雨とダンス



 セイ……セイか…うん、おもしろいじゃないか!!



 ひと目につかない森の影にそっと足をおろす。

 このくらいの距離でも、天気はちょこっとだけ違う。こっちはべそっかきでしくしくして──うん、気分がいいな。

 

 また一段と生い茂った彼らを見て、背筋がぞくぞくとする。

 スッと鼻からたくさん息を吸い込んで身体中に流すと、潤んだ空気にそれがよろこび、なんともいえない気持ち良さ──最高だ。


 やあ、ひさしぶりだね。元気にしてたかい?


 雨のしずくにはしゃぎながら艶やかに生を語るアスプロド。

 しゃがみ込み、その葉の背中からちょんちょんと人差し指でちょっかいをかけると、うれしそうに笑う。


 脆く貴く、儚く気高い。


 うつくしく咲く命はこんなにも魅力的なのに、どうしていつか枯れてしまうんだろう。 


 ねえ、きみも枯れちゃうのかい?


 きみも、横のきみも。後ろのきみも。自然に生を受けたものは、なんでいなくなってしまうのだろう。そんなに散り急がないで、もっとぼくと遊んでよ。その精気で、ぼくを満たしてよ。


 ふふっ、笑っているだけかい?


 こそばゆくはにかむ花が、ぼくまでも笑顔にしてしまう。


 でもいいんだ、ぼくにはね?とっておきの枯れない花があるんだ。まだ蕾だけどもうすぐ…え?それはなんだって?ふふ、まあ見ててよ。きみが散っちゃう前に、いいものを見せてあげ…


‘ルーズ?今日はずいぶん遅かったのね’


 ……ごめん、また今度あそぼう?先約なんだ!


 うんうんと揺れるアスプロドにまたねと手を振る。

 振り返った先の相手は、ぼくの遅刻に怒ってはいないようだ。


‘やあやあ!ご機嫌麗しゅう!’

 雨に濡れた手でその手をそっと持ち上げると、太陽みたいな顔にちょっとだけ雲が差した。

‘…あなた、いつも傘を差さないんだから……’

 やわらかい生地のハンカチに包まれて、さっきの葉っぱみたいにぼくの手はうれしそう。

‘傘?そんなもの差したらもったいないじゃないか!’

‘……はぁ。そうね、あなたはそういう人だったわ…。でも私は違うから、中に入りましょ?’

 彼女がぼくの手を引く。

 よく通る道だから、きみたちを踏んでしまうことはないけど、もうここに生を置かなくなった過去の子たちがぼくの足元にいる。眠っているところを邪魔してごめんよ?ちょっと通らせてもらうね。

 そうやってその一人一人におやすみを告げるうちに、馴染みのある古びた色のドアへとたどり着いた。

‘あ、待ってルーズ’

‘なんだい?’

‘上がる前に身体を拭かないとだめよ…そこにいて?’

 彼女はぼくを玄関において先に家へあがると、ふわふわのタオルを持ってまた姿を見せてくれる。ハンカチの次はタオル──いいね、悪くない。

 ぼくが両手を広げてそれを待っていると、その口からちいさなため息がこぼれてしまった。

‘ルーズ?自分で拭くのよ?’

‘もう拭ってくれないのかい?さっきのハンカチみたいに’

 少しだけしゃがんでその顔をのぞき込んでみる。

‘甘えてもだめよ。はい。ちゃんと拭いたらあがってもいいわ’

 タオルだけをぼくに寄こして去っていくその背中。それを見ながら、タオルで身体中をわしゃわしゃと拭きあげる。

 いい匂いだ。水滴の匂いが混じった彼女の匂いはより悲しげで、切なげで。これだから雨はたまらない。

‘コーヒーでいい?’

 部屋に入ると、彼女が口の細長いポットを持ってキッチンから顔を出した。本当は、コーヒーは苦いからちょっとだけ苦手。でも、オレンジジュースがほしいと言ったら格好がつかないし。

‘うん、いただくよ!’

‘…オレンジがいいのね?’

 彼女が困った顔を見せる。

‘あはは!きみはよくぼくのことを読んでくれるね!’

‘あなた単純なんだもの。読まなくても勝手に流れてくるわ’

 座ってて──そう彼女は冷蔵庫から鮮やかな色の果実を取り出すと、ミキサーを小刻みに揺らしてぼくの要望に応えてくれる。

 ぼくはその音をバックグラウンドに、窓をしとしと伝う雨の隙間から彼らを見つめた。濡れた彼らがきらきらとさざめいて、格別の光景に見惚れてしまう。

‘はいどうぞ──また見てるの?’

‘また?’

 できたてのそれを受け取って、返事を待つ間にひとくち。うん。甘くておいしい。

‘さっきうちに来るまでの道でも見てなかった?’

‘あぁ’

 いなくなってしまった彼らのことか──。

‘話してたんだよ。ちょっと、おやすみをね?’

‘…そう。落ち葉はなんて?’

‘なにも。だってそうだろ?もう、ここにはいないんだから!’

‘……そうね…。それより持ってきてくれた?’

 ああ──いいな。

‘ちゃんと買ってきたよ!ほら!…あれ?どうしたんだい?そんな顔して’

 またその顔に雲が。つぎは灰色の、きっと特大にでっかいやつ。

‘もしかしてあなた、また…’

‘なんだい?りんごも忘れずに買ってきたよ?’

‘……そんなことじゃないわ…’

 毎回買い物を頼まれてあげているのに、そんなことなんてずいぶんと失礼だ。でも、ぼくは怒ったりしない。でっかい雲が彼女の瞳に影を落として、心が躍ってたまらないんだから。


‘じゃあ、どんなことだい──?’

‘…あなたが一番よくわかっているでしょ’


 ああ、たまらない。 

 じわじわと陰っていく姿をもっともっと、眺めていたくなる。


‘……りんご、勝手に食べたらだめよ?’

‘おっと、これは失礼!’

 そんなことを考えているうちについ、真っ赤に染まったそれに口を付けてしまった。せっかく買ってきたのに、これじゃあ台無しだ。

‘まあ、安心してよ。きみが心配することはなにもないんだから’

‘……前にも伝えたわよね…今回は、私…’

‘ああ、わかってるさ。大丈夫、ぼくはぼくの使命を全うするよ’

‘ええ、お願い…これが最後かもしれないから’


 彼女はそう言って顔を俯け、手をぎゅっと握りしめる。

 うつくしい。なんてうつくしいんだ──。


‘……ごめん、頼んでもいいかい?’

‘ええ、どうしたの?’

‘次はりんごジュース、作ってもらえないかな?’


 左手にグッと力が入ったせいで、歪んでしまったりんご。彼女は呆れた顔をしながら、仕方ないわねとぼくの手からそれをサッと取ってキッチンへ戻っていく。


 その背中は、外で雨と踊るアスプロドの葉によく似ていた──。










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