歩き続けよう、希望ある限り
夢月七海
3/1 卒業式後
全長は、僕の半分ほどだから、大体八十五センチくらい。重さは持ったことないから分からないけれど、強い風が吹くと揺れることがあるから、意外と軽いのだろう。
材質はブリキだ。でも、ずっと外に置いてあるのに、どこもサビていない。
見た目は男の子。体よりも大きい、茶色のおかっぱ頭で、瞳は金色、口はボートの形のような笑顔だ。服はペンキで、空色のギンガムチェックのシャツと夕暮れ色の半ズボンが描かれている。
手足の関節部分を見ると、そこは折れ曲がれるように、ネジでつなぎ留められていた。今は直立不動だけど、かつては、その茶色い靴を履いた足で、歩いたのだろうなぁと想像できる。
これらが、僕の家・
僕はウォークくんの前にしゃがんで、しみじみと、自分が生きてきた十八年、ずっと見守ってくれた彼のことを考えていた。
「
すぐ後ろから声をかけられた。振り返ると、
「うん。なんか、ふと、ウォークくんのこと、直せるかな、って思って」
「直せる?」
少し屈んで、僕と一緒にウォークくんを見る由々菜に、さっきまで観察していた彼の関節などを指さして説明する。
「ほら、こことか、ここも、曲がるようになっているから、名前通りに歩くんだと思うよ、ウォークくんは。中を見ないと断言できないけれど、簡単な仕組みだったら、僕でも直せるかなぁって」
「ふーん」
由々菜は、真っ直ぐに立って、僕のことを見下ろした。
「……いいアイディアだね。応援するよ」
彼女は、親指を立てて笑いかける。だけど、そこにはどこか陰があって、僕は一瞬だけ遅れて、「うん」と言い返した。
笑うときは百パーセントで笑って、泣く時は百パーセントでなく、そんな由々菜の中途半端な表情を初めて見て、僕は面食らってしまった。だけど、彼女はそんなことも忘れたかのように、眩しい笑顔を浮かべる。
「ねえ、そろそろパーティー始まるよ。行こうよ」
「ああ、ごめん。そうだね」
卒業式を終えたばかりの僕らは、そのあとの卒業生だけのパーティーに行く予定だった。ことよ商店街を突っ切って、南口側のバスから、会場へ向かう。
淡いピンクのドレスを着た由々菜に、ちょっとどきりとした。でも、なんと褒めたらいいのか分からない。ただ、「どれくらい集まるかなー、楽しみだねー」という彼女の声はいつも通りで、僕のスーツ姿にはあまり反応がないけれど。
「由々菜たちの旅行って、いつから?」
「三日だよ。帰ってくるのは、十日」
「結構あっちにいるんだね」
「うん。観光もするけれど、信久さんに久しぶりに会うのも楽しみ」
常深一家は、今度、ヨーロッパに旅行しに行くと言っていた。由々菜は推薦で僕らよりも一足先に合格しているので、久しぶりにまとまったお休みを取ったのだという。
ヨーロッパに決めたのは、常深靴屋の従業員、信久さんがドイツで修行中だからだ。彼は去年の四月から靴屋で働き始めたのだけど、ちゃんとしっかり勉強したいと、六月に由々菜のお父さんと同じ師匠の下へ旅立った。
「けど、信久さんが、まさか靴職人を目指すなんて、出会った時には思わなかったよ」
「ちょっと、あの時の話はしないでよ!」
顔を真っ赤にして、由々菜が僕の背中をバンバン叩く。僕は、「ごめんごめん」と笑いながら、去年の四月のことを思い返していた。
あの日、お父さんが作った真新しいエナメルの靴を履いた由々菜の足が、勝手に動き出した。僕はもちろん驚いたのだが、一度、八年前にも同じ状況を経験している。それでも、由々菜の足が勝手にいろんなことをしていくのを止めることは出来なかったけれど。
その道中、ある男の人が大事そうに抱えていたボストンバッグを、由々菜が蹴り飛ばしてしまった。そのボストンバッグは、八百屋の前に置かれた野菜のトラックの上に乗っかって、気付かずに走り出したのだ。
トラックの持ち主は八百屋の工藤さんの仕事仲間だったので、連絡して返してもらったのが、実は、そのボストンバッグにはたくさんの札束が入っていたらしい。それを抱えていた男の人が、家族に内緒で、金庫のお金を持ち出していたという。
男の人は、ネットで知り合った人に騙されて、大金を商店街のATMに振り込もうと運んでいた。それを知った家族から、「働いてもいないのにと散々なじられてしまったんですよ」と、ボストンバッグの顛末を靴屋で話していたら、「じゃあここで働いたら?」と、あっさり由々菜のお父さんに雇われた。それが信久さんだった。
僕を散々怒った由々菜は、ふうとため息をついて、遠い目をした。彼女が眺める空は、もう暗くなり始めていて、小さな星が瞬いている。
「旅行は楽しみだけどね、商店街のことが心配かな。あんなに家を出ていることもないから」
「そっか、修学旅行よりも長いからね」
「うん。何も起こらないといいな……」
「大丈夫だよ。僕らも気を付けるから」
らしくないくらいに暗い顔をした由々菜を、僕はしっかりと励ました。顔を上げた彼女は、僕を見て、「ありがとう」とにっこり笑う。
その瞬間、思いついた。彼女が帰ってくるまでの間に、ウォークくんを直せたら、きっと驚いて、喜んでくれるんじゃないかなと。
自分の思い付きにウキウキしている間に、僕らの前に、商店街の外が見えてきた。
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