夜血種とその生活について
烏有・C=Brownie
「不浄を滅ぼせ!」
「この場所をあいつらの墓場にしてやるんだ!」
廃墟帯の孤城"Castle Tintagel"を包囲する襲撃者は、いずれも年端もいかない少年達ばかり
廃墟帯の日常だった
この廃墟帯に於いて、「大人」と呼べる者は総て戦って死んでいた
女も、幼児も、老人も、環境の過酷さに生きる事が出来なかった
生き残った者たちは皆、武器を手に終わりの無い闘争を続けている
「また新鮮な血が飲めそうだな」
爪を黒く塗った妖艶な少年、
廃墟帯に数有る陣営の末席である"Castle Tintagel"は人員が四名しか居なかったが、それでも現在襲撃を仕掛けている"OMEGA"と戦力差を比較した場合、暴力で圧倒する事が十全に可能だった
「にいさん、ネイビーが到着するのを待って戦いましょう!」
銃眼の先に居る唯一の味方、明星に似た顔の眼鏡の少年が振り向いて兄に言った
手には散弾銃と、身の丈よりも大きな防弾樹脂素材の盾を手にし、数名による銃弾や棍棒の打撃を受け続けている
装備の強度だけで言うなら敵弾を受ける事は可能かも知れないが、それを支えているのは人間ならば有り得ない程の膂力だった
刹那、彼の膝は後ろから放たれた弾丸に撃ち抜かれた
少年は痛みに歯を食いしばりながら、片膝を突く
「
明星が叫ぶ
姿勢が低くなった眼鏡の少年、烏有の頭上を致死の弾丸が幾つも擦り抜けていった
それらは年齢の幼さ故、戦術さえ持たず乗り込んできた襲撃者達の眼に、眉間に、吸い込まれていく
烏有が盾で抑え込んでいた数名は
一瞬の出来事だった
「烏有、早く血を補給するぞ」
明星は二階から飛び降りると、音一つ立てず烏有の横に立った
人間の身体能力で可能な芸当では無い
烏有が「ごめんなさい、ごめんなさい…」と死者へ声を掛けながら、死んだ少年達の眉間や顔に空いた弾痕、そこから流れ出る紅い血液を丁寧に舐め取った
途端に彼の脚の傷は塞がり、既に烏有は自分の足で立ち上がり、歩き出せる様になっていく
その近くでは明星が、被弾したもののまだ息のある少年の首に牙を突き立て、喉を鳴らしながら血を啜る
これが廃墟帯に於ける、彼ら夜血種の日常の生活だった
─────
「これで総てとは思えないな」
一通り『食事』を楽しんだ明星は、胸ポケットから出したハンカチで口を拭く
彼の読んだ通りに、襲撃者の第二陣が兄弟を取り囲んだ
「良い読みだ」
襲撃部隊ののリーダーと
「だが、この距離では狙撃兵には何も出来ない」
明星は、口籠りながらも嘲る表情を浮かべた
虚勢だった
それまでの経験から、「こういう状況で自分が恐れを視せれば、敵は即座に攻撃を開始する」という事を彼は知っていた
烏有も明星も『食事』の為に武器を手放していた
拾おうとすれば、その隙を敵は見逃してくれないだろう
「にいさん!」
烏有が動揺した声を上げる
敵の銃口が総て、烏有の顔を照準に収める
二人を包囲する
明星は可能な限り暴れまわり、弟だけでも生きて逃がす算段を考えていた
──ふっ、と風が吹く
明星はそれを背中に感じた
次に、眼の前に地獄が
烏有に銃を向けていた数名の頭が千切れ飛び、別の一人が逆さまに宙に浮いた
「ネイビー」
「定命が、よくも働くじゃないか」
明星が苦々しげに、援軍に現れたアルビノの少年を称賛する
彼は一瞬のうちに、
ネイビーが掴んだ人間を力任せに振って、別の襲撃者と頭同士を叩き付け合わせる
硬く、粘着いた音が響き渡り、二人の人間の頭が果実の様に砕けた
圧倒的多勢に思えた襲撃者達は、数秒も経たぬうちに半数以下となっていた
「キミの血はどんな色なの?」
ネイビーが近くに居る少年の顔を覗き込み、値踏みする
「視せてよ」
襲撃者達は恐怖に駆られ、敗走を始めた
ただ一人逃げ出さなかったガスマスクの少年だけが、背筋を伸ばしながら突撃銃をネイビーに向けて構え、石のごとく立ちながら、仲間の撤退を背中で見守っていた
「Raiderだ、覚えておけ」
"OMEGA"の生存者総てが逃げ去り終えると、ガスマスクの少年が言った
「お前たち不浄を殺す者の名だ」
言い終えると、彼はネイビーに向け数回発砲する
ネイビーは腹部に銃弾を受け、真後ろに弾き飛ばされた
それを確認すると、Raiderは"Castle Tintagel"の領地から走り去っていく
戦闘の終了だった
─────
「お前の躰はどうなっているんだ、定命」
城内のソファでくつろぎながら、紅い液体をパックから美味しそうに飲むネイビーに、明星が問い掛ける
ネイビーは事も無げに「普通の人間と変わらないよ」とだけ答えた
「ただ…」
「生まれつきボクは、痛覚が無いんだ」
「だから、傍目には強そうに視えてるのかもね」
音を立てながらパックの中身を飲み干し、床に捨てる
明星がパッケージを視ると、活字で『造血剤』と印刷されていた
「お前も夜血種の様に、血を啜るのか?」
「違うよ?」
明星の問い掛けにネイビーが答える
「でも、気持ちが良いんだ…」
眼を閉じ、躰内の造血反応が与える快楽に身を委ねながらネイビーが答える
暫くの間、彼はソファの上を猫の様に転げては悦びの吐息を漏らす事を繰り返していた
「弟の事、命懸けで守ろうとして無かった?」
不意にネイビーが明星に尋ねる
明星は一瞬気まずそうな表情をしたが、「過去生がな…」と答えた
「僕は、人より多く過去生を記憶している」
「一万回前の過去生で、あいつは僕の『つがい』だったんだ」
「あいつにもう一度遭いたくて、僕は何度も生まれ変わった」
「生まれ変わり続けた」
「そして今、こうしてまた兄弟として生まれて出逢う事が出来て…」
「しかも、もう一度『つがい』になった…って事だね」
ネイビーが、新しい造血剤を投与する為に自分の左手首を切り裂いて『血抜き』を行いながら言った
「兄弟同士で『つがう』のって、やっぱり気持ちが良いの?」
「同じ肉から成る者同士で、相性が良い…みたいな」
ネイビーが恍惚とした、しかし挑む様な眼で明星を視る
明星は「それは、その…僕達は、まだだが」と口籠ると、顔を紅くした
壁一つ隔てた昏い廊下では、烏有が「はい、解りました…」「…お任せ下さい」「絶対にお願いします!」と端末の受話器に向け、力無い表情で会話を続けていた
─────
壁一面のパイプオルガンにも似た装飾の計器類が、薄闇に駆動音を鳴らしている
「祖始の御名のもとに」
「祖始の御名のもとに」
「祖始の御名のもとに」
「やれやれ……」
「………『祖始の御名のもとに』」
四人の少年の声が、順番に唱和する
遅れて唱和するネイビーに明星が嫌悪の視線を向けた
『城主』たるティンタジェルの私室に、ネイビー達"Castle Tintagel"の私兵三人は参じていた
「襲撃を退けたんだね、みんな大儀でした」
血の様に紅い布で象られた城主の玉座から、目尻の低い顔をした金髪の幼い少年が、眼前に
『城主』、ティンタジェルだった
「城の防衛機構を復旧させたんだって?」
ネイビーが立ち上がると、欠伸をしながら言った
「そっちも大儀だったじゃない」
「
怒気を持った声と共に明星が立ち上がる
彼はネイビーの態度を、夜血種への侮蔑として受け取っていた
「明星」
ティンタジェルが優しい表情で明星を視た
「彼は、悪気は無い」
「許してやって欲しいな」
明星が跪く
烏有が雰囲気に気圧されながら、おずおずとティンタジェルに言った
「防衛機構、復旧したんですね?」
「そう」
ティンタジェルの口が笑みの形を作る
「未来永劫とはいかないけど…でも、当面のわたし達の安息は、保証されたよ」
「先程の襲撃が撃退されていなければ、これは成し遂げられなかった」
ティンタジェルの眼が、三人を順番に視る
「これは、皆の作った勝利なんだ」
"Castle Tintagel"の防衛機構は自動射撃システムに始まり、数え切れない程の対人罠から成る
廃墟帯の汎ゆる勢力が歩兵しか持たない以上、これは一先ずの戦いの終わりと、平穏の訪れを意味していた
「ずっと『城』と向かい合って仕事をしていたので、食事も採れていませんでした」
ティンタジェルが嘆息する
「今夜の伽は、ネイビーで構わない?」
ティンタジェルがネイビーを視る
夜血種の君主とは思えない、穏やかな視線だった
「人間の血ならば、少しは滋養もあるだろうな」
明星が言う
「せいぜい尽くせよ、定命」
明星は隣に居た烏有の髪を掴むと、それを引いて烏有の顔を自らに近付けた
「僕の伽はお前だ」
烏有が泣きそうな顔をしながら、一瞬だけ嫌悪の表情を浮かべていた事に明星は気が付いた
明星は何も言う事が出来なかった
─────
星空は、もう会えなくなってしまった人達が照らしてくれる灯りなのだという
ネイビーは絹の寝台の上で、静かに寝息を立てるティンタジェルの髪を撫でた
ティンタジェル程の光の心の持ち主であっても、『食事』の時には獣の様に血を求める
造血剤によって過剰生成されていたネイビーの血液は、既に躰が虚脱感を感じる程に喪われていた
窓の外には星空が視える
過酷な時代だったが、常に星空は彼に優しかった
ティンタジェルを起こさない様に寝台を離れると、近くに脱ぎ捨てていたシャツから造血剤を取り出し、服用する
気怠い快楽が心と躰を慰めた
「ネイビー…」
ティンタジェルの声がした
ネイビーは咄嗟に彼の方を視る
寝言の様だった
「ネイビー、何時までも一緒にいて下さい…」
人形の様な白い寝顔に、一筋の涙が伝う
ネイビーはそれを指で拭うと、彼に口付けた
その時だった
夜間の敵襲を伝える鐘楼の鐘が、城内に響いたのは
─────
「お前がやったのか、烏有」
明星たち兄弟の寝室は、戦闘行為の後の様に乱れきっていた
鐘の音が聴こえる
防衛機構は機能しておらず、敵は人数も勢力も解らないまま大挙して城内を占拠し始めている様だった
烏有は壁に背を預け、肩で荒い息をする
明星に殴られて出来た痣が、躰中に紫の斑を作っていた
「死んじゃえば良いんだ…明星なんか……」
明星が固く拳を握る
殺さない様に抑えていた自覚は有ったが、次もそれが出来るか自信が無かった
「………ぼくはずっと、明星から愛されたかった」
吐き捨てる様に言うと、烏有は軽く咳き込む
口の端からは紅い血が糸を引いていた
「僕はずっと、お前を愛していた…」
明星は言いかけたが、それ以上喋る事が出来なかった
呼吸すらままならない
痛みを感じて眼をやると、腹部に烏有がナイフを突き刺していた
「嘘つき」
烏有が突き刺したナイフを捻じる
傷口が乱暴に押し広げられ、溢れ出た血液が床に水溜りを作った
躰を「くの字」にして明星が崩折れる
その頭を泣きながら蹴飛ばすと、烏有は部屋の扉へ向け、ふらふら歩き出す
明星もまた、自らの血に塗れながら止め処なく涙を流していた
烏有が扉の前に辿り着く頃、扉を廊下の側から開ける者が居た
"襲撃者"が姿を現す
Raiderが回転式機銃を携え、ゆらりと部屋に踏み入った
「ありがとうございます…」
烏有が這うようにして、Raiderの足元に近寄った
「約束通り…」
「僕だけは、助けてくださいますよね…?」
怯えた仔犬の様な眼で、烏有がRaiderを視る
Raiderは烏有の眉間に向けて躊躇無く銃口を向けると、そのまま引き金を引いた
「やめろ!」
明星が叫ぶ
総てが遅かった
烏有が回転機銃の弾丸を雨の様に受ける
その躰は、踊る様によろめき続る
剥げ飛んだ肉と血が、明星とRaiderを濡らした
二人とも微動だにしなかった
数秒間の斉射の後、Raiderは引き金からエナメルに包まれたその指を離す
『烏有だった肉』が、液体音と共に血溜まりに倒れた
「烏有」
明星は血溜まりに手を伸ばした
床に染みた血液すらが、既に昏い夜の中で暖かさを喪い始めている
明星は恐慌を起こし、泣きながら肉片を掻き集めようとした
Raiderが明星を照準に捕らえると引き金を引く
銃弾の雨が明星を襲った
「私の弟も、今と大差ない最期だった」
Raiderが引き金から指を離し、明星に語り掛ける
「殺したのはお前たちだ」
「楽には死ねない事を、覚悟して貰う」
─────
「お前達は、簡単な傷はすぐ治ってしまうからな」
「俺たち人間も少しは考えたのさ」
城内の廊下
ネイビーとティンタジェルを包囲しながら、"OMEGA"の構成員の少年達が言った
皆、手には一様に回転式の鋸歯を構えている
鋸歯の出す騒音が、夜の静けさをもまた引き裂いていた
「お前は人間なんだろ」
「どうして、そんな奴らを助ける」
小隊のリーダーと思しき少年が、ネイビーに言う
ネイビーは刃毀れした鉄の棒を片手で
やる気を失した仕草にも視えたが、次の瞬間にはネイビーは既にリーダーの少年の眼前に立っていた
そのまま、鋭い動きで少年の顎を蹴り上げる
蹴った脚が引くかに視えた頃には、既にネイビーは別の数人を鉄剣で叩き殴っていた
「こいつ!」
一度に前後から、鋸歯を持った少年が襲い掛かる
しかしネイビーが身を軽く捻ると、二人の狙いは僅かに逸れて互いの肉を引き千切った
気が付けば、襲撃者の小隊は
ネイビーは残った数名に視線を向ける
そこに声を掛ける者が有った
「これを視ろ!」
一人の少年がティンタジェルを羽交い絞めにしている
「武器を捨てろ」
「捨てないと、こいつは明日の朝日を視る事は出来ない」
ティンタジェルが「戦って下さい!」「わたしに構う必要はありせん!」と叫ぶ
それを、別の一人が憎々しげに何度も殴り付けた
「──────っ!!!」
ネイビーは剣を握る手に力を込めた
そのまま、人質に向け怒りに任せて歩き出す
少年の一人が、鋸歯でティンタジェルの頰を撫でた
柔らかな頬に痛みの痕が刻まれる
少しの躊躇の後、ネイビーは武器を床に叩き付ける様に投げ捨てた
「よし、良い子だ」
刹那、ネイビーの後頭部を"OMEGA"の構成員が金槌で殴り付ける
出血の弧を空中に描きながら、ネイビーはその場に膝を突いた
金槌が何度も振り降ろされる
気を喪う直前にネイビーが最後に視た光景は、数人の少年がティンタジェルを蹴飛ばし、踏みつけ、一斉に鋸歯を振り下ろす場面だった
叫びたかった
しかし、声も出なかった
─────
「お前も捕らえられたのか」
明星が力無い表情でネイビーを視る
ネイビーは何も言わず、床に地下水が滴るのを視続けていた
洞窟の様な地下牢だ
"Castle Tintagel"は伝統的に、捕虜の生存を考慮していない
そして、いま二人はその"Castle Tintagel"の地下牢を流用した留置施設に閉じ込められていた
現在、二人は鉄の首輪を付けられている
部屋の中央にある柱から鎖が伸び、それに繋がっていた
武器も無く、身動きもままならない
処刑が行われるのか、このまま死ぬまで留置されるのか
それすら解らなかった
「………弟が死んだ」
ぽつりと、明星が言った
「端的に説明すると、総ての責は僕にある」
膝を抱えて座りながら、顔を両手で覆う
枯れたと思っていた涙が、また溢れ出した
ネイビーは、何も言葉を口にせず水滴を視ている
「その様子、恐らくはティンタジェルも死んだな」
「最早、総ての道は途絶えたか」
星空は、もう会えなくなってしまった人達が照らしてくれる灯りなのだという
ネイビーは「こんな形で喪われた生命も、星になり得るのだろうか」と考えていた
「道なら途絶えて無いよ」
寝転がった姿勢で水滴を視ながら、ネイビーが言った
「少なくとも、キミは生きている」
「ボクは、夜血種を守る」
明星はネイビーを視る
「この状況で何が出来る…」言いかけて、明星は気が付いた
「お前…」
「その髪の色は、どうした?」
ネイビーの白かった髪の色が、後頭部だけ
「ああ、これ…?」
「いつもそうなんだ」
言いながら、気怠げに転がる
「ボクの力は、いつも誰かが死んだ後にしか目覚めてくれない」
「役に立たない力さ」
─────
「こうすれば、復讐に渇く我が心も、少しは晴れるかと思ったが……」
「そうでも無かったな」
"Castle Tintagel"の簒奪された玉座の間
その城主の席にRaiderは腰を下ろし、脚を組んだ
ガスマスクをゆっくりと外す
僅かに呼気に湿った長い藍色の髪が、マスクの中から零れた
「Raider様」
鋸歯を携えた構成員の一人、水色の瞳をした短髪の少年が部屋の扉を開き現れる
「再殺部隊、ただいま任務を完了致しました」
彼は恭しく鋸歯を床に横たえると、忠誠を意味する片膝の姿勢を取る
"OMEGA"に於ける対夜血種特殊部隊、通称「再殺部隊」のリーダーだった
「捕らえたか?」
Raiderが尋ねる
少年は得意げに「一網打尽です」と答えた
「つきましては…」
少年が、恥じらいながらRaiderを上目遣いに視る
Raiderは立ち上がると少年の前まで歩く
少年を立たせると、その唇に自分のそれを重ねた
「ありがとう、Spectrum」
「今夜は悦ばせて貰うぞ」
言い終えると、Raiderは少年──Spectrumの唇をもう一度求める
Spectrumは眼を閉じ、シャツのボタンが一つ一つ外されていくのを恍惚と受け入れた
─────
「本当に、これで脱出出来るんだろうな」
肩で息をしながら明星が言う
ネイビーは口の周りに付いた彼の血を手の甲で拭いながら、「多分ね」と答えた
「待って」
「やっぱり、もう少し欲しいや」
ネイビーが首輪の鎖を鳴らしながら、明星を組み敷く
そのままネイビーは、明星の肩口に歯を立てた
「あっ…」
明星が、固く眼を閉じてそれに耐える
数秒であるにも関わらず永遠にも思える『食事』の時間のあと、ネイビーは明星を解放した
「この屈辱は、無事に敵を皆殺しにした後で必ず
着衣の乱れを直しながら、明星はネイビーを睨む
ネイビーは「屈辱は解らないけど」「血なら、もうキミも飲む事が出来そうだよ」と答えた
地下牢の扉が乱暴に開かれる
金属製の鞭を持った少年が、静かな嗤いを浮かべながら入ってきた
「お前達、簡単には死なない生き物なんだってな」
ネイビーは自分の首輪を引き千切り、次に鎖も素手で引き千切った
「そうだよ」
鎖を振りかぶり、鞭の様に振って少年の顔に一撃する
拷問官の少年が「ぎゃっ」と悲鳴を上げながら両手で顔を押さえる
その横を、ネイビーは矢の様に疾駆した
地下牢の扉を勢い良く閉じる
この地下牢の防音設備は、古代夜血種の歴史的拷問職人が設計した物だ
少年がどんな形で助けを求めても、それが外部に届く可能性は、既に絶無に等しかった
「やめて…助けて…」
拷問官の少年がへたり込んで命乞いをする
ネイビーは彼の口を無理矢理開くと、口内に溜まっていた明星の血をそこに吐き出した
「これで、この子は『簡単には死なない生き物』になったよ」
ネイビーが明星に振り向き、ウィンクする
「キミも好きなだけ血が飲めるね」
─────
鎖を右に左に薙ぎ払う
幾人もの敵がそれだけで
数名の敵が一斉に発砲する
ネイビーが避ける
同士討ちによって数名が生命を落とした
その間に鎖は手放してしまったが、今度は近寄ってきた少年の頭に、近くに有った大きな花瓶を被せる
そして前が視えずに藻掻く顔面を、花瓶ごと拳で粉々にした
明星は恐る恐るその後に続きながら、「おぞましい戦いのセンスだ」と小さく口にする
脱走を察知して集まってきた"OMEGA"構成員は、既に大半が物言わぬ屍と化していた
「このまま歩いているだけで、敵は皆殺しかもね」
「君と『つがい』になったから…かな?」
ネイビーが背中で明星に言う
明星は「その話はするな」と顔を赤くした
「残念ながら、皆殺しになるのはお前達だ」
血と肉の散乱する戦場と化した廊下に、新たに数名の影が現れた
直ぐに、刃の回転音がそれに続く
Spectrumの率いる「再殺部隊」だった
「お前」
ネイビーがぽつりと言う
「お前…」
「お前ーーーっ!!!」
ネイビーが武器も持たずにSpectrumに向けて駆けていく
とても冷静では居られなかった
Spectrumの後ろに立つ側近が、槍を掲げている
その槍の先には、ティンタジェルの切断された首が飾られていた
「僕もティンタジェルは生きていまいと覚悟はしていたが、定命どもめ…」
明星は歯噛みした
「悔恨」などという言葉では表現し切れない悲痛が、胸の中で叫びを上げていた
明星は夜血種の中では力の強い方では無い
だが、今この瞬間に於いては一切の計算が喪われた
通用しなかった
明星もまた、怒りのままに武器も持たず飛び出してしまっていた
だがその時、彼の足元で動作する仕掛けの音が有った
「しまった」と音の出る先に視線を向ける
視界が急降下を始める
最後に明星の眼に映ったのは、幾つもの回転鋸歯を無謀にも腕で防御しようとする、ネイビーの姿だった
─────
落ちる
落ち続ける
総てを喪った
夜血種の同胞は総て殺害され、唯一味方と呼べたネイビーも、恐らくはもう無事では無い筈だ
長い長い落下を経て、明星は地下牢よりも更に下にある、光差さぬ広間へと叩き付けられた
噂には聞き及んでいた
『地下の遥か深くには、祖始が血の儀式を行った広間が有る』と
伝説によれば、その場所から夜血種は一夜にして産まれたと言われている
「ここが終焉の地とはな」
明星には、もう立ち上がる気力さえ無かった
この夜の中で喪われたものが、余りにも多過ぎた
「悪いが」
「楽な終わりは、約束出来ない」
暗闇の中、倒れた明星を蹴り飛ばす者が居た
蹴り転がされながら、呻くように明星が言う
「Raider…と言ったか……?」
暗闇に視界が慣れていく
明星を執拗に蹴り転がす、エナメルのスーツに躰を包んだガスマスク姿が視えた
「覚えていてくれたか、不浄なる生命よ」
Raiderが明星を踏み付ける
踏み付けた足を両手で掴みながらも、反撃を行う力は微塵も残されていなかった
既に明星は、戦う意志を喪失していた
「お前も弟を愛していたそうだな」
Raiderが明星のシャツの襟を掴み、立ち上がらせる
「今日の趣向は、喜んで貰えたか」
嘲りながら、明星の頰を幾度も拳で弱く撃つ
それ自体もまた、獲物を前にした肉食獣の様な嘲りの仕草に他ならなかった
「お前の様な、下卑た復讐を行う人間の弟は……」
「さぞ、死んで当然の薄汚い命だったのだろうな」
明星が唾を吐く
それはRaiderのマスクを濡らし、躰の上を
Raiderは何も言わず、掴んでいた明星の襟を離す
明星がその場に倒れ込むかに思えた刹那、Raiderは拳を振りかぶると、踏み込みを付けて明星を殴り飛ばした
倒れた明星に馬乗りになると、Raiderは両の拳を交互に振り降ろし続ける
明星は視る事が無かったが、仮面の下でRaiderは、幼児の様にぼろぼろと涙を流していた
──地獄で烏有に詫びるとしよう
仰向けになった明星の視界に、死が降り注ぐのが映る
それは拳に握られた憎悪そのものだった
スローモーションの様に、それが自らに向けて振り降ろされてくるのが解る
しかし、それが明星の生命を奪う事は無かった
明星が打たれる音以外は無音に思えた部屋に、いつの間にか地響きの様な音が聞こえていた
広間の天井が、天が落ちたかの様な音で崩落する
岩と土が降り注ぎ続ける中、落下してくる人影が有った
ネイビーだった
「まずは、これをご覧」
二人の隣に着地すると、ネイビーはRaiderに向けて何かを転がした
明星に馬乗りになっていたRaiderが、立ち上がるとそれに走り寄る
そこには短髪の少年、Spectrumの切断された首が転がっていた
まるで造り物の様だった
固く、冷たく、それは微動だにしない
しかし、先刻まで彼に触れていたRaiderにはそれが見紛う事無くSpectrumであると解った
「このまま死なせてくれても、良かったんだがな…」
倒れたまま明星が言う
ネイビーは「でも僕たち、もう『つがい』だからさ」とそれに答えた
──夜血種と『つがい』になった事により、強くなったのか?
明星は訝しんだ
仮にそうであるとして、あの鋸歯の部隊を一人で圧倒するのは不自然だ
だとすると──明星はネイビーを視た
彼が降ってきた瞬間は土煙で気付かなかったが、鋸歯が命中したであろう両腕が
それだけでは無い
その『夜』の中に、きらきらと輝く数え切れない星を明星は視た
『星空は、もう会えなくなってしまった人達が照らしてくれる灯りなのだという』
「もしや、貴方は…」
明星はネイビーを視る
しかしその時、Raiderが叫びながら立ち上がった
声がこだまし、広間を覆い尽くす
それは戦う者のする様な勇敢な叫びではけして無く、「総てを奪われた者」だけが上げる様な、そういう悲痛な叫び声だった
Raiderがネイビーに飛び掛かる
ネイビーは、母が子供を抱き上げる様な優しげな所作で彼の脇に腕を挟むと、ゆっくりと持ち上げた
Raiderが叫び声を上げながらナイフを逆手に持ち、ネイビーの肩に何度も振り下ろす
突き刺された肩からは夜空のごとき
余りにも陰惨な光景であるにも関わらず、明星にはそれが、まるで幻想的なものであるかの様な印象を覚えていた
幾度も、ナイフはネイビーを突き刺す
いつしかネイビーの周りには、夜空そのものが顕現しているかの様な景色が生まれていた
「………気が済んでてくれたら、嬉しいな」
ぽつりとネイビーが言う
次の瞬間、彼はRaiderの躰を素手で掴むと左右に力任せに引っ張った
エナメルのボディスーツと共に肉が、皮膚が、左右に引き裂かれる
宿敵は一瞬にしてただの千切れた「肉」に成り果て、二度と動く事は無かった
明星はネイビーを視る
ネイビーは眼を閉じて、頭上から降り注ぐ血液を湯浴みの様に浴びていた
事実として──もし、明星が現在予想している通り、彼が『夜血種の祖始』そのものなのだとしたら、それは事実としてある種の湯浴みに他ならない
頭上から光が差した
いつの間にか、夜はもう明けていた
総ての者に等しく降り注ぐ陽光が広間を照らす
滴るRaiderの血に反射して、朝日が虹を作った
─────
「これから、どうしようね」
岩に腰掛けたネイビーが地平線を視る
大地の何処かで、また砲声や叫び声が響いていた
「最早、生きる事に望みはありません」
明星がシャツをはだけ、ネイビーの前に跪く
「貴方様の生命となり、僕を永らえさせて下さい」
「お願いします」
心からの願いだった
ネイビーは、つまらなそうにそれを横目で視る
「ボクもね、一万年くらい前にそう思った時が有ったよ」
「でも、生きているうちに、その挫けた時よりも大きく強い絶望にさえ打ち勝てる様になった」
ネイビーは、明星に手を伸ばした
「一緒に行こう」
「二人でなら、きっと一人よりは強くなれるから」
眼前に広がるのは望みの無い旅そのものだったが、ネイビーはそれを恐れていなかった
夜血種とその生活について 烏有・C=Brownie @wuyou
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