第10話 たくさんのものをもらっている

「ギギー、先に戻ってたんだね」


 バルコニーで本を読んでいると、エリオットが外出から戻って来た。

 午前中まではギギーも薬草園に行っていて、先ほど寮に戻ったばかりだ。


「エリオット、おかえり」

「ただいま。……あれ、鉢植えを増やしたのかい?」

「当たり。よく気づいたね」


 学生寮の各部屋にはバルコニーがついていて、それぞれの寝室と共有の部屋から出られる間取りになっている。入学当初は備えつけのテーブルと椅子しかなかったバルコニーも、いまはギギーが少しずつ増やした鉢植えでにぎやかになっていた。

 鉢植えは薬草園で譲ってもらったもので、花が咲くものもあれば咲かないものもある。バルコニーだけでなく、自分の部屋の中にもいくつか鉢植えを置いていた。


「今日は暖かいし、このままバルコニーでお祝いしようか」

「うん、そうしよう」


 もう冬が近いというのに、今日はずいぶんと暖かい。外套もいらないくらいで、日差しが気持ちよかった。


 学生寮の食堂は、基本的に朝食と夕食のみの提供となっている。寮とは別に校舎の中には学生食堂があり、学生は昼食を学生食堂で摂るからだ。七日に一度の休息日は授業や訓練が一切休みになり、校内の食堂も閉まっている。事前に申請すれば、休息日や長期休暇などの特別な期間は寮で昼食を用意してもらえるが、一食ごとに別途料金がかかる。

 ギギーはいつも休息日には仕事を入れているので、休息日は薬草園の食堂で昼食を済ませることが多かった。今日は試験合格のお祝いとして、エリオットとふたりで昼食を摂る約束をしていたので、互いに食べ物や飲み物を調達し、寮に持ち込んでいる。


 バルコニーのテーブルに買ってきた食べ物を並べ、それぞれが飲み物を手にしたところで、エリオットがグラスを空に掲げた。


「では、ギギーと僕が試験に合格できたことを祝って、乾杯」

「乾杯!」


 ふたつのグラスがぶつかって、涼やかで小気味良い音が響いた。グラスの中身は、ギギーが薬草園の売店で買ってきたレモネードだ。薬草園で育てたハーブと、隣接している果樹園で収穫したレモン、さらには王都で有名な養蜂園のはちみつを使っている。甘すぎず、食事時にも飲みやすい。


「アンヘリカのサンドイッチ、やっぱり美味しい……」


 入寮した日にエリオットが買ってきてくれたサンドイッチを食べて以来、ギギーはアンヘリカのパンがお気に入りになった。


「ギギーによろこんでもらえるなら、並んで買ってきた甲斐があったというものだね」

「あはは、おつかれ。次のときは俺が並ぶよ」

「では、次はよろしくお願いするよ」


 アンヘリカは王都で有名なパン屋だ。夕方前には完売して閉店するのが常で、週末にはいつも行列ができている。エリオットが買ってきたサンドイッチは人気のメニューで、半分に切った白い丸パンのあいだへ、玉子のサラダや照り焼きにした鶏肉、レタスが挟んである。

 隣の店のスープといっしょに食べるのが定番で、エリオットは今回クラムチャウダーを選んできた。貝や細かく刻んだ野菜が入ったまろやかな味わいは、パンとの相性も良い。先ほど温め直したばかりのスープはほどよい熱さで、飲むとやさしい気持ちにさせてくれた。


 エリオットは家の仕事を手伝っていて、休息日には必ず実家に帰り、普段の授業や訓練が終わったあとも、自室で書類仕事をしていることが多い。今週の休息日はギギーとの約束のために予定を空けてくれた上に、アンヘリカでわざわざ入手困難なサンドイッチを買ってきてくれたのだ。


「ギギーの買ってきてくれたピザとフライドポテトも美味しいね」

「たまにこういう味の濃いもの食べたくなるんだ」


 薬草園の近くにある職員おすすめの飲食店で買ってきたのは、チーズと具がたっぷり載ったピザと、皮つきのフライドポテトだった。

 学生寮で出る食事はしっかりと栄養面で配慮されているが、在籍している学生の大多数が貴族の令息であるため、どちらかと言えば上品な味つけの料理が多い。味の濃さもどちらかと言えば控えめだった。


「あ、いま子ども舌だって思った?」


 ギギーがサンドイッチをあっという間にたいらげ、ピザに取りかかったところで、エリオットがくすりと笑った。「いや、思ってないよ」と笑い声混じりの声が返ってくる。


「ギギーは美味しそうに食べるから、見てるだけでこっちも楽しくなるんだよ」

「……こないだも、そんなこと言われた気がする」

「ほらね。そう思っているのは僕だけじゃないらしい」

「食い意地張ってて悪かったな」

「そうは言っていないだろ。みんな、ギギーがかわいいんだよ」

「かわいいって……やっぱり、子ども扱いされてるじゃないか……」


 精神的に未熟であること。世間知らずであること。実年齢より幼く見えること。さらには、女顔であること。どれも自覚しているが、男に対してかわいいと言うのはどうなのか。


「髪型変えたら、少しは大人っぽく見えると思う?」


 手で前髪を上げてみせたギギーに、エリオットは苦笑いを返した。

 エリオットは、どちらかといえば細身で中性的な顔立ちなのに、立ちふるまいのせいか男らしく見える。所作や背丈はすぐに変えられないとしても、髪型くらいならと思ったのだが。


「ギギーは今のままがいいと思うよ」

「でも……さすがに、いろいろともらいすぎな気がする」

「……そこにつながるんだ?」


 エリオットは口元に握った手を当て、笑いをこらえるような顔になった。


「俺が子どもっぽいから、みんないろんなものをくれるのかなって思ったんだけど」

「もらいすぎと言うほどでもないから、気にする必要はないよ」

「そんなこと言ってるけど……いちばん多いのは、エリオットなんだからね。一週間に一回はなにかもらってる気がする」


 エリオットがくれるものは、お菓子やパン、果物、紅茶など、食べ物や飲み物が多いが、ときどきペンやインク、訓練に使う手袋、良い匂いのする石鹸など、普段使えるものをもらうこともある。どう考えてももらいすぎだ。


「気のせいじゃないかな?」

「気のせいじゃなくて本当なんだってば!」

「迷惑なら控えるけど、ギギーはもっと食べたほうがいいと思うよ」

「なに言ってるの、迷惑なわけないよ」

「では、これからも続けよう」

「ありがとう……じゃなくて」

「ほかには、だれになにをもらったの?」


 なんだか上手く言いくるめられてしまった。エリオットに口でかなわないのはわかっていたが、これではもらうばかりで返すのが追いつかない。


「この本、ルーファスさんから実技試験の合格祝いにもらったんだけど、たぶん貴重な本だと思う」


 そう言って、空いている椅子に置いていた本を、エリオットにも見える高さへ持ち上げる。


 今朝、ルーファスにもらった包みを開いて驚いた。中に入っていたのは、古びた植物辞典だった。細かな花の模様を描いた鮮やかな色合いの表紙はため息が出るほどうつくしく、本を開く前から目を楽しませてくれる。


「へえ、油断できないなあ……」

「油断、できない?」


 エリオットは、園長のイアンやルーファスとも面識がある。お祝いに本をもらったという話なのに、どうしてそんな感想が出てくるのかわからない。


「うん。ギギーがなにでよろこぶのか、よくわかってるよね。僕も次はギギーに植物の本をあげようかな」

「いや、なんで?」

「ギギーをよろこばせたいから」

「うれしいけど、困るって。……そんなにもらっても、返せないよ」

「ルーファスさんだって、返してもらうのを前提でギギーにあげたわけじゃないだろう?」

「……出世払いって言われた」

「はは、上手いね」

「笑いごとじゃないって」


 奥付に記されている本の発行年月日を見れば、ルーファスがくれた本が貴重な物であるのは推測できた。古い本なのに状態も良く、目立った汚れや破れもない。ギギーは、薬草園にある職員用の図書館でときどき本を借りているが、持ち出し禁止の本はいずれもこの本と近い発行年だった。

 母の部屋にも植物に関する本がたくさん置いてあったが、この本があったかは覚えていない。以前の家に住んでいたのは子どものころとはいえ、これだけ印象的な表紙なら覚えていそうなものだ。もし母が持っていたとしても、貴重な本ならギギーが汚さないように別の場所へ仕舞っていたかもしれない。


 薬草園に向かう前、学校内でルーファスを見かけたので声をかけ、さすがにこんな本はもらえないと伝えたのだが、「ギギーに持っていてほしい」と言われてしまった。

『以前、大切なひとにもらった本なんだ。俺は覚えるほど読んだから、今度はギギーに読んでもらえるとうれしい』

 本を見つめるルーファスの瞳はやさしく、昔をなつかしむようなまなざしに見えた。大切なひとにもらった本なら余計にもらえないと言ったが、聞き入れてもらえなかった。返すのをあきらめたギギーが「大事に読みます」と言ったら、ルーファスはめずらしく笑みを浮かべていた。


「イアンさんなんて会うたびにお菓子くれるし、昼食ごちそうしてくれるし、ほかにも本とか鉢植えとか……」


 飾り気のなかった寮の部屋には緑が増え、空だった本棚には少しずつ本が増えていった。近頃は、自分の部屋だという実感が持てるようになった。


「じゃあ僕も毎日あげようかな」

「なんで?」

「毎日は冗談だとしても……ギギーの気にしすぎじゃないかな。あげるほうとしては、お返しなんて期待していないんだ。ギギーによろこんでもらいたいだけなんだから、楽しみを奪われたら困るよ」

「楽しみって……」


 半分は冗談なのに、切実そうな声に聞こえておかしくなった。エリオットがいつもこんな調子なので、ついついギギーも甘えてしまう。

 学生の身で働いている時点で、イアンもギギーの事情は察していたのだろう。いまでは食事を節約することもなくなったが、いまだにエリオットとイアンのふたりは、なにかにつけて食べ物を寄こしてくる。お金を払うと言っても必要ないと言われ、なにかお返しをすると言ってもお金は大事に使えと言われてしまう。もちろん、言われるまでもなく給金は節約しながら大切に使っていた。でも、今日はお祝いだから特別だ。


「俺はもらってばっかりだ」

「そんなことない。僕もギギーにたくさんもらっているよ」

「なにかあげたっけ?」


 エリオットからもらった記憶はたくさんあるが、ギギーからなにかをあげた記憶はない。ギギーの問いかけに、エリオットはどうしてかまぶしそうに目を細めた。


「ギギーは、よく笑うようになったよね」

「あ……」


 エリオットとはじめて会った日、笑ってほしいと言われたのを思い出した。友人とはいっしょに笑って過ごしたいからと。


「笑顔だけじゃない。それ以外にも、僕はギギーからたくさんのものをもらっているんだよ。僕のほうが返しきれないくらいに」

「……なんだよ、それ」


 さみしそうな笑みを返してくるばかりで、エリオットはなにも言わない。ギギーには笑ってほしいと言ったくせに、そんな顔を見てギギーがどう思うかなんて考えていないのだ。


 普段のエリオットは穏やかな笑みを絶やさないが、ギギーとふたりきりのとき、さみしそうに笑っていることがある。そういうときのエリオットは、全身で訊かれたくないと訴えかけてくる。まるで身体に薄い膜を纏っているような、エリオットと同じ場所にいながら別の世界にいるような、いやな感覚に陥った。


「お菓子もらったんだよね? 紅茶、淹れてくるよ」


 あらぬほうを向いてそう言い、エリオットは腰を上げて部屋の中へと入っていった。無言であとをついていったが、なにも言われなかった。こういうときのエリオットは放っておけないし、放っておきたくない。


「エリオット、なにかあった?」


 問いかけても、エリオットはこちらを向かなかった。無言でケトルに水を汲み、コンロに火を点ける。もう一度名前を呼ぶと、観念したとばかりに息が吐き出され、ようやく視線が合った。


「ゆうべは、少し夢見が悪かったんだ」

「夢?」

「うん、ただの夢だよ。――ギギー、火を使っているんだから危ないよ。もうちょっとコンロから離れて。……なに笑ってるの?」

「ちいさいころ、台所で母さんにくっついてたら、そう言われたの思い出した」


 魔石が生み出す魔法の火は、本物の火とは色味が違う。鮮やかな赤色が作り物めいているのに、ちゃんと熱を感じ、触れればやけどを負ってしまう。

 騎士学校に入学するまで、魔法石を使った道具はギギーの身近に存在せず、魔法を使えるひとも周りにいなかった。魔法の力を目にする機会もなかったので、いまだに魔法の力がおとぎ話のように思えた。


「ふふ、目に浮かぶなあ。ちいさいギギーがお母さんにべったり甘えているところ。かわいいね」


 エリオットが、まるで幼いギギーを見てきたかのように言う。相変わらず子ども扱いされている気がしたが、エリオットに子ども扱いされるのはそれほどいやじゃなかった。


「――ギギーの家、行ってみたいな」


 それは、ひとりごとのようにちいさなつぶやきだった。

 不意を突かれて驚いた。家を取り戻すのは、ギギーにとっての目標だったから。その経緯をエリオットは知らないが、母が亡くなっていて、ギギーがオルランディ家の養子であることは伝えている。


 エリオットのつぶやきは、思わず口から零れてしまったものだったのだろう。エリオットがはっとした顔になって、不安そうな顔でこちらを見つめてくる。無神経なことを言ってしまったとでも思っているのかもしれない。


「うん。いつか……騎士学校を卒業して、騎士になって、あの家に行けるようになったら、エリオットを招待するよ」

 そう言うと、エリオットはどうしてか泣きそうな顔になった。泣きそうな顔のまま笑って、またさみしさを滲ませる。


「……楽しみにしてるよ」

「まずは、来月の期末試験に合格しないと」


 エリオットがそんな顔をしているのがいやで、早口になった。ギギーに笑ってほしいと言ったエリオットの気持ちが、いまならよくわかる。


「そうだね」


 ギギーのことばにエリオットがいつも通りの笑みを返してくれて、ほっと安堵の笑みが零れた。


 いつか、エリオットをあの家に連れていこう。いつか、エリオットにも話をしよう。騎士を目指す理由やオルランディ家のこと。母のこと。エリオットには全部話をしたいと思った。

 いつか、エリオットにも話してもらえる日が来るのだろうか。あの、さみしさの理由を。できるなら、エリオットが抱えているさみしさをぜんぶ取り除いてしまいたい。


 エリオットには笑った顔が似合うから。

 エリオットには笑っていてほしいから。

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