第2章 AIに頼るしかない

第4話

 自宅のリビングで一人、俺は30分ほどスマホの画面とにらめっこを続けている。


「さっきからずっとスマホの画面ばっかり見て、何してるの?」


 母さんが、台所で夕食の片付けをしながら俺の行動を怪しんでいる。俺は返事をせずに、スマホの画面に表示された「インストール」の文字を人差し指でタップ……しようとして指を離した。


 はぁはぁはぁ、いったい俺はどうしたというんだ。

 たかがアプリを一つインストールするのに、こんなに覚悟が必要なものなのか?


 何をしているわけでもないのに、俺は手に汗を握っていた。

 頭の中に、裕太ゆうたとの下校中の会話が思い出される――。


 ◆


「なあ、俺はどうすれば十六夜いざよいさんと会うことができるんだろうか?」


「その日以降、一度も会えていないんだろ? もしかしたら……」

 また裕太が顔をしかめる。


「?」

「十六夜さんのアリスが『あのマッチョは危険です。会わない方がいいでしょう』とか指示を出してるんじゃね?」


「……なん……だと」


 ショックを受けながらも、裕太の意見に妙に納得してしまう自分がいた。あれから一度も姿を見かけなかったのは、アリスが彼女を、俺から遠ざけようとしていたからだとすれば、合点がてんがいく。


「友人関係までアリスが管理している十六夜さんだ。関わりたくない相手は徹底排除するだろうな」

「そんな……俺が何をしたっていうんだ」


「さあな。それは十六夜さんのアリスに聞いてみないとわからないけど……そもそも十六夜さんに会う機会すらないだろうからな……真相は闇の中ってやつだ」


 はあ、と大きく息をはき、肩を落としながら歩く。


 やっぱりあれは幻だったんだ。

 あの暑さの中で腹筋を続けたせいで頭がおかしくなっていたんだ。十六夜さんなんて人は存在しないんだ。


 そう思わないとやってられない。


 心の中が真っ黒いモヤモヤに覆われようとしたとき、裕太が俺の広背筋をバン! と叩いた。


「でもよ、もしかしたら一つだけ……十六夜さんと会う方法があるかもしれないぜ!」

「!?」


 裕太は自信たっぷりに口角を上げて、俺を指差した。


いつきもアリスをインストールするんだ。そして、アリスに十六夜さんと会う方法を尋ねればいい。あっちがアリスで排除してくるのなら、こっちもアリスで接近すればいいんだよ!」


「お……おう!」


 よくわからなかったが、このときの俺は裕太の言葉から一筋の光を見出みいだしたんだ。


 ◆


 というわけで今に至るのだが。


 よくよく考えてみると、恋愛をAIに頼ることになるんだよな。

 本当にいいのだろうか。


 俺はテーブルの上に置かれたスマホの画面を見ながら、再び悩む。


 AIアシスタント「アリス」のアプリ、インストールのページ。

 青色の背景に可愛いアニメの女の子のアイコンが映えている。


 アイコンの下には「評価4.9」の数字と「あなたの生活をアリスで豊かにしませんか! 最先端のAIを用いたライフサポートアシスタントアプリです! 使用に際して料金は一切発生しません。煩わしい広告等もなく安心してご利用いただけます」という説明が書いてあった。


 この文面だけだと、思わずインストールしてしまう人も多いだろう。魅力的に映るのは確かだ。


 しかし、料金がかからないのに、どうやって運営しているんだろう。


 大抵多くの無料アプリは広告収入で利益を得ていると聞いたことがある。ただアリスに関しては、広告なしをうたっている……。


 恐らく、個人情報を抜き取って、どこぞの大企業がビッグデータとして活用しているのか……よっぽどの聖人君子がみんなの生活の質の向上を願って開発してくれたか……。


 ああ、もう。こんな穿うがった見方しかできない自分が嫌になる。

 十六夜さんを一目見て好きになってしまったように、自分のことは自分で決めたい。


 AIの言うとおりに行動して、AIの予想する結果どおりに事が運ぶ。そんな人生に面白さなんてない。

 だけど、今のままでは十六夜さんに会うことすら叶わない。

 会って話をするためには、アリスの力を借りるしか……今のところは方法がない。


 わかっている。

 わかっているんだ。


 これまでAIなんかに頼らないと偉そうに言っていた自分が、恋愛のためにAIを使う……俺の中の筋肉マインドがそれを許してくれるのか……。


「んあぁー!」

 いったん心を落ち着けろ。


 俺はスマホから目を離し、手を組んで背伸びをした。僧帽筋が収縮し、心地よい。


「ああ、今日もいい風呂だった!」


 威勢のいい声と共に、父さんが風呂場から出てきた。

 今日は脱衣所でしっかり着替えてきたようで、ジャージ姿で首にバスタオルをかけていた。


「もうお父さん! お風呂から上がるときは脱衣所で着替えてきてって……あら、着てる。アリスが事前に教えてくれたのかしら」

 台所にいる母さんが、洗い物をしながら笑顔を見せる。


「おうよ! アリスが風邪ひかないようにって心配するもんだからよ!」

「あら! アリスったらさすがね!」


 まるでアリスを自分の娘かのように言うじゃないか。あんたたちの子供は俺だけだよってツッコもうとしたけどやめた。


「で、樹はメシの後からずっとリビングで何してんだ?」


 父さんはいきなり俺の横へとやってきて、テーブルの上にあるスマホを覗き込んできた。画面にはアリスのインストールのページが表示されたままだった。


「おっ、樹もついにアリスをインストールするのか?」

「あら、そうなの?」


 父さんの言葉に、母さんも反応する。


「いや、まだ迷ってて……」


 俺が最後まで言葉を発する前に、父さんの人差し指が先に動いていた。


「いいからいいから、入れちまえ! 入れたら世界が変わるぞ!」


 なんの躊躇ためらいもなく、父さんが「インストール」と書かれた青いボタンをタップした。


「あ」


 あれだけ悩んでいたのに。


 父さんは「ガハハハハ! これで筋トレも恋愛もアリスがアドバイスをくれるぞ! よかったな、樹!」と自分の部屋へと歩いていった。


 ピコーン!

 インストールが完了しました!


 機械音と共に、俺のスマホにアリスがインストールされたと通知が届いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る