思考という名の本編

話し続けるということ(志田為ました)

 会話に参加し続けることが求められる状況で見出した活路、それは…。

 


 社会人生活が始まりました。とはいっても最初は研修なのでひたすら学ぶ学ぶという感じで働くという感覚はありません。なんならバイトの方が働くという感じがしてました。


 ただ、明らかな変化というものはありました。それは長時間にわたって同期たちと一緒にすごさなければならないということでした。一部屋に収まるくらいの人数で、みんな近い場所に一人暮らしをしていることもあり、朝9時ごろから家に帰るまでのほとんどの時間を同期らと過ごすことに。一人でいることが多い自分にとっては、話し相手がいるというのは嬉しいし、同期も悪い人たちではないのでいいのですが、誰かと話し続けるというのが疲れてしまうのでした。


「おとなしいなあ」

「猫かぶってる」

上司や同期から飲み会で言われました。自分から延々と喋り続けることができる人にしてみれば本来の姿を見せていないと思われるのでしょう。確かにそうなのです。でもどれだけ飲んでも饒舌になるわけではないのです。この言葉がグサグサ刺さりました。


 会社の拠点への移動、飲み会、そして休憩中もどこか話さなきゃいけない空気がずっと漂っているのです。話したい人は話し続けるし、そこにまったく混ざっていないと同期の中で置き去りになってしまう感じがするのです。トイレが唯一一人になれる瞬間です。戻ってきたときみんながスマホをいじっていると安心します。でもまだ嫌いな静寂なのです。



 先輩も気を遣っているようで、「後輩が話してくれる方が嬉しい」と言っていました。それもわかるのです。一対一ならまだやりやすい。ガンガン喋る同期の前で口を挟むなど至難の業です。喋る同期の情報はどんどん流れていって先輩との繋がりができていって、情報が流れたら何を話したらいいのかわかるから先輩も話しかけやすくなって、より喋る同期が喋りやすくなる。空間が自分の興味のない話題でいっぱいになる。自分から話さないと関係が深まっていかないのです。


 関係を築くために喋る、でも喋ると疲れるからエネルギー調節はする。このバランスが求められます。難しいところです。しかし本当にどうしようもないわけではありません。


 私にはツッコミ力があります。世の中にはボケる人は多いですがツッコミを専門にやる人間は少ない。この隙間をつきます。同期もボケる人が多い、そうみんな面白いことを言いたいのです。自分から話しかけるのは苦手でも、返しをすることは幾分か得意です。やっていきました、会話に少しずつ挟んでいくのです、サンドイッチのレタスのように。会話に反応してくれる人はお喋りにはありがたい存在なのです。この回数を増やしていくうちに自然と話しやすい状況ができていくと思うのです。

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