天才の上着
──ガタッ…タッタッタッタ……バタンッ──
「!」
「あ、もうできたんですか?」
「!、!」
騒がしく博士が私の部屋──といっても博士の家──のドアを開け、自慢げに見せてきたのは、スマートフォンにもよく似た小型の端末。博士の
博士は白衣のポケットから似たような端末を取り出すと、顔をニヤニヤとさせながらその上部を見つめる。
そしてそれが終わった途端、私の手の中の端末がブッ──と震えた。
“やあ!これでやっと話しができるね!きみの名前を教えて!”
*********
博士の家を訪れた翌朝、私はこの世界に声がないことを知った。
外に出てみろと彼女に
そして、そこにいるだれもかれもが声を発しない異様な光景に、私もそれを失うことになった。
彼らは寡黙ながらも、その表情は豊かそのもの。見つめ合っては笑い合い、ときどき端末のようなものを使用しながら、なんら不便のない顔をして暮らしていた。
ラジオやテレビに流れるのはもっぱら楽器が奏でるものであり、後者においては、文字の羅列がただ流れているチャンネルもある。私には読むことは叶わないが、おそらくニュースといったところだろう。
そのすべてが私に教えていた。
ここは、お前のいた世界ではないと──。
こんな奇妙な文化を持ち、見たこともない独自の端末を使用する民族がいるのならば、それこそニュースにならないはずはないのだ。
ここは私の知る世界ではない。
では、世界とはなんだ。日本を含む国々の総称、もしくは地球そのもの。それとも宇宙の名称、はたまた、現実として捉えることのできる目の前の暮らしか──。
そのどれもこれもにここが当てはまらないと言うには、圧倒的に情報が足りていなかった。
確かなことは、ここは私のいた場所ではないということ。そして、やらなければいけないことはただひとつ。
帰らなくてはいけなかった。
心寄せる、
私はとにかく元いた場所に戻るため、しっちゃかめっちゃかな
"きみ用の端末を用意するから待ってくれ!そのために少々協力はしてもらよ?"
意味合いとしてはそんなところだったろう。
焦りを隠しきれない私とは対照的に、博士はずいぶんと穏やかな顔をしていた。この人はやっぱり変わっている──私はそう思った。
そこから二週間ほど、私は博士の言う"協力"に一日の大半の時間を割くことになった。
博士の部屋は、そう名付けて正解だったと思わされるほどに奇々怪々なものであふれ、どれもこれも見たことのないものばかり。私は思った。きっとここの人でも、この部屋の九割のものは知らないのだろうな──と。
わけの分からない原色のコード。小さい吸盤の付いたそれをこめかみや頭頂部、さらには首や喉にまで取り付けられた。おそらく電極のようなものだろう。その先は機器を介してモニターへと繋がり、計測値が絶えず波打っていた。
見せられたのはさまざまな写真や絵。ときどき"口を開いて"というような指示もあり、声に出せということか──と、言葉を発したりもした。
まさか、それに反応した私の脳波を観測しているというのだろうか。そこからパターンを分析し、私の言語を読み取るつもりか?もしそんなことができるのであれば、それは人工知能のもっと先を走っている。時代に大きな差異はないはずなのに、こんな奇妙な文化の中で、私のいた世界よりも科学が発展しているとは思えない。
そう疑心暗鬼ではあったが、私は博士の言うすべてのことに従った。頼れる人が彼女しかいないということもあるが、なにもそれだけが理由ではない。なぜか、博士ならできるのではないかと、そう思ったからだ。そこに明確な根拠はない。しいて言うのなら、彼女には理解力と行動力。そしてそれに伴う頭脳ある。私の拙い説明を受け取りそれを信じ、ばかみたいなものを作り出そうとして汗を流して。
頼りがいのない見た目とは裏腹に、彼女は内面が"博士"そのものだった。
どうせ私が一人でできることなどたかが知れている。であるのなら、彼女を信じよう。彼女が、そうしてくれているように──。
心を弾ませるようにそれに取り組む博士の横で、私はそう思うのだった。
*********
「ありがとう博士。私の名前はせい。
博士は一瞬、ひどく驚いた顔をした。眉をあげて、目を見開いて。そしてじんわりといつものニヤニヤした笑みを浮かべると、また端末を見つめこう云った。
“セイ……いい名前だね!ところで、きみはぼくのことをそう呼んでいるの?”
しまった。つい癖で──。
あっ、と私が口を開くと、博士はスッスッと笑いながら肩を震わせる。だいぶ慣れてはきたが、やはり笑い声が聞こえないというのは不思議な感覚だ。
「すみません…お名前を伺っても?」
“ぼくはルーズ──ルーズ・シア・オリン。ルーズでも博士でも、好きなように呼んで!それから、いちいち声に出す必要はないよ”
想像したとおりの喋り口調に私はフッと笑った。一人称がそれであるのは想定していなかったが、なんとも彼女らしい。
「どういうことですか?」
“スティロの上の方にちっちゃな穴があるだろう?そこを見つめて思うだけでいいんだ!”
「思うだけ?」
“そう!小型カメラが瞳から脳波を感知して、それを文字に変えるのさ”
そんなファンタジーみたいな話が本当にあるというのか。顔認証──それと似ているようで、仕組みはまったく違う。あれはもともとあるデータと照合してるにすぎない。瞳から脳波を読み取れるなんて、まったくおとぎ話ではないか。
それでも、私は信じざる負えない。先ほどから、博士がそうして私と会話をしているのだから──。
私は口を閉ざし、そこを見つめながら博士に伝えたいことを頭に思い浮かべた。
“博士、どうして白衣を…?──こんな感じですか?”
“そうそう!スティロはこうして使うんだ。一応きみのために音を認識する機能も備えてはおいたけどね…めんどくさいだろ?いちいち口を開くなんて”
めんどくさい──今までそんな風に感じたことはなかったが、たしかにここの人からすればそう思うのも不思議ではない。もっとも、スティロと呼ばれるこの端末を介してやりとりすることのほうが、私には面倒だが。
脳波を感知してそれを文字に起こし、相手のスティロへと転送する。画面に浮かび上がった文字を視覚で受け取り、またそれを繰り返す。打つという手間が省けて便利ではあるが、ここまでできるのなら脳に直接戻してほしいものだ。
“それができればいいんだけどねえ…科学者たちが何十年もこぞって手を焼いているよ…あ、さっきの質問だけど、ぼくは白いものが好きなんだ!”
そうか、ここを見ながら考えてはいけないのか──。
どこまで思考を読み取られてしまうのか、それの捉える範囲を確認するため、私は視線を少しずつずらす。右に左に、上に下に。
予想に反して時間はかからず、範囲は限定的なものだと分かった。ぴったりとそこを見ていない限りは問題ないらしい。なるほど、よくできている。慣れれば使いこなせそうだ。
“それにしてもおもしろいね!その口から繰り出される音はなんだい?喉を振動させて発しているようだけど…もちろん楽器ではないよね?”
スティロに浮かぶ博士の言葉を見て思う。
音──それは声のことを言っているのだと。
“これは声帯を空気振動させて出すのもで…音とは言わず、私の世界では声と呼び、文字に並ぶコミュニケーションツールです”
“…やっぱり、君はここの人ではないと──そういうんだね?”
博士は、あまり驚いてはいなかった。
それもそのはずだ。彼女は出会っておよそ三十日にも満たない私の言語を分析し、こんなものを作ってしまう。その頭脳なら、私が異なる世界からきた人間だということは予想できていたのだろう。
信じられないことに、博士の話ではここの人々にはそもそも"声帯"という器官が備わっていないのだという。
“ふんふん…なるほど、それで会話をするわけか!個人差があって人の特定もできる…オストゥリカが少し近いのかな?”
“オストゥリカ?”
“ひとりひとりに自分の鈴があってね!形はそれぞれで音色も違うんだ!人を呼ぶときなんかに使うもの…と聞いているよ”
“… 博士は使わないんですか?”
“ぼくが、というより、もうそんなものを持っている人はいないのさ!”
博士は端末を私に向けて二ッと笑う。
それもそうか。こんなものがあるのなら、鈴の音など必要はないのだろう。
“あの…ここの人に声帯がないっていうのは、一体いつから…それから今は何年ですか?”
“そうだねぇ…人類の祖先が発見されたときから──って答えが正しいのかな?どの史書にもそんなものは載っていないはずだよ?それから、今は西暦2025年さ!”
私は肩を落とした。
呼吸によって吐き出される息。それを振動させる声帯。その時点ではたいして個人差はないと言われているが、共鳴を起こす各器官の形によって変形し、声という大切なツール、そしてアイデンティティとなる。
それを生み出すものが、ここにはない。その昔、人類が確認されてから、ずっと──。
今が今であるということには安心するべきだが、それは同時に、やはりここがまったく異なる世界だということを断定している。過去であれば、教材に載っていない歴史があるという可能性もあったというのに。
“きみの云うコエ?というものはないけど、いつの時代もぼくたちは文字を伝達のツールとして使っているよ。今みたいにね?”
まず、意志を伝える道具として私の世界で最初に登場したのはたしか言葉、いわゆる声だったはずだ。文字が登場したのはその何万年もあとのこと。声帯という器官ごとないとなると、ここではその進化が見られず、最初に登場したのが文字であったということなのだろう。
そして以降、現在に至るまで伝える手段はそれしかない──なるほど、マークのような形にも納得だ。一筆で書ける単純なものが使いやすかったと、そういうことなのだろう。
“やっぱりきみは察しがいいね!”
“あっすみません…また…”
“だけどひとつ、きみの考えつかなかったことを補足しよう!”
博士は得意げに人差し指を立てながら、ウィンクをひとつ寄こした。
“発達したのは文字だけではないのさ!きみの云う"ここの人"は、おそらくきみの思うその何倍も、相手の思考を汲み取ることができるんだ!”
“思考を?”
“その昔、土や木の枝──今で言うところの紙やペンだね。それがないと文字を伝えることは難しい。特に今のように科学がなかった時代はね?その代わりに発達したのが思考能力さ”
“思考…能力…?”
“おっと、きみが考える前に先手を打たないとね!それはなにも非科学的なことではないよ!相手の仕草や瞳の揺れ具合、顔色や体温。いたるところに感情や想いは乗っかるものさ。ときには身に纏う匂いなんかにもね?”
“匂いですか?”
“だって、好きな子の前では、いい香りを纏っていたいだろう?”
たしかに博士の云うことは一理ある。
文愛はいつも、私の心をくすぐるような甘い香りで身を包んでいた。
“そうやっていろんなところから些細な情報を汲み取るのが得意なんだ。だから、端末を使用しなくたって、ある程度のやりとりはできちゃうよ!”
そうか。町なかにいる人々が、端末をときおりしか手にしていなかった理由はそれか。
歴史が同じだけあると考えれば、その能力が積み重なり発達していくことは当たり前のこと。きっと、私が想像するその何倍も──博士があの夜、あんなにもすんなりと私の芸術作品を理解できたのも納得だ。
スティロ──おそらくはこの端末もその能力がもとになっているのだろう。
“あの、博士…最後にひとつ聞いてもいいですか?”
“もちろん!なんでも聞いてよ!ぼくは天才だからね!”
“この星の名は、なんですか?”
歴史が異なる。それは分かった。
となれば、残る確認要素はきっとこれ。
身体に緊張感が走り、手のひらにじわじわと熱いものが滲み出す。
頼む。どうか、私の知る名であってくれ。
“ここかい──?”
“ここは、ぺリウスさ!”
ぺリウス──太陽系第三惑星のそれは、白銀色に輝く、風の吹き抜ける星だという。温度はやや低いが、それと比べて大差はなく、面積や重量も変わらない。
まるっきり、地球ではないか。
その色は異なるが、太陽系のその位置に属するということはつまり──。
過去が同一と考えられている並行世界。今の状況で、どこまでを過去と呼べば良いのかも分からないが、元いた星そのものが存在していない可能性があるとなると、おそらくは次元そのものが違う。
どうやら私がいるこの場所は、いま流行りの異世界とでも呼んだ方が良さそうだ。
では、私のいた場所はどこにあるのだ。
熱い気温の続くあの青い星──文愛がいる、あの空間はどこに行ってしまったというのだ。
“セイ、そう興奮しないで!ここの人々はみんなおだやかだから、落ち着いて方法を探していくのがいいさ!”
“おだやか?”
“つい伝えてしまう──端末を使いこなせば、そんなことは起きないだろう?それにわざわざ怒りを頭に浮かべて相手に伝えるなんてばかばかしい。もちろんそれでも伝える人はいるけど、それはごく少数なんだ。だからみんな、大多数に感化されているんじゃないかな?”
“まるで他人事のようにものを言う博士は、やはり変わり者だ。”
“あっ!きみっ!今、わざと…!!”
“ははっ、さすが博士。それが思考能力ですか?”
“…セイだって!ぼくとそうかわらなそうじゃないか!”
“ええ、そうですね”
“まったく…きみは油断ならないなぁ…すぐにそれを使いこなしちゃうし”
“私が?”
どこが使いこなせているというのだ。博士が変わり者の一面を見せてくれなければ、動揺しきって無意識に脳内を吐露し続けていたというのに。
“頭で考えて思いを浮かべなければ、スティロは反応しないのさ”
“はい?どういうことですか?”
“うーん、まあ、ここじゃだめってことかな?”
博士がとんとん、と。拳で胸元を叩いてみせる。
なるほど、それなら腑に落ちる。私は心になにかを感情として浮かべるよりも、頭で物理的にものを考えてしまうたちだ。だからこそ、変わり者とそう呼ばれてしまうのだが。
スティロとの相性は抜群だったというわけだ──心やさしい文愛では、きっと使うこともできなかったろう。
“きみももしかしたら使えないかも…と思ったけど、安心したよ!”
“きみも?ここの人で端…スティロを使えない人がいるんですか?”
“ああ、遠い昔の…っと!もうこんな時間だ!ちょっと出てくるよ、人と会う用事があるんだ!”
“あ、はい、お気をつけて”
“…おやおや?寂しそうな顔をしているね?セイ、一人で留守番できるかい?”
博士がニヤッと笑う──まるでいたずら前の子どものように。
“…博士こそ、ちゃんとその場所まで行けるんですか?”
“ふふ!どうかなあ!”
戻る方法はきっとあるさ!時間はかかるかもしれないけど大丈夫。なんたってぼくは天才だからね!
そう言って、博士はこの部屋を訪れたときのように慌ただしく、家を飛び出して行くのだった。
「……白衣のうえに白衣着て意味あるのか…?」
上着と称してさらによれよれのそれを重ねた姿に、私はそう呟いた──。
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