第十六

「……殿下が、遺都に?」


 敬義は、報告に眉を寄せた。

 声は、敬義が個人的に雇っている密偵のもの。


「幽鬼の被害が増えている件について探りに行かれたようですが。その途中、皦玲皇子殿下に良く似た女人に出くわしたようで。その行方を追っていらっしゃいます」

「皦玲皇子殿下が? ――まさか」


 皦玲が生きている訳がない。

 他ならぬ敬義自身が屠った。

 急所を一突き。

 その上、遺体の痕跡すらも残さぬよう、奈落も斯くやという深い谷底へ突き落とした。

 彼女の白虎の死も確認した。皇上も、それを見て皦玲の死を確認したようだった。


 生きている訳がないのだ。


 だが。もし万が一、生きていたとしたら?  血の気が引く。

 皦玲の存在は今や、敬義の罪そのものだ。

 生かしておくことはできない。


「……捜せ。殿下よりも先に。そして……」


 音無き声で、唇がその先の言葉を紡ぐ。

 殺せ、と。

 敬義の視線に、男はただ、静かに礼をして去って行った。

 一人残った敬義は、右手で己の面を覆った。――あの時の感覚が、今も生々しく残る。


 あの日の、驚愕に染まった金緑の瞳。

 皦玲によって皇太子の座を奪われた皓月主君を、正統に戻すためだった。

 主君が颱までやってきている、この時を逃してはならぬ。

 この国の皇太子に最もふさわしいのは、皓月だと。


 その指の間から僅かに見え隠れする瞳は、氷の様に冷え切っている。


「……あの方はもう死んだ存在なのだ」


 死人は死人らしく、死人のままでいてもらわねば。


     * * *


「久々に会ったと思ったら。――なーんかまた、拾ったね~」


 呆れ半分、面白がっているのが半分といった声音で口を開いたのは、皓月の配下である“影”の一人・慎だ。

 協力者となった柏某が頼んだ朝食を待っている間、一度皓月と月靈とで宿の外に出た。慎の気配を察したからである。


「ちょっと見ない間に――少し痩せた?」


 軽い口調だが、目はどこか気遣わしげだ。

 それに対し、皓月は曖昧に微笑んで明言を避けた。

 

「てかあの人…………“霜剣絶塵”じゃん」

「霜剣絶塵?? ……が!?」


 皓月の耳にも入る程には、音に聞こえた武人である。その名や評判から想像していたよりも遙かに若い。若すぎると言って良いほどに。


「霜の如く冴え、塵すら立てぬ神速の剣――それが“霜剣絶塵”。ま、味方としては心強いヒトだと思うよ」


 噂では、彼に挑んだある武藝者が、その一睨みを受けてその場から動けなくなり、三日三晩震えが止まらなかったとか。――確かに、起尸を一刀両断にした時の目の鋭さは皓月をして心胆を寒からしめる程の迫力はあった。暗闇の中で、あの一睨みを受けたら、並の人間なら気絶するかもしれない。


 ”絶塵”というのは、その身ごなしの軽やかさとはやさを評した言葉と言えるが、一方で、そのどこか世俗離れしたような超然とした雰囲気も指しているのだろうと皓月は思う。


 まぁ、しゃべると結構……台無しだが。


「そう。――ところで、あちらの様子は」

「姫の妹さんの死はこのまま伏せるみたい」

「というと?」


 それはつまり、浩の皇太子妃の死を伏せるということだ。 


「燕姐さんの言葉だと、彔への対抗措置だって」

「燕支は兎も角。……彔が?」


 浩の東北に位置する、山岳に囲まれた国――彔。

 旧昊国の皇族の末裔が建てたこの国は、閉ざされた都にあって、今なお古き血と伝統、そして聖性を何よりも重んじている。

 他国では存在の薄れた黄龍を戴き、神秘と格式が色濃く残る。

 その彔は、未だに颱を正式な帝国とは認めず、昊国時代の旧称のままに「西王」と呼び続けている。浩ですら「颱王」と呼んでいたのにである。

 今や、そんな呼称を使うのは、彔ただ一国を残すのみ。

 だが、それこそが、彼らの矜恃の高さを如実に物語っていた。

 颱と彔が直接国境を接していないからこそ可能な“挑発”ではある。


「姫が浩に嫁いだときには沈黙を貫いていたけどね」


 彔は浩と国境を接している。交流は颱と彔のそれに比べれば深く、文化的な影響も少なくない。故に、彔にとって浩と颱の結びつきが強まることは、避けたいのだろう。その意思を表す最も雄弁な手段といえば、姫を送り込むことであろう。


 妃の座が空いたと知れば、彔が――皇太子妃以外で満足するとは思えない。

 もしそれを浩側が彔の思惑を承知の上で、皇太子妃の空位を隠すというのなら。浩は、「彔とはあからさまには手を組まぬ」という姿勢を示したことになる。


 過信はできない。

 だが、張り詰めていたものが、ふと緩む。

 皓月は自覚しながらも、それ以上深く考えるのを避けた。


「最悪、必要とあれば燕姐さんが出るんじゃないかな」

「そ、それは……、大丈夫なのか?」

「まあ、燕姐さんならやってのけるでしょ。――姫のためなら、ね」

「……?」

「ああ、こっちの話。――それで? 姫はこれからどう動くつもり?」


 にやっと笑ってごまかした慎にいくつかの指示を出し、宿に戻った皓月は、唖然とした。


 “霜剣絶塵”こと柏某が朝食を食べていた。と、表現すればそれだけの話なのだが、異常なのは量である。

 円卓をまるごと一つ占拠している皿。いや、……寧ろ、これは……鍋か?


 そこに満々とスープと具材が盛られている。それを匙で丁寧に掬い、じっくりと味わい、とても美味しそうに食べている。姿勢の良さも相まって、端で見ていればごく優雅なのだが、実際のところ、そこそこの速度で彼の口の中に食材は消えていっている。それを、皓月と月靈は、ただただ茫然と見ていた。


 満足げな表情で柏が匙を置いた時には、鍋の中身はすっかり空になっている。


 一体、あのすらりとした身体のどこに入っているというのか。大いなる謎である。 

 皓月など見ているだけで、胃もたれどころか、破裂しそうである。

 いささかげんなりした皓月をみて、柏は幸せそうに柔らかく微笑んだ。


 ――不思議と、皓月はその笑みを知っているような気がした。


  *


 宿を出た後は、心臓の無い遺体の発見された所、起尸の出た所、皦玲らしき女を見た所を柏に連れていってもらった。一度皓月の前で使ったからなのか、念声を使って事細かに当時の状況を説明してくれる。


 柏から聞き取った事柄を、忘れないように記しておく。説明を受けながら、男の記憶力の良さに舌を巻いた。と、同時に、それだけ記憶力が良いにもかかわらず、昊語の習得に問題があるのは、基本的には無口な上に、いざとなれば念声で意思の疎通ができるのからだろう。


 皓月が事前に把握していないものを含めれば既に数十件以上。そして、新たに判明した事実と言えば、心臓の無い遺体のいくつかが、事件後忽然と消えているという点だ。

 窈王妃の話が思い出される。

 幽閉されていた窈王妃が胸から血を流して死んでいるのを見つけた官女は余りの凄惨さに気絶し、遺体は消えていたという話だったか。


 その窈王妃が、玄冥山で姿を現した。盧梟の巫師として。

 その辺りの経緯も、未だ謎だ。窈王妃の件ではっきりしていることは、件の九尾狐・胡墨紫がその身体に取り憑いて動かしていたらしいということのみ。

 

 玄冥山の一件で、冥府の扉が開いた当時、黄龍は直に冥府の官吏が扉を塞ぐだろうと言っていた。その扉はもう塞がれた筈。

 しかし、柏の話によれば、遺都を徘徊する鬼はその数を増しているという。すると、どこか、見落としている穴でもあるのだろうか。あるいは、心臓の無い遺体とそれが消えてしまう事象に関わっているのか。


「幽寂先生にもう少し確認しておけばよかった……」

「幽、寂……?」


 後悔交じりに零した皓月の言葉を耳にしたらしき柏がその名を繰り返す。

 今までで一番綺麗な発音だった。呼び慣れているかのような。


“――あれに聞いても、適当なことしか言わぬ”


「……幽寂先生をご存知なのですか?」


 驚いて尋ねれば、柏は頷いた。

 

(霜剣絶塵と幽寂先生が知り合いとは……)


 一体、どういう知り合いなのか。ふと、神仙めいた風貌の柏を改めて見る。


(もしや、柏も仙の類なのだろうか。だが……)


 確かに柏の言う通り、幽寂に訊いたとして、真実を教えてくれる可能性というのは、尊大にして気まぐれなあの師の性格上、激しく低い。

 師の力は、絶大だ。だが、それに頼りすぎてはいけない。結局の所、自分でどうにかするしか無いのだ。だが、それは、決して一人で何かを成し遂げることを言うのではない。いかなる人物を、いかに頼るか、というのもまた、皓月自身の力であるのに変わりは無い。


“突然声を飛ばしてきたと思ったら「あとは任せた」だけで返事もしない”


「つまり、幽寂先生が貴方をわたくしのところへ?」


 尋ねれば、柏はただ頷いた。


「……」


 最初からそう言ってくれればよかったのに。

 今の今まで柏は、「幽寂」の名の一字すら口に出してはいなかった。


「――ィエ・リェ」


 聴き取る事すら困難な、どこか神秘的な響きを伴った言葉。

 どうやら皓月のことをそのように呼んでいるらしいというのは、何度か呼ばれてやっと気付いた。一体どういう意味なのか。気にはなるところである。


 だが、その厳かながらも柔らかな響きを、皓月はかつて、どこかで聞いたことがある気がした。


「ちゃんと使わねば、いつまで経ってもしゃべれませんよ」


 自分の言葉のことを言われているのだと気付いたらしい。

 少し照れたような、困ったような微笑みを浮かべた。


「……と、同じことを、言う」

「――誰かにも言われたのですか。誰でも思うことです」

 

 言えば、少し困ったように眉を下げる。


「口、開く、……笑われ、る」


 いかにもしょんぼりと言うので、皓月も思わず笑いをかみ殺した。


「この件、……西樞司や使所は動いているのですか」


“西樞司というより、范家が動いている。流石に自分の界隈を荒らされたら黙ってはいられないのでは”  


「范家。――范堯風はん・ぎょうふうですね」


 遺都の西側の勢力を実質的に掌握しているのは、范家だ。

 祖国が滅びて遺都に流れ着いた元流氓だが、武門を重んじる家系で、家伝の武術を一大門派に成長させた。現在の当主の名が、范堯風である。


 遺都における実務を執り行う者は、現地の人々から推挙された者を“西樞司”として当てている。現在長官は范堯風の叔父だ。そして、その執務を監視する者を颱から派遣している。その駐在先が“監政使所”――通称“使所”である。だが、その監視役も、どうやらこの様子では、正しく機能していないようだ。

 正確な報告が来ていないのは事件をあまり重要視していないか――颱からの余計な穿鑿を避けるため。

 颱からさらに役人や軍が派遣されれば、最悪この地の実権を取り上げられる場合もあると考えているのだろう。

 無論、母皇ならばそうする可能性が高い。

 寧ろこの一件で、遺都の勢力の弱体化を狙うかもしれない。この地を真の意味で手に入れることは、颱にとって、大きな価値がある。


「……」 


 遺都に着いてすぐに見かけた、皦玲らしき女。地味な外套で隠していたが、中に着ていた衣は華やかなものだった。

 しかし、彼女は皓月のことが分からないようだった。

 もしかしたら、記憶を失っているのかもしれない。なにか大きな衝撃を受けた場合などに、そういうこともあるのだとは聞いたことがある。


 もし、そうだとしたら。


 記憶を失い、頼るべき者がいない・わからない女が一人、こんなところで生きていこうとするならば……。どういった類のところに居るかはある程度、限られる。


「……月雨。琴を調達してきてくれ。適度に使い込んだ感じので頼む」

「――皎……それは」


 皓月が何を考えたのか、察した月靈が苦い声を発した。


「――虎穴に入らずんば虎子を得ず、だろう?」  



――――――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。

最近めちゃくちゃ忙しくて、心も落ち着かないのですが、

♥やコメント、お星様などなど、本当に励みになっています。

ありがとうございます!


どうやら柏は幽寂と関わりがあるっぽいことが分かりました。

そして界隈では有名な方のようです。


そして、皓月が見たのは皦玲本人なのか、ただのそっくりさんなのか。

皓月が動きます。月靈がとても嫌そうな顔をしておりますが。

――一体、皓月は何をするつもりなのか?


次話は5月21日(水)7:00更新します。



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