まちこがれるもの
…ぼくは昏倒していたらしい。この病気は厄介だ、前ぶれなく突然発作を起こす。
発作と同時に意識を失えば苦しまずにすむが、意識が保たれていると身体変調や不整脈、呼吸の停止などで苦痛を味わわされる。このときは前者だったようだ。
が、もしかしたら限りなく死に近い状態だったかもしれなかった。ぼくの意識(いや霊魂と言うべきかもしれない)は、再びこの世とあの世の境目に漂着したようだ。
以前と違って、果てしなく灰色の荒野が広がっている。どことなく歩いていくと、
川のような何かがあり、そのほとりに誰かいた。僕が死んだとすれば出会うのは…。
「死神さんだね」
ぼくが話しかけると、フードを顔が見えないほど目深にかぶった全身灰色の誰かは
立ち上がった。
―そう呼ぶ人もいる―
「ぼくを迎えに来たのか?」
ぼくが死神と呼んだその存在は、ゆっくりと首を横に振った。
―我は そも死を促す者ではないのだよ―
ぼくは驚いた。死神の印象は命を奪う存在と定着しているが、それが謝りだと
それも死神本人(?)が言うのだ。…それは言葉ではなかったかもしれないけど。
「それじゃどうしてぼくはここへ?なぜ死神と出会ってるんだ?」
感情的な発言だったが、なぜか元気がないせいで、きっと淡々と言っただけだと
思う。死神らしき存在はぼくの言葉なんて気にせず自分の意志を伝えてきた。
―いいか?お前が真にここへ来ることを許されたとき…我は必ず迎えにゆく―
ゆるされるとき…それはきっとぼくが死ぬ時だ。
―そしてここより先へ案内する。そこが何かは今は知ろうとしないことだ―
ぼくの心にはいつも死亡願望がある。どうせ病気でいつどこで死んでもおかしくない体だ、だったらもう苦しみたくない。それに真友とも別れ、不安なまま周囲には
健康であるかのようにアピールするのにも疲れた今、死亡願望が大きくなっていた。
―その日まで辛くても、苦しくてもあがき続けるのだ。
決して自ら命を絶ってはいけない―
死神らしき彼は、全て知っているのだ。なぜぼくだけが死の淵と生きる世界を行き来
できるのかわからないけど。
―この約束は…絶対だ―
そう死神が言ったとき、ぼくの心は暖かくなった。得難い友を得たように思えて
心が和んだ。死神の言った言葉なのに!
―お前も約束を守るがよい―
そう伝えてくると死神はフードを取った。
その瞬間の驚きは…ぼくは一生わすれない。あの衝撃を忘れるなんてできない。
―誓いの証を記す―
そう伝えると死神は、ぼくの額にキスをした。人のぬくもりよりも少しだけ熱い、
そんな感覚だった。
死神とキスをすると、死の世界へ
後に目を覚ました。
気がつくとぼくは部屋の真ん中に倒れていた。壁の時計を見たが、何時ごろ倒れたのかわからないから意味はなかった。おきあがって目をこすると、指先が何かぬるっと
する。
「!」
それは血だった。ぼくの血だ。額の真ん中から血が流れた後で、もう止まっている。
「こ、これは」
さわってまた驚いた。洗面所で血を洗い流してさらに驚いた。
…傷口がなかったから。
では、なぜこんなにたくさんの血が?
<まさか…>
そう、そこはこの世とあの世の境目で、死神がキスをしたところなのだ。
そこから傷口もなく、血は流れ出ていた。
これが死神の言う誓いの証なのか…。
<証は本物だったんだ、ぼくは本当に死神に出会った>
激しく驚きはしたが、不思議と恐いとは思わなかった。いやむしろ、
得難い友を得たように思った、あの感じが甦ってきて安心した。
<いつどこで死んでも、きっと彼が迎えに来てくれる>
死に安心感を見出す人はどれくらいいるんだろう?少なくともぼくは
迎え入れてもらえるから安心できるのだ。彼がいる限り迷うことはない。
そうおもうとぼくが死神と呼んだ彼がなつかしく思えて、会いたくもなる。
<このことは一生の秘密だ。きっと彼もそれを望んでいるに違いない>
特に最後のあの瞬間は。
そしてぼくは彼の言う絶対の誓いを守ろう。辛くても、苦しくてもあがいて
生きよう。
いつか、彼との再会を夢見つつ…。
いつか誰もがぼくと同じものをみて、同じ体験をするだろう。
あの瞬間に驚かない人はいないだろう。
―安心して死を迎えたくば、精一杯生きよ。死後の安息を求めるならば
生前に思いを残すな―
ぼくの心にはこれからも、この死神の最期の言葉がこだまし続けている…。
終
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