第21話 おまえがやさしいから

 休み明けの朝、教室に顔を出すと、スタンレイ班の生徒たちがギギーのところに集まってきた。

 みんな口々に身体の心配をしてくれて、魔物からかばったジョルジュには何度もお礼を言われた。休み時間のたびに違う班の生徒から声をかけられ、戸惑うギギーをエリオットやアルスが笑顔で見守ってくれて、レオルの顔はどことなくうれしそうに見えた。

 ダニエルとセドリックは相変わらずいやな視線を向けてきたが、近くにレオルがいるせいか、近づいてくる様子はない。昼休みはエリオット、レオル、アルスといっしょに食堂へ行き、同じテーブルで昼食を摂った。


 期末試験が終了し、ギギーも含めたスタンレイ班の全員が試験に合格できた。一学年で不合格者はひとりも出ておらず、ギギーの順位は相変わらずの最下位だったが、当然と言えば当然で、別段落ち込むこともなかった。

 順位が張り出された紙のいちばん上にはレオル、二番目にはエリオットの名前が書かれている。主席と次席を保持するのは並大抵の努力ではないだろうに、ふたりとも入学以来四ヶ月連続で順位を落としていないのだから、本当にすごい。ふたりと並び立てるように、というのはむずかしくとも、少しでもふたりに近づきたい。

 順位表をじっと見上げていると、隣に誰かが立つ気配がした。レオルだった。


「あ、レオル。主席おめでとう」

「ああ」


 そっけない返事だったが、口元にはちいさな笑みが浮かんでいる。


「試験が終わったらレオルと話そうって思ってて、いま時間ある?」

「かまわない。中庭でいいか?」


 すぐそばにある屋外へ続くドアを通れば、中庭に出られる。明日から二週間の冬季休暇がはじまるとあって、放課後の学校は生徒の姿が普段よりもまばらだった。とはいえ、ほかのひとには聞かれたくない話なので、念のため用心しておきたい。


「うーん、学校じゃちょっと……」

「回復薬の話か?」

「それもあるけど、ほかにも相談したいことがあって」


 期末試験以来、レオルとはふたりきりで話ができていない。ギギーのそばにはたいていエリオットやアルスが近くにいるので、込み入った話ができなかったという理由もあるが、筆記試験が終わるまではレオルに時間を取らせたくなかった。


「わかった。俺の部屋でいいか?」

「え、いいの? レオルの同室ってだれだっけ?」

「同室の生徒はいない」

「えっと、ひとりってこと?」

「そうだ」


 一年生の生徒の数は四十九人。一部屋につき生徒はふたりの割り当てだ。割り切れない数なのだから、当然だれかがひとり部屋になる。


「そっか、ひとり部屋もあるのか……」


 平民の生徒とは違い、貴族の生徒には一切入学試験がなく、入寮した時点では成績の優劣はなかったはずなので、家柄で選ばれたのかもしれない。

 単なる偶然だとしたら、ギギーがひとり部屋だった可能性もある。もし、エリオットと同室ではなかったら、エリオットとは友人になれなかったかもしれない。そう考えると、自分はものすごく幸運だった。

 レオルとふたりで寮へ帰るのははじめてで、どこか不思議な感覚だった。いつもの見慣れた景色が、少し違うものに見えてくる。途中、寮の廊下ですれ違ったアルスは、にやにやと笑いながらなにか言いたげな顔をして、レオルから睨まれていた。


「……お邪魔します」


 ドアから入ってすぐの部屋には、見慣れたソファとローテーブルが置かれている。落ち着いた色合いのローテーブルに、古びた布張りのふたり掛けのソファと、ひとり掛けのソファが一台ずつ。備えつけの家具なので、ギギーとエリオットの部屋にあるものとまったく同じだ。

 座るように言われてふたり掛けのソファへ腰かけ、ぶしつけだとはわかっていても、きょろきょろと部屋の中を見回してしまった。レオルの部屋はものが少なく、自分たちの部屋とは空気や匂いが違うように感じる。同じ間取りで同じ備えつけの家具しかないのに、住人が違うだけでこんなに雰囲気が変わるものなのか。


「コーヒーは、飲めないんだったか?」


 部屋の隅にある簡易調理場の棚を探りながら、レオルが訊いてくる。


「あ、いや、おかまいなく。……飲めないわけじゃないけど、どうしてそう思ったの?」


 確かにコーヒーの苦みはあまり好きではなかったが、レオルにそんな話をした覚えはなかった。


「合宿中、コーヒーを飲んでいるところを見かけなかったからな」


 よく見ているな、と感心した。もともと好みがあるほど嗜好品を嗜んではいないが、エリオットといつも紅茶を飲んでいるせいか、なんとなく紅茶を飲む習慣ができていた。合宿中も紅茶ばかり飲んでいた記憶がある。コーヒーは寮の食堂で飲んだ経験があるが、かなりのミルクと砂糖を入れないと飲めるものではなかった。


「なるほど。確かに、紅茶しか飲んでなかったな。……でも、別に飲めないんじゃなくて、ミルクと砂糖があればコーヒーだって飲めるよ」

「そうか、覚えておこう」


 こちらを振り返ったレオルの口元が、わずかに緩んでいる。笑うのをこらえた顔の

ままお湯を沸かしはじめ、棚から茶葉の入った缶を取り出した。わざわざ、ギギーのために紅茶を淹れてくれるらしい。


「いまさらなんだけど、このあと家に帰る予定だったんじゃないの? 俺の用事は、休み明けでもよかったんだけど」

「いや、俺は帰省しない。気にするな」

「え、そうなんだ? ……もしかして、十月のときも?」

「帰らなかったな」


 騎士学校には、各学期のあいだに長期休暇があり、各学期中にも一週間の休暇が設けられている。休暇中に家へ帰るか、寮に残るかは基本的に生徒の自由だ。

 十月にあった一週間の休暇のとき、ギギーは毎日のように薬草園へ通っていて、朝早くに出かけ、いつも夕方まで働いていた記憶がある。


「俺も寮にいたのに、全然気づかなかったな」

「は? なぜ……」

「うーん、俺昼間はずっと外出してたし、それで気づかなかったのかも」

「そうじゃない。なぜ、家に帰らなかったんだ?」


 こちらを振り向いたレオルは、大げさなほどに目を見開いていた。休暇中は寮に残る生徒があまりいないので驚くのも無理はないが、少し過剰な反応に思えた。まるで、ギギーなら休みに家へ帰って当然だと思っているようだ。

 もし、いまでも母とふたりの生活が続いていたら、ギギーは休みのたびに家へ帰っていただろう。でも、ギギーはあの家に帰れない。会いたいひとは、もうあの家にいない。


「俺、帰る家ないから。昔は、母さんとふたりで暮らしてたんだけど、俺がちいさいころ魔物に……」


 ギギーの母は、町にある職場から家に帰る途中で魔物に襲われ、命を落とした。あのとき、もっと早く探しに行っていたら、なにかが変わったかもしれない。何度そう考えたことか。


「……そう、だったのか。……無神経なことを訊いた、すまない」


 ギギーが座るソファの前まで近づいてきたレオルが、深々と頭を下げる。頭を上げたレオルの顔は蒼白で、虚ろな瞳がどこか遠くを見ているようだった。


「ううん、気にしないで」


 不思議とレオルにはなんでも話せるような気がした。すでに、だれにも知られたくなかった秘密を打ち明けているからかもしれない。


「オルランディ家は母さんの実家なんだ。オルランディ家に引き取られて、伯父さんの養子になったんだけど、その家にはもう帰れないから」

「……なぜ、帰れないんだ?」

「俺、家のひとたちに家族って思われてないから。……使用人みたいな扱いだったし、騎士学校に入学させたのも、学費をかけずに俺を追い出したかったみたいだ」


 さすがに、ギギーが退学になった場合は売春宿に売られることや、養父母といとこたちがギギーの殉職を望んでいることは言わなかった。きっと、レオルを傷つける。それでも、ギギーの話はレオルにとって衝撃的だったらしく、しばらくのあいだ絶句していた。無理もない。


「俺はなにも知らずに、ずっと……」

「え?」

「……だから、自分で働いているのか」

「うん。騎士学校は学費も寮費もかからないけど、なにかとお金は必要だろ」


 みるみるとレオルの瞳に怒りが灯っていくのがわかった。レオルは、ギギーのために怒ってくれている。うれしいけど、レオルに怒ってほしくない。


「あ、でもね、いまは働けてよかったって思ってるんだ。外で働いた経験なんてないし、最初は不安だったけど、薬草園の仕事は楽しいし、みんな親切にしてくれる」


 ギギーが笑うと、レオルは戸惑いの表情を浮かべた。


「おまえは……なぜ怒らないんだ?」

「レオルが、そうやって怒ってくれるだけで十分だよ」

「俺が怒ったところで、どうにもならない。俺は、おまえになにもしてやれなかった……」


 苦しそうな声を絞り出す顔が、いびつにゆがむ。まるで自分が苦しんでいるかのような声と表情だった。ひとの痛みを感じられるレオルは、やっぱりやさしい。


「なにも、なんてことないよ。その気持ちがうれしいんだ。……いままで、あんまり自分のことを話す機会なんてなかったから、こうしてレオルに話せるのもありがたいって思ってる」


 いちばん仲の良いエリオットにさえ、ここまで話したことはなかった。エリオットは自分のことを話したがらないから、そのせいでお互いに踏み込んだ話題を避けていたのかもしれない。ギギーがエリオットに隠しごとをしているから、なおさらだ。


 ギギーが笑いかけても、レオルは奥歯を噛みしめ、ますます苦しそうな顔になるばかりだった。


「ごめん。こんな話しても、気分が悪くなるだけだよね」

「いや、おまえがいやでなければ聞かせてほしい」


 ギギーを気遣ってそう言ったのではなく、レオルが本当にギギーの話を聞きたいと思ってくれているのがわかった。


「こんなこと言うと、レオルはまた怒るかもしれないけど、俺、伯父さんたちには感謝してるんだ」

「……感謝?」


 案の定、レオルは意味がわからないとばかりに顔を顰めた。


「だって、騎士学校に入学しなかったら、レオルとも、エリオットとも出会えなかった。アルスや、ルーファスさん、イアンさん……薬草園でお世話になってるひとたちにも会えなかった。伯父さんから騎士学校に入学しろって言われなかったら、きっと俺はオルランディ家から出ないままだったと思うから」


 ギギーのことばに、レオルはしばらくのあいだ押し黙っていた。怒っていいのか、よろこんでいいのか、わからない。そんな複雑な顔をしている。レオルが、ギギーに出会えてよかったと、かけらでも思ってくれたならうれしかった。


「……おまえがそう思えるのは、おまえがやさしいからだ」


 まぶしいものでも見るかのように目を細めて、レオルが言う。涙で滲む青い瞳は、水をたたえた湖のようなうつくしい色をしていた。


「いいな、その考え方。そうだといいな」


 そんなふうに思えるレオルこそが、だれよりもやさしいと思う。

 レオルのように、身体だけじゃなくて、心も強くなりたい。だれにでも、やさしくふるまえるように。

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