琥珀色の思い出にしよう 2
小聖堂というのは、静寂でなければならない。
祈りを捧げる場所だからだ。
放課後の学校の小聖堂と来れば、大概誰も来ない。
栞はそんな場所に恋人ごっこの相手を呼び寄せる気まずさを分かっているんだろうか…。
よっぽど乗り気か、女同士のじゃれ合いなら緊張するはずもないからと構わず指定したのか。
天井に飾られた石像に見下された私は、懐かしい重みの観音開きの扉を両手で開ける。
深紅の絨毯が流れていった先に指定の濡羽色のメリージェーンシューズがのっていた。
嵌殺しのステンドグラスから七色の光が差し込んでいる。
「菅家さん?」
と呼ばれて、ふと顔を見ると、雪川栞の気持ちが手に取るように分かってしまった。
「お疲れ、さまー…」
見るんじゃなかった、と思った。
彼女の緊張がこちらにまで移ってくる。
栞が深く考えずに指定したこの場所の雰囲気に飲まれてしまったことがすぐ分かったからだ。
恋人同然に過ごすと約束した上で会うには、雰囲気がありすぎた!!というところだろう。
明らかに動揺して焦っていた。
それで私は、無理に会話を繰り出すより、のんびりと彼女の動揺が落ち着くのを待ってみようと考えた。
小聖堂は綺麗に掃除されていたので、私が白木の横椅子のひとつに腰を下ろすと、栞もスカートのプリーツを整えてそれにならった。
自然とふたり横並びになる。
しばらく蝋燭の火など眺めていたが、声を発した。
「やっぱり静かだなぁ」
「やっぱり静かです…」
やまびこのように返した後、栞は「ん?」という顔をした。
「以前もいらしたことがあるの?」
繰り返すが、小聖堂に来る生徒はあまりいない。
「父を亡くした時に一度ね」
「そうでしたか」
栞が私の言葉を重く受け止めそうだったので、私は話題を変えた。
「具体的には何をすればいいんだろう」
件のことに決まっている。
「じゃあ、えぇっと…」
「うん」
一瞬言い淀んで、彼女はかるく下唇を噛んだ。
「抱きしめてください」
「うん、友達同士でもそのくらいするもんね」
特別気まずいことじゃないよ。
その空気を作るための確認のつもりだったが、
大きな瞳はさぁっと薄い水の膜が張っていく。
目が離せなくなって凝視しているとぱっと視線を逸らされた。
そうかもしれませんけど、と彼女は呟いた。
気遣いが、誰とでも寝る女ぐらいに思われた気がする。そんなことないんだけどな。
「本当に好きな人とする時みたいにして」
子どものような女王様だ。だが、嫌な気持ちにはならなかった。私は甘い。女全般に。
「やってみるよ」
壁に照らされて揺れる影が華奢な栞の上に覆いかぶさり、ひとつになった。
が、実際にはそんな簡単には行かなかった。
「え?これは何…!」
栞が海老反りになって抱きしめられるのを拒絶している。
自然、私たちは社交ダンスの型さながら拮抗する力で反発しあっていた。
いや、そんな情緒すらないが。
「いやー!無理ですもの!!だって菅家さんの匂いが…!」
「え!臭い!?」
「ち、違います。でも、もういやー!!」
栞は私の腕の中から逃げると、切り揃えられたボブカットの隙間からぜぇぜぇと息を吐いた。
「珈琲の薫りです」
「そりゃ家は喫茶店だもの。煙草臭かった?」
頭を振ってから、栞がきっとした顔で睨む。
「でも、おかしな現象に苛まれました」
「一般的に珈琲にはリラックスの効果があります。なのに、あぁ、これは珈琲の薫りだとわかった瞬間、脈が乱れましたわ」
そう言って、両手で顔を包んで自分を落ち着かせる少女は、大人びた才媛とはほど遠い。
愛らしい10代の反応だ。むしろ、幼いくらいの。
「あ、そう。不思議だね」
「本当に不思議です。抱かれる前の私はこの世界を知り尽くした気でいましたが、それは無知でした」
抱かれたというのか、あれで。
私が笑い声を漏らしてしまい、栞が詰め寄ってきた。
「どうして笑うの!馬鹿にしないで!」
「してない、してないってば」
「すこし練習が必要なだけですわ」
「じゃあもう一度する?」
私が一歩歩み寄ると、栞は同じ歩幅後ずさった。
「今日はもう十分!」
なんだか遠い道のりな気がしてきた、ハグくらいのことで。
「オーダーされた注文を届けたようなもんなのに、この騒ぎだし。前途多難かも」
「なんのことですか?」
と、長い睫毛に縁取られた瞳が見張られる。
不意のキスだってされるかもよ。と、言おうと思ってやめた。
考えたこともなかった!って、美しい顔が途方に暮れるのが容易に想像つくし。
けど、栞の顔は反対にぱっと明るくなった。
「おっしゃりたいことがわかりました」
「お互いの名前で呼び合わなければ。そうでしょ?私、櫂(かい)さんって呼んでみたい」
ただ名前を呼ばれただけで不思議と気持ちが満たされる。
優しくて照れくさい気持ちになるのが恋の始まりだ。
「急にそれらしくなりすぎる気が……」
「なりすぎるも何も。もとから栞(しおり)なんですよ、私」
「……」
これ以上言い淀むの、かっこわるいだろうな。
「しおり、か」
「ふふ、敬称がないとこんな気持ちなんですね」
「あ、そうだよね。ごめんごめん、栞さん」
「呼び捨てがいいと思ったのに。栞って呼んでください、櫂さん」
「じゃあ私のこともそうしていいよ」
「ううん、慣れてる方がいいの」
そう言って栞は私の腕をつかんだ。
「今度はもっと上手に抱きしめてもらうから、また付き合ってね、櫂さん」
耳に寄せられた唇が離れると、私の手には封筒が握らされていた。
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