第26話

そんなことを言われるとは思わなかった。そんなふうに考えているなんて、全然。

でも彼は本当に本気で不安そうに、手元の草を指に絡めながらそんなことを言うのだ。



藤「そのような心配をなさる必要は、どこにもございません」

直『………』

藤「ご主人さまに不安を抱かせてしまったのは、お側に仕えている私の落ち度です。本当に申し訳…」

直『やめて!』



鋭い声が遮った。その瞳に涙が溜まっているのが見えて、内心激しく動揺する。

彼の本気に対してこちらも本気で答えようとしているのに、どうしてそんな反応をするのだ。



直『俺はご主人さまじゃないよ。直井由文だよ!』

藤「ごしゅ…由文さま」

直『おまえずーっと俺のこと、“ご主人さま”としか呼ばねぇじゃん!なんでだよ、怖いよ!いやだ!…俺、頑張るから…』



叫んでいた口調が急に弱々しくなり、最後の方はほとんど聞き取れないぐらいだった。

草が風にそよいで、波のように揺れる。かすかな虫の声だけが響いてくる。


今ここには、2人しかいない。

離れた場所で馬を撫でながら待っているであろう増川は、きっと夕食の献立に思いを馳せている頃だろう。



藤「由文さま」



そっと、その肩を抱き寄せた。



藤「私の主は、絶対に貴方1人だけです。これまでもこの先も、ずっと」



無言の瞳の端から、涙が転がり落ちる。

きれいだと思った。湖面にうつった月よりも星よりも、水辺の花よりも、ずっとずっと。



藤「私が“ご主人さま”と口にしたら、それはすなわち貴方のことだけを意味します。例外はございません」

直『…っ、ほんとに…?』

藤「本当です」



次の瞬間、その身体が思いっきり抱きついてきた。



藤「ぅわっ…」

直『藤くん。藤くん、藤くん…!!』



おそるおそる、その背中を抱きしめ返す。

そうしたらご主人さまは安心したように、腕にいっそう力を込めてきた。



直『ね。命令があるんだけど』

藤「め、命令ですか?お願いとかではなく?」



いつにない彼の言葉に、少し身構えれば…



直『今の約束、絶対破らないでね。ずっとずっと、俺の側にいてね』

藤「…言われなくとも」





初めての命令がこれかと思うと、自然に頬が緩んでくる。


―――そんなの、命令のうちに入らないのに。

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