しあわせ

  

 挙式のあと、私はすぐに籍を抜いた。


 母に泣きついて、祖母に怒られて。それでもあなた以外の人と一緒にいることは、もう私には耐えきれなかった。

 あなたの思い出だけで生きてゆけるけれど、もう誰かのものではいたくなかった。

 

 姉が生きていたら、こうはならなかったかもしれない。もっとうまくこなせていたかもしてない。そう思うと、身体中がひきちぎれそうに痛んだ。だけどそれでも、譲ることはできない。


 あなたに恋をしたのは、姉ではなく私なのだから。

 私は、あなたを想うこの気持ちだけは、私のものでありたいと願った。


 幸い活動名は旧姓のままだったこともあり、こっそり籍を抜いておけば問題ないだろうと、祖母のことは母がなんとか説得してくれた。

 こうなるのであれば最初から偽造でもなんでも。そうしてくれたらよかったのに。それなら私は、あの人と一緒になれたかもしれないのに。

 けれどそう思ってももう遅い。言葉足らずだった自分が悪いのだ。母にも祖母にもなにも言えず、あなたにだって。すべては自分の責なのだから、私に誰かを責める権利などない。


 深白にもすべてを話した。あれからずっとうちに秘めていた想いを雪崩のように打ち明けて。勝手にひとりですっきりして。私がどんなに醜い感情をさらけ出しても、深白はなにも言いはしなかった。ただそっと、電話越しに一緒に涙を流して、寄り添うように"春ちゃん"と、私の名前を呼んでくれた。



 あの人は、大人になっていた。

 だから私ももう大人にならなければいけない。


 離婚したからといって、あなたにそれを告げる気はない。一緒になろうとそうしたわけではないから。

 青いころ、勝手にあなたに恋をして、振り回して、そして置いていった。そんな私に、いまさら資格なんてありはしない。


 それに、あなたにはもう、きっと別の人がいる。

 こんなにも私の心を掴んで離さない素敵な人だから。そうに決まっている。

 

 ──………きれいだよ、春。


 最後に大好きなあなたの声を聞けてよかった。

 その声に呼ばれて幸せだった。


 だから私も、あなたの幸せを願って。

 この恋を終わりにできるように、大人になりたい。

 あなたが、そうであるように。


 少しずつでもかまわない。

 たとえわずかな歩幅でも。日々を繋いで、夜を躱して。

 

 いつか、いつか──。



 この恋が風に薄まることを祈って、私は未熟な自分から踏み出した。





 









 そして、それから二年のときが経った桜月。


 私はまた、日本に戻ることになる──。

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