ホワイト アンド ブラック ≒ ファレノプシス

ながいやすみ

1 天使と胡蝶蘭

 

   Ⅰ


 なにか鼻先をくすぐる感触があって、由利健人は目を醒ました。背後にある窓のカーテンの隙間から、細く伸びた日差しが差し込んでくる。


 ――もう朝か・・・


 まだ夢心地の由利の頰を、淡いブリュネットの卷毛の先が再び掠めた時、これは夢ではないと気がつき、目をひらいて驚いた。


 ――隣に、誰か居る?


「・・・だれ⁉」

 由利が目覚めたことに気がつくと、相手も軽く寝返りを打ち、見知らぬ少女が、上目使いでこちらを見てニッコリと笑った。

 思わず飛び跳ねるように身を起こす。勢いで夏用の肌掛け布団が半分ほど捲れ上がった。その瞬間、全裸の少女の姿があらわになる。七、八才くらいだろうか。


「うわっ‼」

 慌てて捲れ上がった布団を掛け直す。

「君は一体?・・・」

 少女は頭まですっぽりと被っている布団からチラリと顔を覗かせ、黙って由利を見つめ、小首を傾げて微笑んだ。

 そうしてゆっくりと身を起こした時、肩口に引っかかっていた布団が、ゆるゆるとずり落ちた。

 こちらを向いていた少女は、前を隠す物が何もなくなったのに気がついて、頰を赤らめすぐに後ろを向いた。

 身をよじった彼女の背には、鳥のような白い羽が、淡い光を放っている。



「・・・天使!?」

 そう呟いた由利は、ふと思い当って、出窓の棚に置いてある、蘭の鉢植えに目を遣った。

 すると、昨夜ゆうべ寝る前までは確かに、一輪だけ大きく咲いていた、鳥の翼の形の純白の胡蝶蘭の花が、いつの間にか姿を消していた。




    Ⅱ


 由利健人が不用品回収のバイトを始めて三か月ほど経った頃、このバイトを紹介してくれた大学の先輩、矢田部に、遺品整理の仕事の方も手伝わないかと誘われた。なかでも高額報酬の、孤独死や自殺、殺人事件などがあった、いわゆる事故物件と呼ばれる部屋の荷物の整理だそうだ。


「なあ、やるだろう?」

「いやあ~、俺、流石にそういうの、ないっすわ」

「なに? 健人って、霊とか見える人なの?」

「いや俺、霊感とか全然ないですけど・・・。でもそれはキツイっすよ」 

「そっか。じゃあ決まりね。どうせお前、水曜は大学、講義なくてヒマなんだろ?」

「ええ~~」



  ****



「ここの大家に、部屋に残っているモノは全部持って行ってくれ、って言われたけど、売れそうな物はほとんどないなぁ」

 バイトの当日、早速仕事を始め出した矢田部が、クロゼット、備え付けの収納や引き出しを、次々開け放ちながら言った。


「なんだか、ガランとした感じっすね。めぼしい物は遺族とかがもう持って行ったんですかねえ・・・」

 由利がぐるりと部屋の中を見まわしながら言った。

「いや、昨日の大家の話だと、まだ若いのに両親は死んじゃって居なくて、保証人になっている親戚にも遺品の引き取りを拒否されたんだってさ」

 矢田部がクロゼットに掛かっている数少ない衣類を物色しながら答える。


「そうなんすか? 残ってる服とか部屋の感じだと女の人ですよね? なんだか気の毒っすね」

「殺人事件らしいからなぁ・・・。まあ、そんなに親しくもなければ、余計なことに関わりたくないって気持ちも、わからんでもないけどな」

「うえ~、殺人事件って、マジっすか?」


 由利が部屋の中を改めて見廻した。その時、部屋に入ってすぐ、開け放っておいた窓から、ふわりとレースのカーテンを揺らし、初夏の風が吹き込んで来た。

「ああ、マジらしい。でもなんだか変な事件みたいで、警察も首を傾げてるんだとさ」

「変?」

 由利が矢田部の方を振り返った。


「うん。遺体がなかったんだと。なんでも大家が連絡して警察が来た時、床には少量の血痕と、数本の骨しか残っていなかったそうだ・・・」


 そう言いながら、不意に脅かすように大きな声で、矢田部が由利の目の前のフローリングの床を指さした。

「ほら! ちょうどその辺だよ‼」

「えっ? うそ‼」


 叫んで二三歩後ろに飛び退き、指さされた辺りの床を見つめる。その傍にある、小さなガラステーブルの上の、鉢植えの胡蝶蘭の花が静かに風に揺れていた。



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