第56話 過去へ【第一幕終了】
第56話 明日見る夕陽は今日と同じ色なのかな
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岡賀ゆかり。
その名前を発した天六の姿を見て、女性は声も上げられないほど、酷く驚いたようだった。
髪型こそ違うが、色素の薄めな灰黒い髪。気難しい表情。ピンと張った背筋。何か感じ取らずにはいられなかったのだろうか。同じ血が流れる者として。
「
やっと言葉を発し、ゆかりは天六の元へ歩みを寄せる。顔を下から見上げるほどに背の小さなゆかり。
天六は決して小柄というわけでもない。だが、ゆかりはその天六よりも低い。その少しの差はイナミからもらった分かもしれない。
「眼鏡、外して」
「あなたに命令される筋合いは無い」
「外してほしい。ダメ、かな」
ゆかりが下手に出て頼んでくる。
吸い込まれそうなほど綺麗な瞳は、ガラス玉のように丸く、透き通って、滑らかだ。
四十過ぎているとは思えない、純粋無垢な童女の眼差しにも似たそれに、天六は渋々了承した。
能く似た目だ。天六は彼女に酷似した目を持っている。
本当に天六は髪色や背格好以外、ゆかりに似ているのだ。
この世界を諦めていて、それでも、決定的に違うのは、天六の目は世界を睨みつけていることだった。
生きることに貪欲で、足掻いて、絶望の沼沢から腕を伸ばし、天を見据え、掴み取ろうとしている。
一方でゆかりは、ただ諦めているのか分からないが、天六よりも酷く渇いた目をしていた。
強欲で、貪欲的な渇望の目ではなく、只管に渇いているのだ。沼に溺れているわけではない。むしろその逆、
明確に欲しいものが分かっている彼女は、そのことしか考えない。それ以外は要らない。たった一つのために全てを諦められる。もう諦めてしまっている。それが天六とゆかりの違いだった。
「最後に出会えて良かったよ天理。あなたに親としての責任を感じることは、ゼロではないので」
「本当に、そう言える? わたしの目を見て」
「うん。言えるよ。ゼロではない。でも限りなくゼロに近い」
「は?」
耳を疑う言葉が、ゆかりの口から飛び出してきたのを宗吾は聞き逃さなかった。
でもそれは決して聞き間違い言い間違いでなく、それでいて淡々とゆかりは、持論を展開してくるのだ。
「ユカにとって、岡賀天理というパーソナリティは特段必要ではない。
ただユカは、トモちゃん先輩と結ばれて、親密な時間を過ごすことができればいいだけ。子は後からついてくる幸せの一つの形にすぎない」
現実は、残酷だった。
今、天六は、目の前で、生みの親から呪われた。誕生とは祝われるべきことのはずなのに、パーソナリティだけではなく、その生までも否定された。
「生物としての目的を忠実に達成することも、理性的な生物である我々人間にとっては、必ずしも行わなければならない事ではない。だから」
「だから、わたしは、生まれてこない方が良かった?」
こんな質問を親が子にさせて良いのか。
宗吾は握り拳を腰の横でぐっと力を込めていたが、返ってきた解答はもはや殴る価値さえないような、淡白としたものだ。
「ううん。良い、悪い、の二者択一では片付けられない。敢えて後ろ向きな言い方をすれば、どちらでもいい。かな。何故なら繁殖はゴールではなく、我々にとっては幸せの副産物に過ぎないから」
「…………親がそんなこと言っていいと思ってんのか⁉︎」
黙って聞いていられるわけがなかった。
夫婦喧嘩は犬も食わぬ。なら親子喧嘩もだろうか。
それはどうか知らないが、少なくともこの親子喧嘩には、宗吾は実兄として食ってかからないわけにはいかなかった。
「天六がどれだけ寂しい思いしてきたのか分かってんのか⁉︎ 責任放棄して、巳洞家に預けて! 今日まで知らんふり? それだけならまだしも、存在否定だと⁉︎ 許さない!」
白衣の襟に掴みかかられ、首を揺さぶられて問いただされているにも関わらず、ゆかりは涼しい表情で、宗吾のことなんて眼中にも無い様子で。
「否定だけしているつもりは無いし、あなたの許しなんて要らない。あなたは誰?」
「オレは巳洞宗吾。和伊南知英と大和田愛海の息子だ」
「あなたが、愛海先輩との? ふふっ、そう。あなたという存在も消えるよ。最後に何か言い残すことはある?」
「はぁ?」
一瞬、彼女が何を言っているか分からなかった。
けれど、次に放った言葉により、その意味が理解できた。
「天理。次の人生は必ず、ユカの幸せの一部にしてあげるから。ごめんね。今は良い親じゃあなくて」
宗吾の手を離さず、白衣を脱いで自由を手に入れたゆかりは、そのジェット機の方へ歩いていく。
「気がついた時には新しい世界に変わってるよ。天理、泣かないで」
この女は機械か?
否、純粋過ぎるのだ。
目的以外は何も見えていない。人の心を以てしても、機械の如く正確で、融通も気遣いも乏しい人間なのだ。
だから宗吾はそんなゆかりに憤る。
心底自覚の無い、歪んだ愛を持つ女に。
「あんたが泣かせたんだろうが!
それに、そんな考え方のあんたが未来を変えて、親になったとしても、天六は幸せになれない! 天六の側にはオレが居る! 過去へは行かせない! 変えさせるもんか!」
「ユカは行くよ。邪魔をするならあなた達には一旦消えてもらう。全てが終われば、何も問題が無いから」
そう言って手に持ったリモコンを頭上に掲げるゆかり。すると、部屋がかつてないほど揺れはじめた。
親世代が直撃したという東日本大地震。そんな話を思い出してしまうほどに、空間が、震えている。
「何が、起きているんだ、うわっ⁉︎」
「ここは、いつ証拠が消えてもいいように、爆弾を仕掛けている。避難するように皆には予告したはずだけれど」
「やっぱりあんたが犯人だったのかよ……天六、危ない!」
ボロボロと崩れ落ちる天井の破片から、宗吾は天六を抱きしめ庇う。
そうすると、途端に天六は宗吾の手を握り、体を更に引き寄せて、奪うようなキスをした。
最後の別れを告げる、決意じみた哀しいキスを。
「兄様、今までありがとう」
「天、六?」
天六は、自身の首に掛けてあるヘッドホンを、宗吾の首にそっと掛けると、彼を振り払って途端に駆け出した。
行き先は、ジェット機の中央に架けられた階段を登る岡賀ゆかり。その人のところ。
「天理、やめて。何故ユカの、お母さんの邪魔をするの?」
「宗吾! 来て! 乗って! マシンに!」
ゆかりを押さえつけ、ジェット機に乗せないように天六はする。
それは恰も自分を犠牲にするかの如き行動。城湖や美歌達に通づる、愚かしくも必要な行為。自己犠牲。
「おいまさか、天六やめろ⁉︎ それが本当にタイムマシンなのかも分からないのに!」
だが、天六のとったこの行動が単なる無茶でないことは、兄である宗吾にも分かる。
同様に、娘である天六にもまた、実の母親の、ゆかりの歪んだ部分が解ってしまったのだ。
「わたしは、この人が嘘をついているようには思えない。だからこそ悲しい。さっきの言葉も嘘じゃないって、分かるから」
「離して、離してよ! 天理!」
「岡賀ゆかり! あなたになんか行かせない!
わたしは宗吾の未来を変える。兄様が、幸せになれる未来を」
「天六、おま、何言っ───うわっ!」
暴熱。
入ってきた時の木扉から熱風が噴き出した。
もう直ぐそこまで火の手が近づいてきているのだ。
天井の照明も落下してきて、コードの絡まった機械達が、火と、悲鳴を上げて、爆破を謳う。
もうこの地獄から、地上へは引き返せない。ならば火の手が来ないところはどこだ?
今それは、たった一つ。あのタイムマシンかどうか分からないジェット機型の巨大な乗り物の中しかないのか。
「わたしが岡賀ゆかりを押さえる! だから宗吾は乗って! そうしないと火が来る!」
「タイムマシンは一人しか乗れない! ユカを押さえていたら天理、あなたも死ぬ!」
「構わない。生まれてこなければ良かったこの命なら、大好きな兄様に捧げるだけ…………宗吾!」
「天六! バカなこと言うな! 生まれてこなければ良かったなんてことはない!
天六はオレの自慢の妹だ! 岡賀ゆかり! あんたになんか分かるものか!」
「分からない分からない分からない分からない! 離してよおおお!」
冷酷で淡々とした様子からは一転、子供のように駄々をこねて泣き叫ぶゆかり。天六はそれを抱きしめながら、地に倒れこんだ。
起きあがろうとしても羽交締めにし、宗吾はもう登っていた、ジェット機のタラップから、そんな二人を見下ろす。
涙ながらに取っ組み合う、悲劇の親子の姿を。
「行って! 行ってよ!」
叫ぶ天六を見て、宗吾の中からは、もう悲しい気持ちが溢れて止まらなかった。
けれども恐る恐る、コックピットのドアに手を掛け、蓋を開けてみると中には、夥しいコードが繋がれた、赤いヘルメットとクッション性のソファが一つだけあった。
こんな狭い所に一人きりで入るなんて、と怖くなった。
狭いところが嫌なんじゃあない。入ったら最後、二度と天六と会えなくなることが分かっていたから怖かったのだ。
「天六。行かないよオレ。死ぬ時は一緒だ。オレも今そっちへ」
「ダメ! 戻ってきたら許さない!」
「ッ‼︎ ダメなのかよ⁉︎ オレの全てなんだよキミはもう‼︎」
「そう言ってくれてありがとう。もしこの状況が嫌なら、未来を変えて! 愛海さんにミドーを殺させないで! そうすれば愛海さんはきっと、イナミと結ばれる!」
「天六、なんでキミがその話を……?」
あれは天六が一足先に部屋に戻り、寝た後で、続けて寝ようとした宗吾が志津架に止められて、聞くことになった話だ。
「わたし、聞いていたから。あの夜、宗吾がなかなか部屋に来ないから寂しくなって、行こうとしたら話し声が聴こえて、わたしは聞いた。途中からだけど、剣城真佑が会話に加わった時から、ミドーのことまで聞いて、それが終わるところまで。
その時、宗吾を呼ぼうと思ったけれど、まだ福山志津架が話しかけていて、そしたら続けて聞いてしまった。歴史を変えるポイントを」
「でも天六、そこを変えたら天六は! 兄弟達は!」
「良いよ。わたしはもう。宗吾が家族と幸せになってくれれば」
「ダメだよ! トモちゃん先輩は、ユカと!」
「あなたが親なら生まれてこない方が良い!」
「そんなこと、うう、うああああああん!」
ゆかりの中で、決定的な何かが崩れた。
今まで掲げていた目標とは、夢とはこの娘は関係無いはずなのに。
それなのに今、天六は彼女に、親としての人格を否定しかえして見せた。
「うあああああああん‼︎」
「……岡賀ゆかり……こんな娘で、ごめんなさい。最後に抱きしめてもいいよね? それが」
わたしの復讐。
天六がそう言うと、ゆかりは膝から崩れ落ち、慟哭した。
途端、天六が羽交締めを解き、それをハグに変えようとしたところで、ゆかりは振り返って、天六の胸に顔を埋め、泣き喚いた。
天六は初めて、宗吾の母、愛海に見せた時のような柔和な微笑みで、でも涙は流さず、ただ静かに、ゆかりを抱き寄せている。
そんな彼女達の全てを赦すように、抱擁の如き煉獄が今、二人を包み込んだ。
「天六いいいいいいいい‼︎」
その刹那、当しくその瞬間を見せまいとする勢いで、コックピットの蓋が自動で閉まった。
それからプラネタリウムの星々の煌めきにも似た光がパネルに映し出されると、脳内に直接ゆかりの声が響いてくるのだ。
『西暦を選択してください』
選ぶのは迷わず二十三年前だった。
天六の命を懸けた選択。自分の命、否、生まれてくることすら諦めて、宗吾の未来を願った。
宗吾一人なら正直選べなかったが、天六が選ばせてくれた。背中を押してくれた。
これは、二人の意思だから。そう言い聞かせて画面をスクロールする。
目標は2020年1月1日。オリンピックの前年だ。
ミドーの事件が起きた日が何日か知らなかったから、余裕を持ってその年の元日にまで遡る。勿論、事件の日までをどう生きるかなんてことは考えていない。
暑くなる室内の気温に焦りを覚え、とにかくボタンを押す。
金切り声にも近いブザー音と、泡沫が弾けるような電子音達の合唱。
景色はホワイトアウトし、どんな白よりも眩しい閃光が視界を上書きする。
何も描かれていないキャンパス。
意識は宙に放り出され、漂う、刻の海を。
じわじわと、激痛に身体が苛まれる。
体験したことはないが、怪物に丸呑みされた胃の中とはこのような感覚なのだろう。
手足先が痺れ、感覚が徐に褪せていくこの感じ。末端から溶かされ、ゆっくりと、己の存在が消えてしまう。
剥き出しになった脳に、常に高圧の電撃が流されていると錯覚しそうなほど、やがて痛みは鋭く、敏感になる。
死ぬより辛い苦しみが、意志を揺さぶる。本当に自分が消えてしまいそうだ。
それでも尚、先ほど目にした悲劇の衝撃が薄れてしまうことはなく、身体の激痛が、心の哀痛を加速させる。意識は深層に溶け、深淵に呼ばれ───。
…………To be continued.
─────────
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