第3話 あの人が苦手な理由
「結月さん、これってどこに保存すればいいんですか?」
パソコンの画面を覗き込みながら、後輩の藤井美咲が小首を傾げる。その仕草に、結月は無意識に奥歯を噛んだ。
(またか……)
美咲は去年入社したばかりの後輩で、明るく愛嬌がある。周囲の評判も悪くないし、仕事も決してできないわけじゃない。ただ——なんというか、妙に引っかかる。
「前に説明したよね?」
できるだけ柔らかい口調を心がけたが、自分でも棘が含まれているのがわかった。美咲は「すみません!」と申し訳なさそうに笑う。
(この感じが、苦手なんだよな……)
「申し訳ないです!」と平謝りする割に、また同じことを聞いてくる。悪気はないのかもしれないけれど、結月はこういうタイプがどうにも苦手だった。
◆
その夜、結月はヨガスタジオ「ルナ」のレッスンに参加していた。仕事帰りのヨガは、彼女にとって唯一の心を落ち着ける時間だった。
「今日は、自分の内側を見つめる時間を持ちましょう」
美月先生の落ち着いた声がスタジオに響く。結月は深く息を吸いながら、仰向けになり、目を閉じた。
「もし、苦手な人がいるなら、その人を思い浮かべてみてください」
(……苦手な人?)
結月の脳裏に、美咲の顔が浮かぶ。
「なぜ、その人が苦手なのでしょう? 何が引っかかりますか?」
(なんで、私は美咲が苦手なんだろう?)
自問した瞬間、心の奥で小さな違和感が広がった。
「人は、自分と似ている部分がある相手に、無意識に反応することがあります」
美月先生の言葉に、結月はハッと目を開けた。
(……まさか)
結月は、思い返した。入社当時、自分もよく先輩に同じ質問を繰り返していた。最初は一生懸命メモを取るのだけれど、あとで見返すとわからなくなり、結局また聞いてしまう。
「前に説明したよね?」
そう言われたときの、申し訳なさと焦り。
(私も……同じだったんじゃない?)
美咲のあの「すみません!」という笑顔。あれは、結月自身が過去に見せていた顔ではないか。
結月はゆっくりと息を吐いた。
◆
翌日、美咲がまた「すみません、これって……」と尋ねてきた。
いつもならイラッとする場面だった。でも結月は、一瞬考えてから口を開いた。
「もしかして、前に言ったこと、メモしてる?」
「えっ? あ、はい! 一応してるんですけど……」
美咲は慌ててノートを開く。そこには細かい字でメモがびっしり。けれど、要点がバラバラで、どこに何が書いてあるのか自分でもわかっていないようだった。
(ああ、昔の私みたい)
結月は少し微笑んで、「じゃあ、一緒に整理してみようか」と言った。
美咲は驚いたように目を丸くした後、嬉しそうに頷いた。
苦手だと思っていた相手が、自分を映す鏡だったと気づいたとき、結月の視界は少しだけ変わった気がした。
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