第12話 ぐちゃぐちゃ 前編
そう、これは何十年も前の話。
「なにするんだよ!?親父!!」
まだ私たちが子供だったころ、クロカは飛べない落ちこぼれとして集落から見捨てられていた。
「うるさい!!お前が何年たっても飛べないのが悪いのだろう!そんなやつは集落にいらん!」
クロカの父親であり、集落の長であるダイラは、飛べないクロカを集落から追い出した。
私がクロカを初めて見たのは山の奥地。
全身ボロボロのクロカが倒れていたところを偶然見つけて、声をかけたことがすべての始まりだった。
「大丈夫…?」
「…んぁ?」
羽も服もぐちゃぐちゃだったから、キレイに整えてあげて、ごはんも作ってあげて、そうやってお世話をしていたら、クロカはどんどん元気になっていった。
「ありがとー!!まじで助かった!」
さっきまでボロボロになって倒れていたとは思えないほど、よく笑う。
そんなところが放っておけなくて、ほとんどの時間を二人で過ごすようになった。
それが気に入らなかったのか、妖狐たちは私たちを悪く言ってきて。
そのときに、私は集落から出て行ってやった。
妖狐が求められるのは『化かす』こと。
ウソも、感情を隠すのも、変身妖術も、苦手な私はクロカと似たようなものなのに、私の親のことを知ってる大人からはずっと期待されていた。
私は親のことなんて全然覚えてないけれど……。
大人から聞く親の話はロクでもなかったことは覚えている。
反対に同年代からは「化かしの基本もできないくせに大人から好かれてるやつ」として見られてずっと居心地が悪かった。
そういうところでクロカと自分を重ねて、助けてあげたくなったのかも。
……あの人間、いろねと出会ったのは、クロカがあの小屋を見つけ出したときだった。
長いストレートの黒髪に、ピンクのワンピース。
年は50歳以上、人間の年齢感がわかった今思うと、それよりもずっと若く見える出で立ちだった。
ただの人間のくせに、なぜかあやかしの山に迷い込んできて、なぜかそこで勝手に家を作っちゃって、なぜか住みついちゃった、本当におかしな人間。
最初はクロカが「秘密基地見つけた!」なんて言うから、ついていったら人間が住んでいて、仲良くお話しているのだからおどろいた。
いろねは絵描きとしてあやかしの山でも絵を描きつづけていたらしく、クロカはいろねに絵を教わっていた。
何をしても失敗ばかりのクロカだけれど、絵はすごく上手に描けていて。
私も少し描いてはみたけれど、全然つづかなかった。
上手なのはもちろん、さらに上手になろうと努力しつづけられるのが、クロカのすごいところなんだと思う。
いろねとクロカがずっと楽しそうに絵を描いて、私が生活まわりのお世話をして……二人が三人になっただけで今と変わらないような、とても楽しい日々を送っていた。
「クロカ。絵描きに大事なものが、なにかわかるかい?」
いろねが絵を教えるときは、『描き方』よりも、『考え方』をよく口にしていた。
「……絵の上手さ?」
クロカは小首をかしげる。
「それも大事だね。というか、絵描きに大事なものなんてその絵描きによるんだが」
「じゃあ、なんの質問だよ?」
クロカは不満げに頬を膨らませた。
「なんでもいいけど、大事なものをもって描くのが大事なのさ」
いろねは長い黒髪をまとめながら、クロカの方に視線をうつす。
「……ややこしい」
クロカはそのまま床に寝転んでしまった。
「そうだなぁ、私は描くときに『ほかの人に見せたら、どう思われるか』っていうのを一番大事にしてる」
「自分が描くのに?」
いろねは、クロカの言葉に対して「フフッ」とほほえんだ。
「なにも変なことじゃない。絵は人に見せるものだ。自分が描いたときに何を思って描いたかよりも、見た人が何を思うか。絵描きになるなら、こっちも考えないと」
「……妖怪どもに見せたって意味ないよ」
クロカは顔を暗くする。
「じゃあ、絵の言葉を教えてやればいい」
「絵の言葉?」
初めて聞いた言葉に、クロカは少したじろいだ。
「私たちが日本語を使うように、海の向こう側の人たちが英語を使うように。絵には絵の言葉がある」
「文字なんて書いてないけど」
いろねはクロカの口元にひとさし指を当てて、言い放つ。
「そこが絵の言葉のいいところだ。誰にだって感じられる。誰にだって通じる。そうして、いつか、絵で!親父を見返してやれ!」
「……おう!」
クロカは、とても、とても輝いた笑顔をしていた。
それから、40年とすこし。
いろねは息を引き取った。
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