3/10 真実


「ウォークくん、ただいま!」


 由々菜ゆゆなはそのまま、ウォークくんに抱き着いてしまいそうなほどの勢いで言った。実際は、ウォークくんの前にしゃがみ込んで、「かっこよくなったねー」と、あちこちを眺めている。

 ほんの数十分前に、由々菜と両親はヨーロッパ旅行からこの商店街へ帰ってきた。自分の家には、荷物を置いただけで、ほぼとんぼ返りのように、由々菜は僕の家のガレージへ来たのだった。


「そんなじろじろ見られたら、なんだか僕の方が恥ずかしくなっちゃうよ」

「えー、どうして?」

「いや、塗り残しとかあるかもしれないし」

「大丈夫だよ。すごく綺麗に塗られているから」


 由々菜はそう言って、「良かったねー」とウォークくんの頭を撫でる。散髪が終わったばかりの子供に対する母親のような、優しい声色だ。


「……いよいよ明日だね」

「うん。明日、十一日の午後五時が、お披露目会だ」

「私、ウォークくんが再び歩けるようになれて、本当に、嬉しい」


 しみじみとした由々菜の声に、違和感が芽生える。僕が、物心ついた頃には、すでにウォークくんはうちの店先に動かず置かれていたはずだ。それなのに、僕と同い年の由々菜は、まるでウォークくんが歩いていた時を知っていたかのように話す。

それって……と尋ねる前に、由々菜が笑顔で振り返った。


「ウォークくんの代わりに、言わせて。綺麗に直してくれて、ありがとう」

「……う、うん」


 嬉しさと気恥ずかしさで、さっきの疑念は霧散していった。僕は、由々菜の真っ直ぐな目線から逃げるかのように、目を逸らし、さらに歩き回る。

 なんとなく、ウォークくんの真後ろに立った。店先にあった頃は、ここが壁側に置いていたから、この位置から見るウォークくんは新鮮だ。この前塗ったばかりだけど、と思いながら、僕はウォークくんの後頭部を上から下へ、撫でながら話す。


「昨日、メールでも送ったけれど、ウォークくんの動力源についてさ、」

「うん。なんでも動力源に出来るって、すごいよね」

「そうそう。だから、何にしようか悩んでいて……ん?」


 今日一番したかった話を、由々菜に切り出した時、なんとなく、ウォークくんの頭を撫でていた延長として、髪の毛部分の内側へ指を入れた時に、妙なでっぱりに爪が触れた。しゃがんで、その部分を覗き込むと、確かに、僅かな隙間の頭側に、丸いボタンのようなものがついている。


あける? 急にどうしたの?」

「なんか、ウォークくんに知らないボタンがついているみたいで……」


 由々菜の声に応えながら、僕はウォークくんのボタンを押してみた。かちっと音がして、つむじから後頭部にかけて、ヨットの帆のような形の切れ込みが現れて、ちょっと浮かんだ。


「何これ、すごい!」

「……すごいけれど、こんなの全然見たことないよ……」


 無邪気にはしゃいだ声を出す由々菜と違って、僕は少し恐ろしく感じていた。ウォークくんを塗っている時にも気付かなかったこの仕掛けに、強く戸惑っていたのだ。

 しかし、目が離せなくなっていた。見なかったことにはできない気がして、僕は、ウォークくんの切れ込みを、下部分から持ち上げてみた。


 切れ込みは、扉のように外側へと開く。中はもちろん、ウォークくんの頭だ。しかし、ずっと空っぽだと思い込んでいたそこには、オルゴールの中身と同じものが入っていた。

 観察してみると、そのオルゴールの中身にも、小さなネジ巻きがついている。これを、回さないといけない。そんな使命感を抱いて、僕は黙ったまま、ネジ巻を摘まみ、回転させて、これ以上回らなくなってから、手を離した。


「……年、三月……、十一日……。……船、………号、……港へ到着……。……すぐに、歩いた先……、……よ商店が……へ。……くさんの、人……人、みんな……かんげ……。温か……、ふんい……に、つつま……」


 ノイズで途切れ途切れになりながら、少年の声が聞こえてきた。ウォークくんの声だと直感する。これは、彼がこの商店街にやってきた瞬間の記録だと。


「……突然、地面……揺れる……。おおき……長い……揺れ。……悲鳴、……倒れる音、割れる音……。……止まる……揺れ……。……だが、……大波、……来たる。港……越え……商店街、へ……。……人、もの……、動物……、……建物、全て……、呑み込む……押し流す……」


 断片的な言葉から、想像できた惨状に、言葉を失った。……だけど、これはいったいいつの出来事なんだろうか? 確か、小学生の頃に地元の歴史を調べた時に、明治や昭和初期に起きた地震を知ったけれど、その頃にこの商店街は無かったはずだ。


「……時間、巻き戻る……。……揺れる……直前。……異星人、……装置、使った……。……ここの……土地神……、呼びかけ……。……猫又……魔術師……獏……本棚の、精霊……人魚……、それに……応える。……各々、大切な……力……差し出す……。……ボク……存在の全て……差し出す……。……地面……揺れない……。ボク、消える」


 ——最後に微かな雑音だけを残して、オルゴールが止まった。

 何の物音もしないガレージの中で、僕は必死に考える。


 今の記録が本当ならば、かつて、ここで大きな地震があり、津波によって莫大な被害が出たのを、「なかったこと」にされた、という訳だ。

 土地神の呼びかけに応えたひとたちの中には、聞き覚えのあるひともいる。それに、時間が巻き戻ったのは、異星人の道具によるものだと言っていた。その異星人が、ケ゜トーガャニ゛さんだったとしたら、この出来事が起こったのは、結構最近のことなのでは……。


「知っちゃったね」


 急に、頭の上から声が降ってきた。ただそれは、天啓ではなく、僕のよく知っている声の物だ。しかし、その響きは、今まで聞いたことのないような厳かなものであった。

 僕は、立ち上がる。オルゴールの記録を聴いている間、存在を忘れかけていた幼馴染が、僕の目の前に立っている。そのはずなのに、微笑を湛える彼女が、僕の知っている彼女ではないような気がして、唐突に戸惑った。


「由々菜、なの?」


 縋るように尋ねてみる。しかし、彼女は僕の願いと反して、悲しそうな顔で、緩やかに首を横に振った。


「私は、--」

「……ごめん、もう一度言って?」


 彼女の名前が、上手く聞き取れなくて、僕は尋ね返した。すると、また彼女は悲しげに笑った。


「何回言っても聞き取れないよ。私は、名前を失った存在だから」

「名前を……」

「そう。みんなに、力を貸してほしいと呼びかけたのだから、私もそれ相応の物を差し出さなければならなかった。だから、私は自分の依り代としていたご神体を差し出し、それと紐づけられていた名前も失った」

「ご神体? でも、この商店街には神社なんて……」

「祀る場所は建物ではなかったわ。この家の隣、台座だけ置かれた何もない広場があるでしょ? そこの上に、私は載っていたの。ご神体と名前を失ったことで、あの日、力を貸してくれたみんな以外は、忘れてしまったのだけど」

「ああ……」


 彼女の言う通り、僕の家である時計店の隣には、丸い台座だけが置かれた広場があった。あそこは、建物を作るのには狭すぎるけれど、自動販売機なども置かれずに、長年、ずっとそのままにされていたのだった。

 そこまで聞いて、彼女の正体がだんだんと分かってきた。ウォークくんの記録とも照らし合わせて、恐る恐る聞いてみる。


「あなたは、ここの土地神なんだよね?」

「大正解」


 彼女は無邪気に笑う。今の表情は由々菜と同じもののはずなのに、何かが徹底的に違うような気がする。


「あの日——八年前の三月十一日、ウォークくんがやってきたことで、いつもよりも賑わっていた。ウォークくんを歓迎しようって、学校も午前中で終わって、子供たちも集まっていたり、仙台から取材しに来た人たちもいたり。そんな時に、地震と津波が起きた。この商店街だけではなく、県を跨いで、大きな被害が出た……はず。震源は沖の方で、この土地のことなら何でも分かる私でも、予期しないものだった。

 私は何もできず、津波に飲まれていく人や街を見ていることしか出来なかった……。でも、ケ゜トーガャニ゛君が、故郷の星からこっそり持ってきていた、時間を巻き戻す装置を作動した。地震の起きる数十分前に戻ったから、私は、この商店街の中にいる、不思議な力を持つみんなに語り掛けたの。これから、大きな地震が起きて、津波も起こる、それを止めるために、力を貸してほしいってね。


 地震が起こることを知っているのは、私と、装置を作動させたケ゜トーガャニ゛君しかいない。だけど、みんな、私の言葉を信じてくれた。

 猫カフェのカウダにいた猫たち、実は猫又だったんだけど、自分たちの妖力の源であるもう一つのしっぽを差し出した。その時、正体は天使の店長の竹久君が、猫たちの能力を使えないようにしているのを解除してくれた。


 イモグルの店主・オサリバン君は、魔術師として呪文を唱えるのに必要な声を差し出した。夢を食べる妖怪の獏の麦ちゃんは、自分の本来の姿を差し出した。だから、今も人間に化けた状態のまま。ブックタワーの精霊君も力を差し出してくれた。それで、今は一人の相手にしか姿を見せられない。

 あの日、港のすぐ近くに来ていた人魚の三人一家は、自分たちの尾ひれを差し出した。海に戻れなくなった三人は今、喫茶店のSoWを営みながら暮らしているわ。そして、私はさっき言った通り。最後に、ウォークくんが、存在の全てを差し出してくれて、この時間軸では、地震が起こらなかった」


 彼女は、そこまで話すと、ウォークくんの頭を、髪を梳くように撫でた。


「百年以上、世界中を歩いてきたウォークくんは、人間たちの記憶から消え、彼のことを記した記録も失われてしまった。偶然、ここを訪れただけのウォークくんが、どうしてここまでしてくれたのか……きっと、自分が来たことで、被害が増えたのだと、責任を感じていたのかもしれない。

 でも、記憶や記録に残らなくても、ウォークくんが助けてくれたことは、みんなが心で感じ取っていたのでしょうね。動かなくなったウォークくんは、ここの店先に置かれて、ずっと商店街を見守っている、という記憶が生まれた。歩き続けてきた名残なのか、『ウォークくん』という新しい名前ももらって」

「そうなのかな……そうだったら、嬉しいな」


 僕も、彼女と同じようにウォークくんの頭を撫でる。彼に聞こえていなくても、「ありがとう」と言わずにはいられなかった。

 そして、お礼を言いたい相手は、目の前にもいる。だけど、その前に一つ、疑問があった。


「あなたと由々菜は、どういう関係なの?」

「私は、土地神としての特性として、何か形のあるものに宿っていないと、存在を保てない。御神体が失われた後、仮の依り代として、由々菜ちゃんに宿ったの。『常深由々菜』という人格が消えてはいないけれど、現在はグラデーションのように、普段の由々菜ちゃんにも、一パーセントくらいだけ、私が残っているわ。彼女にその自覚はないけれどね」

「……じゃあ、今は、百パーセント、土地神さん?」

「そうね」


 少し前に、便利屋の黒田さんから由々菜のことを尋ねられたことを思い出す。彼は、由々菜には変わった能力がないのかと尋ねられた。

 僕ははっきり「違う」と答えたけれど、黒田さんがこの商店街で便利屋を始めたのは八年前、土地神さんが由々菜を依り代にした後のことだ。きっと、どこか可笑しいと思える瞬間に遭遇したのかもしれない。僕が今まで気づかなかったのは、偶然なのか、彼女が気を付けていたのか、分からないけれど。


「どうして、由々菜だったの?」

「理由は単純よ。当時、ことよ商店街を一番愛していたのが、由々菜ちゃんだったから」

「……ああ」


 その一言は、今までの話で最も納得のいくものだった。由々菜は、小さい頃から、商店街のみんなと交流していて、行事も必ず参加していた。

 ウォークくんがやってきた時も、きっと南口のゲートの入り口から、一番前で出迎えていた。もう記憶に残っていなくても、その瞬間をありありと想像できる。


「土地神さん」

「何かしら?」

「僕らのことを、この商店街を守ってくれて、ありがとうございました」

「お礼を言う必要はないわ」


 頭を下げたのに、そんなことを言われてしまった。でも、とフォローしようとして、頭を上げると、彼女は虚しそうな顔で無理に微笑んでいて、僕は言葉を失ってしまう。


「地震を止めた後の晩に、死神がやってきた。ご立腹だったわ。そりゃそうよね、たくさんの人が死ぬ運命を変えてしまったのだから」

「死神からすると、そうかもしれないけれど、それでも僕らは救われたのだから、感謝しているよ」

「確かに、『ここの人間』からするとそうなるわよね」


 彼女はまだ虚しく笑っている。そこへ、押さえきれない後悔が滲み出ているようで、僕は急にぞくぞくした。


「死神は言っていたわ。人間の寿命はあらかじめ決まっている。それを無理やり伸ばしてしまったことで、歪みが生まれる。そのひずみは、世界のバランスを取り戻すために、いつか、どこかで、たくさんの人が死ぬような出来事が起きる」


 はっと息を呑んだ。僕らが生き延びたことで、代わりに別の人たちが死ぬ。そんなの受け入れたくはないけれど、彼女の表情からすれば、事実なのだろう。


「それが、いつなのか……一秒後なのか、百年後なのか、千年後なのかは、誰にも分からない。私にも、その死神にも」

「……あなたは、それを助けたことを、後悔しているの?」


 禁断の質問でも、尋ねずにはいられなかった。すると彼女は、何もないガレージの天井を仰いで、遠い目を細める。


「人間は、命や土地が失われても、悩み、苦しみながらも立ち上がり、前を向いて進んでいく『強さ』がある。私も、ここを見守ってきた土地神として、それをよく知っていたけれど、私にはその『強さ』がなかった。だから、時間が巻き戻る奇跡の瞬間に、思わず地震を止めてしまった。

 神として、やってはいけないことだけれど……でも、駄目だね。ここに今、生きているみんなの笑顔を見ていると、後悔なんて、忘れてしまうのよ」


 こちらを向いた彼女は、苦笑いを浮かべていたけれど、表情は曇りのないものだった。

 僕も、今、ここにいるからこそ、たくさん得たものがある。だから、いつか郵便局の局長さんに尋ねられた時に、「幸せ」だと言い切ることが出来た。そんなことを思い出して、ふと、また疑問が生まれた。


「もしかしてだけど、さっき話していた死神って、郵便局の局長さんのこと?」

「そうよ。こんなにたくさんの寿命が延びた事例は初めてのことのようでね、しばらく、ここにとどまって、どうなるのかを直接観察しているの」

「八年間、ずっと?」

「彼にとっては、たいした時間じゃないわ。この先、生き延びた人たちが新しい寿命を迎えるまでや、予定になかった生命の誕生とかも、調べなきゃいけないから」

「気が長い話だね……」


 八年というと、僕にとっては十歳から十八歳までで、その間に進級したり、中学や高校、大学に進んだり、背が伸びたり、声変りをしたりと、外側も内側も、いろいろ変わってきた。

 局長さんは、死神だからずっと見た目は変わらないけれど、そんな僕らのことも、ずっとずっと観察し続けるのだろうか。


「さっきも言ったけれど、予定外に寿命が延びたから、みんなの『これから』には何が起こるのか、全く分かっていない状況なの」

「ああ、うん」

「だから、悪いことも良いことも、どんどん起きるけれど、私はみんなに幸せになってほしいから、ついつい手を出しちゃうのよね」


 後頭部を書きながら、照れ笑いを浮かべる彼女を見て、僕は、今年の四月や八年前の四月に、由々菜が履いた靴が勝手に動き出してしまった事件を思い出す。

 あの時は、大騒動を巻き起こしたのだが、それによって、騙されて大金を取られそうになっていた信久さんを助けられた。そんな風に、僕らの知らないうちに、由々菜と彼女によって、運命が変わった人たちがいたのだろう。


「なんか、お節介な由々菜らしいよ」

「ええ。由々菜ちゃんを依り代にしてから、結構影響を受けているのかもね」


 笑っていた彼女だが、小さく息を吸うと、今度は真剣な目で僕を見つめる。まるで、その目線のピンで留められたかのように、僕は身じろぎも出来なかった。


「それで、今日、明が私にしたかった話、だけれど」

「……ああ、ウォークくんの動力源をどうするのか……」

「それは、明自身が決めて。動力源だけじゃなくて、ウォークくん本体のことも」


 彼女が入った由々菜は、逃げ道を塞ぐように厳しい言葉を投げかける。だけど、これによって、これまで悩んでいた僕の心が、クリアになっていく。

 ことよ商店街の真実を知った上で、僕が下す決断。きっと、彼女にはそれがお見通しなのだろう。それでも、僕は、自分の決断を言葉にした。


「僕は……」

















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