体調が悪かったのなら、時間を取らせて悪いことをしてしまった。


「いや、体調は悪くない。ただ喉が渇いただけだ」


 そう言ってレオルはカップを持ち上げ、残りの紅茶を飲み干す。


「それならいいけど……さっき、なにか言いかけた?」


 レオルは「忘れているだけ」だと言っていた。では、ギギーがなにを忘れているというのか。


「すまない。なにを言おうとしたか忘れた。――紅茶、もう一杯飲むか?」

「あ、うん。ありがとう」


 そのあとは話題が変わり、レオルの知り合いの医師に近々会えるよう、レオルが約束を取りつけてくれることになった。


 さっき「なにを言おうとしたか忘れた」と言ったとき、レオルが視線を逸らしていたことが気にかかった。本当は、なにか大切なことをレオルが言いかけたような気がしてならない。きっと、あれは嘘だ。

 ギギーがレオルに言えないことがあったように、まだレオルに言えていないことがあるように、レオルにだって隠しごとのひとつやふたつ、あるだろう。レオルのことだから、ギギーを気遣って言うのをやめたのかもしれない。だれにだって、ひとに言えないことくらいある。


 そうわかっていても、レオルに嘘をつかれたとわかって、なんだかもやもやしてしまった。自分の子どもじみたわがままに、あきれてしまう。

 さっきは、普段自分のことを話さないレオルが、自分の気持ちを告げてくれてうれしかった。ギギーの話を聞きたいと言ってくれて、同じ気持ちだと言ってくれて、うれしかった。もっと、レオルの話を聞きたかった。レオルのことが知りたかった。

 ふと、考える。

 冬期休暇なら、もっとレオルと話せるかな?

 いっしょに薬草園の寮に泊まらないかって言ったら、レオルを困らせるかな。


 期末試験の夜、好きなひとと再会できたのかとギギーが訊いたとき、レオルは「再会とは言えないだろうな」と言っていた。あれはたぶん、再会できていないという意味なのだろう。もしかすると長期休暇中、レオルはそのひとを探しに行くのだろうか。だから、家には帰らないのだろうか。

 そう考えたら、レオルを誘うことなんて、もうギギーにはできなかった。

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