第4話 既視感のある距離の詰め方だな




 翌日――


 昨日の寒さは何だったのかと思えるほどカラッとした日差しが照り付ける。

 そんな春らしくない天気のもと、今日も今日とて疲労が溜まった体に鞭打って、ホームで満員電車とそのお客さんたちとの格闘戦を繰り広げていた。

 ちょ、おっちゃん、そのでかいカバンは前に抱えろって。



「あつ……」



 あれからというもの、お客さんの対応や通常業務に追われて再び大崎さんの姿は見ることはできなかった。

 彼女も新生活を始めて時間に追われる中で俺に話しかけてくれたのだからわざわざ引き留めるわけにもいかないし、そもそもそんな状況ですらなかった。主に俺の情けない心臓が。

 別れる間際に何か聞こえた気がしたけど、追いかけてくることもなかったので怒っていないと信じたい。



「おはようございます、上野さん」

「うぉ……!!お、大崎さん!?」

「驚かせちゃいました??ごめんなさい」

「い、いや、俺も暑くてボーっとしてたので」

「ほんとに今日は暑いですよねー。ニュースでも春なのに熱中症注意とか言ってましたよ??」



 優しく叩かれ振り向くと、そこには昨日俺の中に嵐を巻き起こした張本人、大崎さんがニコニコと笑みを浮かべていた。

 マスク越しだったので口元は笑っていないというガクプルシーンも頭によぎったけど、声色やほわほわとした雰囲気からそれはないように思える。

 でもこの人演技の達人だしな。どうなんだろう……


「暑いなかお仕事お疲れ様です」

「ど、どうも……」

「そういえば昨日のことなんですけど――」

「えっ……とぉ」



 さっきの世間話をしていたほわほわとたんぽぽみたいな空気感はどこに行ったのか、一気に真面目トーンに変わった。

 “昨日”というワードが飛び出してきて、冷汗がじとっと肌にへばりつく。

 結局丸々一日考えても俺の粗相は『せっかくの厚意を無下にしたこと』以外わからず、最終的に「話題が出た瞬間に謝るか」と情けないことを考えていたところだった。



「えっと、昨日はせっかくのご厚意を無下にして、本当にすみま――」



 色々な汗のせいで重くなった制帽を取って頭を下げようとすると、彼女の美しい手が伸びてくる。



「はい、これなら仕事の邪魔にならないでしょう??」

「つめ……!!」



 そう言って大崎さんは、頭を下げるために少しかがんだことで近くになった俺の首筋にぴとっと冷たい何かを当ててきた。

 反射的に身を引いて確認すると、キンキンに冷えた小さいペットボトルのお茶だった。



「これなら余ってもポケットに入るでしょうし。暑いからちょうどいいかなーと思って……」



 そう言って大崎さんはその小さな手でははみ出してしまう350㎖のペットボトルを差し出した。


 昨日のことを気にしてしまっているのかどこか自信なさげで、目線が俺とペットボトルを何度も往復している。

 やはり余計に気を遣わせてしまったみたいだ。きっと俺が言ったことを踏まえて邪魔にならず、少しでも役に立ちそうなものを、と色々考えてくれたのだろう。

 そうじゃないとお茶一つ渡してくれるのに、ここまで彼女の頬を染めさせてしまうことはなかったはずだ。

 そりゃ緊張しちゃうよな。



「あ、ありがとうございます」

「…………!!」

「ありがたくいただきます。というか、今開けても……??」

「も、もちろんですっ!!上野さんの顔赤いですし、熱中症になる前に飲んじゃってください!!」



 彼女の厚意に甘え、汗で水分が抜けてしまった体に冷えた麦茶を染みこませる。

 冷えているはずなのにどこか温かいように感じるのは、俺の体温が高すぎるからなのだろうか。


 ぐっと一気にペットボトルを空にして大崎さんの方に視線を移すと、どこかそわそわしながら一部始終を見ていたようだった。

 いや、普通に恥ずかしいんですけど。



「ごちそうさまでした。おいしかったです」

「そう言ってもらえてわたしも少し安心しました。上野さんの好みもわからなかったし、最近新しく出たお茶とかどうかなって勝手に選んじゃったので」



 確かに言われてみれば、普段飲んでいるやつとは若干味が違う。

 よく見てみると、ラベルにプリントされている大崎さんと同年代らしき女優が、可愛らしい笑みを浮かべながら『期間限定』と吹き出し付きで宣伝している。



「ラベルの、か……かわいい女優さん、今話題の人ですし……」

「そうなんですか??すいません、自分あんまり明るくなくて……」



 テレビを観ない人間にこの手の話題は返しにくくて少し困る。

 流行についていけない人間のレッテルが張られてるみたいじゃん。


 あはは、と曖昧な笑みを浮かべて、後ろに設置されていたゴミ箱に入れる。

 すると、大崎さんは一瞬ぽかんと俺のことを見たかと思えば、被っていた黒のベースボールキャップを深く被りなおし、マスクを取ってあの時と同じようにズイっと距離を詰めてきた。

 なんかデジャブを感じるけど、今度は何!?!?



「……っ!!」

「えっと……なに、か……??」



 俺が半歩引いて彼女の魔力に吸い寄せられまいと距離を取り、彼女の整った顔全体を昨日ぶりに拝む。

 前回よりかは離れているけど、変わらず甘く惑わすような香りは届いている。

 相変わらず心臓はうるさかったが、二日続けての読めない行動で困惑の方が若干勝ってどこか冷静さがあった。



「なんでもありません……。すいません、急に驚かせてしまって」

「いえ、俺は別に大丈夫です」



 「うぅ」と小さくうめき声をあげると、彼女はすっと離れていく。

 俺は訳も分からず大崎さんを見ることしかできなかったが、彼女はどこか不満そうに頬をぷくっと膨らませる。



「……これ以上お仕事の邪魔できませんね。今日はありがとうございました」

「い、いえ。こちらこそありがとうございました……??」



 そう言うと大崎さんは再びマスクで端正な顔を隠し、ラッシュ終盤で混雑が落ち着き始めた電車に乗り込んで行ってしまった。

 なんか台風みたいな人だな。



「ってか俺、やっぱり何かやらかしてるよな……??」



 そんな不安がバイト終了後も、大学に着くまで俺にまとわりつくのだった。




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