お母さんはアイドルになれない
結果だけ言うと、母は書類選考で落ちた。
当たり前すぎる結果だというのに、母は普通に落ち込んでいた。
本来であれば落ち込むこともおこがましいのであるが、まあ、一旦それはいい。
想定外だったのは、私が書類選考を突破してしまったのである。
結果を告げるメールが届いた直後、母は自分の落選と娘の通過で軽いパニックになっていた。
「どうして私だけが落ちるのよ! 同じ遺伝子持ってるのに!」
「チンパンジーと人間って遺伝子ほとんど同じらしいよ」
「むきー!」
興奮する母をなだめつつ、私は今後の身の振り方を考えた。
私だって花も恥じらう女子高校生の一人である。アイドルという職業に憧れが無いわけではなかった。その上書類選考まで通過できたのだから「お? お? これは? ワンチャン? あるか?」 と期待を持っても仕方がないことだろう。
それに、後から気が付いたことだが、このオーディションの審査員の中には、
せっかくの機会だ。アイドルになるビジョンは全く見えないが、一次選考くらい受けてもバチは当たるまい。それに、審査員にミシロちゃんがいるというのも嬉しい偶然だ。
どうせミシロちゃんが出てくるのは最終選考あたりだろう。そこまで自分が残れるだこれっぽっちも思っていないが、運が良ければ生の彼女を一目見ることができるかもしれない。それだけでも十分に価値はある。
そうやって自分を納得させ、私はノコノコ選考会場にやってきたわけだが……。
「神代ミシロです。今日はよろしくお願いします」
面接会場の会議室にずらっと並んだ審査員の並びに、ミシロちゃんは普通に座っていた。
当然、私は絶句した。
「ミシロちゃんの希望で、一次選考から審査員として参加してもらっています。緊張するかもしれないけど、リラックスして、普段のあなたを見せてください」
ミシロちゃんの隣に座る男性の審査員がペラペラと喋っていたが何を言っているか全く耳に入らなかった。
平均よりも一回り小さい顔のなかに、美しいパーツが完璧な場所に配置されている。神様が気まぐれに本気出して作ったとしか思えない。圧倒的な存在感に視線が吸い寄せられてしまう。あ、まばたきした。超かわいい。
「秋田さん、大丈夫ですか?」
「え、あ、ごめんなさい」
いかん、ミシロちゃんに引っ張られすぎた。集中しないと。
「では、さっそくですが自己紹介をお願いします」
「はい。秋田希美と申します。東京都出身の高校一年生で……」
それからは、一次選考はつつがなく進行した。どうやら事前に送った書類の内容が正しいかどうかを確認する趣旨らしく、答えに窮するような質問はとんでこなかった。
「希美さんはどうしてこのオーディションに応募してくださったんですか」
「実は親が勝手に応募してまして」
「よく聞く話だね」
「実は親も一緒に応募してまして」
「初めて聞く話だね」
「でしょうね」
目の前に座る審査員が苦笑いを浮かべる。多分私も似たような顔をしているに違いない。
「大体聞きたいことは聞けたかな。ミシロさんからなにかありますか?」
審査の終わりが見えてきたところで、男性の審査員がミシロちゃんに話を振った。
「ありがとうございます。じゃあ、一言だけいいですか?」
ミシロちゃんは、ゆっくりと口を開いた。
「お母さんに伝えてください。『アイドル、舐めるな』って」
「え」
その声はひどく冷たく、端正な顔立ちの奥には、何かを必死に抑え込むような表情筋の動きが感じられた。
もしかして、ミシロちゃん怒ってる?
「確かにこのオーディションは年齢不問で幅広く募集しました。それは本気でアイドルに向き合うつもりがある人であれば年齢は関係ないと思ったからです。やる気に勝る才能は有りませんから」
ミシロちゃんはしゃべりながらヒートアップしていくようだった。段々と口調が早くなっていく。
「私は14歳でこの業界に入りました。歌、ダンス、ライブ、ファンやスタッフとの人間関係。大変なことは山ほどありました。それでも自分の夢のために色んなものを犠牲にして、人生かけてアイドルやってきてます。だからこそ今の立場があるし、そういうやる気のある娘を支えたいとも思ってます。でも、あなたのお母さんはそうじゃない。書類からも、娘のあなたの話からも、本気度を感じなかった」
それは……返す言葉もない。
「勝手に申込みされちゃったあなたには罪はないと思うから、あなたに言うのはお門違いなのかもしれないけど」
ミシロちゃんが大きな目をさらに見開いて、はっきりと言い放った。
「アイドルは、『ただ普通に生きてきただけ』のおばさんが冗談半分でなれるものじゃない。私はそういう冷やかしが一番許せない」
ぎゅっ、と自分の内臓を全部握りつぶされたような感覚が走る。
気を緩めると口からぐずぐずになった身体の中身が全部飛び出してしまいそうだった。
「ミシロちゃん、落ち着いて。秋田さん、ごめんね。彼女、アイドルのことになると本気になっちゃうんだ」
別の審査員が焦って割って入った。
「いえ……おっしゃることはその通りですから」
ミシロちゃんがいうことは正しい。母がやったことは、見ようによっては自分が真剣にやってることを小馬鹿にしたように見えるかもしれない。母親が書いた書類で自己PRなんかしている自分なんてさらに問題外だろう。
でも、一つだけ。ミシロちゃんの言葉で納得できないことがある。
『ただ普通に生きてきただけ』?
それは、それだけは、違う。
「じゃ、じゃあ最後の質問です。これは全員に聞いているんですが、このオーディションに合格したら、あなたはどんなアイドルになりたいですか?」
審査員の言葉が耳に入る。これに答えたらこの審査は終わる。
多分私は落選だろう。ミシロちゃんに生で会うことは、こうして言葉を交わすことは二度とない。
だったら、ここで言わなくちゃいけない。
「私は……母のようなアイドルになりたいです」
「……は?」
ミシロちゃんが露骨に眉をひそめた。舐めるなと言った本人が目標だなんて、喧嘩を売っていると捉えられてもしかたない。
でも、ミシロちゃんは知らない。母の人生を知らない。
熱を出した私を背負って歩いた小さくて暖かい背中を。
亡くなった父の墓前でそっと合わせられる細い指先を。
値引きされた総菜を皿に盛る申し訳なさそうな手つきを。
夜遅くに干された洗濯物の冷たさと柔らかさを。
早起きして作られたお弁当を。「冷食ばっかりでごめんね」というメモを。
高校に合格した私に、「おめでとう。頑張ったね」って言いながら流した涙を。
必死に私と向き合ってくれた母の人生が、『ただ普通に生きてきただけ』なんて言葉で片づけられていいはずがない。もしそうなら、あんなに輝くはずがない。
「若くして私を生んで、女手一つで育ててくれて、私を奮い立たせて、元気にしてくれて、寄り添ってくれて、ずっと支えてくれた。その姿は、画面の奥やステージで歌い踊るアイドルよりも、光って見えました」
そうだ。お母さんは。
私にとって、誰よりもアイドルだった。
「私も誰かにとって、そういう存在になりたい。そう思っています」
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