第26話

「なんか雰囲気違うよ?俺分かっちゃうんだな、そういうの」


「……いないですよ」



そっかそっか、と全然信じていない様子で言う彼はこんな感じでも界隈では多くの若手から「親父」と呼ばれる程の人望を持っている。


アドバイスはいつも的確で、人を良く見ていて、洞察力も高いことは私もよく知っているけれど、私に気になっている人がいるっていうのは一体どういうことなのだろう。


不意に1人、無防備に晒されるほてった美しい顔が脳裏に浮かんだけれど、きっと気のせいだ。



「ま、なんか困ったらまたいつでも遊びにおいで」



目尻の皺とほうれい線を深めながら、いつだって優しくそう声をかけてくれる。


彼だって、今でこそ父親ほどの歳の中年だけれど、昔はさぞ女性に困らなかったのだろうという事が容易に想像出来る容姿を備えている。勿論、今でもすごく格好いいと思うけれど。




それから暫くの間は瀬尾さんの近況や私の仕事の話をしたり、界隈の噂話を聞いたらしながら過ごしていた。


お客さんから差し入れで貰ったらしいどら焼きをひとつ頂いて、コーヒーが冷めるまで一頻り話したところで、私のスマホの通知音が鳴った。



「もうこんな時間かあ。今日はもう予定ないの?」


「えっと、後で少し野暮用が」



通知を開くと、辺美さんからのDMだった。



《仕事終わりました!今から送ってもらうので、17時には待ち合わせられます。》



「デートか?」


「あ、いや、違います!」


「へえ〜?」



デートではないしやましい事なんて何もないのだけれど、じゃあ何て言えばいいのだろう。分からなくて変に誤解されてしまった。



「ほ、本当に違うんですけど、あの、知り合いの家に忘れ物をしてしまって」


「家に?!」


「あ、いやそれは」


「ふうん?知り合いね?」


「……人助けを、少し」



訝しげな表情で面白そうにこちらを見ている瀬尾さんには、まだまだ到底敵いそうもない。



「急がなくていいの?」


「そうですね。そろそろお暇します」


「……良いことあるといいね」



生きる伝説のようなこの人には、一体何が見えているのだろうか。





レコードの袋を下げて瀬尾さんの店を出ると、もうすっかり空が青紫色に染まっていた。晴れていたから、遠くの方にほんのりと綺麗な橙色が残って見える。



《了解です。じゃあ17時にスーパーで》



拾ったタクシーの中でメッセージを送り、車窓を流れる光の川を眺めていた。視線を上げると西の空で金星が淡く光っていて、ほんのさっきまで広がっていた青紫色はすべていつの間にか藍色に染まっていた。

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