真珠の乙女と亜麻色の青年

第1話 罠にかかったきっかけ

 赤茶色の煉瓦れんが屋根に乳白色の石壁、飾り格子のついた窓。指定された王都でも最上級の宿屋に到着したラルエットは、玄関広間に続く扉を開ける前に深呼吸をした。待ち人と対面するには、それなりに集中力と緊張感を高めて会わなければならない。


 追っ手や尾行している人間はいない、はず。念のため目的地まで何回か迂回うかいしたし、途中の裏路地で簡単に着替えて、下ろした髪も結わえた。ラルエットの平凡な容姿は、あまりにも平凡すぎるゆえ人の印象に残りにくい。


 クルミ材の豪華な飾り彫りの受付台に近づき、名前を告げ、客室のある2階への階段を上る。波状の曲線美を描く手摺子バラスターの連なりにいざなわれるように、ラルエットは速まりそうな足を抑えてゆっくりと教えられた番号の部屋を開けた。


 目を引いたのは、磨き抜かれて艶を滑らせる調度品の数々と、黄色や青で模様が描かれた緋色の絨毯。そしていかにも座り心地の良さそうな羽毛詰めの肘掛け椅子に腰掛ける2人の男。1人はラルエットとそう変わらない、『青年』と言って良いほどの若者で、もう1人は眼鏡をかけた神経質そうな顔立ちの壮年そうねんの男だ。青年の方は座ったまま、歓迎の意を表すように両手を広げる。


「やあ。久しぶりだね」


 肩で切りそろえられた、亜麻色のふわふわ波打つ髪。ラルエットは近づき、ふところから小さな封筒に入れた紙を彼に差し出した。


「初任1週間の報告に参りました」

「お利口様」


 にこにこと、距離が近ければ頭を撫でられそうなほどの甘ったるい笑顔で褒められる。だがこの笑みは飾っただけのものだ。彼のなごやかな表情はラルエットの背を薄ら寒く冷やす。


 王都警備隊おうとけいびたい第四小隊長、トリス・カルセドニー。王都を拠点とし、犯罪を取り締まり国民を護るバヴァリアの警備隊の、4人いる小隊長のうちの1人。灰色の双眸は一見柔らかそうで、中央に真っ黒と浮かぶ瞳孔が注意深く相手を観察している。


 王都警備隊の第一小隊と第二小隊は事件の捜査を主戦場とし、第三小隊は鑑識など裏方的な業務を担当している、らしい。伝聞でんぶん形式なのはラルエットがきっちり全容を把握していないせいだ。ラルエットは王都警備隊の正式な小隊員ではない。


 王都警備隊に限らず各地方にある警備隊に配属させるためには、士官学校を卒業することが必須となる。しかしラルエットは士官学校を卒業どころか在籍すらしていない。彼女は王立学術院の卒業生だった。


 そんな彼女がなぜ、王都警備隊の第四小隊と接触し、あまつさえ小隊長と対面しているのか。


 常人ならば騙されるだろう胡散臭い微笑に、この人は他人を信じたことがあるのだろうかと頭痛を覚えながら、彼女は記憶をさかのぼった。



**・***・***・**



 高級宿屋【真珠の乙女亭】。王都の裏通りにあるその宿屋は、1階部分を飲食スペースが占め、2階と3階が客室となっている。『無法地帯』とも揶揄やゆされる、違法賭博や売春をはじめとした犯罪の巣窟たる裏通りにあっては珍しい石造りの建物で、炭で黒く塗った漆喰の上に石灰の塗料で白塗りした壁を削って人魚を描いた外壁が妖しい美を匂わせている。


 ラルエットはその店の従業員だった。


 王立学術院の卒業生は、卒業試験にさえ合格すれば自分の希望する公職にくことができる。宮廷の役人、学術院の研究職、学者、医師などだ。芸術系を専攻した生徒は芸術家になったり美術商になったりと様々で、バヴァリアで最も権威ある教育機関を卒業したということではくがつく。ちなみに卒業試験の難易度は高いものの、まじめに勉学に励んでいれば落とすことはない。


 ラルエットは、落ちてしまった。


 原因は試験前日、夜遅くまで勉強し高熱を出してしまったからである。


 卒業試験は一本勝負。例外はない。ただ体調不良などやむを得ない理由で受験できなかった生徒には『王立学術院卒業相当』と認定され、翌年の卒業試験に再度挑むことができる。つまりそれまで1年間、無職むしょく無収入ということである。


 非情な制度だが、それでも受けられる機会があるだけまだマシだ。ラルエットは試験の日まで、日銭ひぜにを稼ぐ必要があった。実家も裕福とは言えないため、仕送りをする必要もある。


 遠方の田舎出身で王都に頼れる親族のいない、研究職けんきゅうしょく以外では何の役にも立たない知識を持っているだけのラルエットに、1日1日を生きるためにできることは何か。


 我が身を売ることくらいだ。


 【真珠の乙女亭】は宿屋という体裁をつくろっているが、実態は娼館に毛の生えた程度だ。女性従業員はただ給仕や案内をするだけでなく、客に快楽を与える『商品』――――だから賃金も相場より高い。


 客に求められれば、春もひさぐ――――が、幸か不幸か。ラルエットはいまだわれたことがない。


 【真珠の乙女亭】の強みは、女性従業員が美の粒ぞろいである点だ。誰もが花も恥じらうかぐわしい美貌と悩ましい肢体を持ち、愛嬌と時に冷たい不愛想を使い分けて、華の園に迷い込んだ狩人を翻弄する。狩りに成功したものは指名した女に伴われて客室に向かい、甘くなまめかしい夜を味わうのだ。


 そんな中で、ラルエットはむしろ目立つほどに凡庸ぼんような容姿だった。


 うしろでひとつに束ねた、量の多い金の髪、飴みたいな瞳。顔立ちは至って平凡。美女には程遠いが不細工ではない。ただ、丸くて大きな瞳が不思議そうにまたたくと可愛らしいのだそうだ。せめてもの慰めである。


「リエット。ご指名だよ」


 ラルエットは、ここでは『リエット』と偽称してつとめている。幼い頃、自分自身が『ラルエット』を上手く発音できずそう言っていたのを使ったのだ。裏通りで生きる人間たちなど全員ワケありなので、特に疑われることなく受け入れられている。


「私、ですか?」


 聞き間違いではないかと戸惑う。見渡せば美女ばかりの宿屋内で、ラルエットに目を留める人間はごくわずかだ。ほとんどが盛りを過ぎた老人で、彼女が王立学術院でつちかった教養目当てに声をかける。【真珠の乙女亭】の女性たちは欲望の手練手管だけでなく客を離さない知的な会話術も身につけている。その中でラルエットの知識は突出していた。おかげでただ話をするだけの老いた常連客を何名か受け持てている。


 ただ、今回の指名客は、ラルエットが始めて見る人物だった。背筋がしゃんとしていて、品も良い。

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