第4話 季節ときみ

 また日記のページを開くと、私は光希のことばかり書いているようだった。学校へ行く間、クラスでの休み時間、クラブ、帰り道、そのどれもほとんど光希と過ごしていたから、クラスの子よりも光希のことを多く、深く知るようになった。

 読書が好きで、どんな本を読んでいるのか教えてくれること。バラエティをよく見ていて、特にかっこいい雰囲気をした女の人のタレントが好きなこと。光希はクラブの日以外には塾に行っていて忙しいこと。勉強をしろと親がうるさいこと。話が弾んだら(いつも大体弾んでしまうが)、通学路の近くの公園に寄り、ベンチに座って話をすること。そして、陽が傾いてきた辺りに、少し小走りで家に向かう。「じゃあね」とお互い挨拶をして家へ帰る。その後同じぐらいの時間に、光希はクラブの日以外は塾へ、私はその時ダンスを習っていたのでダンスのレッスンへ向かう。お互い家を出る時に、「行ってきます」と玄関を出て言う。大体隣には光希がいるから、顔を見て「いってらっしゃい」なんて言う。それが2人の間でのルーティーンになっていった。通学路の近くの公園はあの公園と認識するようになったし、一旦家に帰る時も、「じゃあね」ではなくて「また後で」と言うようになっていった。

 このような光希との日々を、私は丁寧に書き留めていたようだった。光希は私以外にもクラスに友達がいる。私も光希以外にクラスに友達がいる。しかし、光希と私は他のクラスメイトの友達とは違うことを、お互いに認識していた。何か強烈な引力に引き寄せられたような、そんな気がしていた。所謂、親友ってやつだ。お互い、口には出していないが、そんな気がしていたのだ。今となれば、独りよがりだったのかもしれないが。


 光希はバトミントンクラブ以外の日は、基本的に塾に行っていたこともあって、頭が良かった。授業の時先生に質問されると大体すぐ答えられるし、それが間違うことはなかった。光希がなんでも簡単にやってのけることは、学校行事や成績で、誰もがわかるようになった。

 9月の終わりあたりから少しずつ、同性の子から、なんでもできるからと疎まれることが多くなった。それでも変わらず、いつも光希は凛としていた。他の女子と距離が離れていくのに、別に1人になったとしても構わないようだった。光希は、他の子とは違う、大人っぽさを持っていた。群れていないで、1人で居ることのできる強さを持っていた。私は光希とは違って、1人でいることが怖い。なんといっても、誰かから嫌われていくのがたまらなく怖かった。誰でもいいから友達と、クラスメイトと喋って笑っていたかった。もし私が光希の立場だったら、疎まれていくことに耐えられない。一人でいても平気な光希に私は憧れていた。それは今でも変わらない。光希の好きなところであった。私にとって、光希はずっと光だった。どんなに暗闇でも、明るく照らすような光である、そんな光希に憧れていた。そんな光に自分がなれないことすら、知らないままだった。私も光希のようになりたいと、何も知らなかった私は思っていた。それは、無知という幸福であった証で、代償でもあった。あの時が一番綺麗な私だった。そうやって幸福である私が、また現在の私に真綿をかける。知りすぎてしまった私は、不幸になっていくしか道がなかったように思えてしまうほどだ。

 私の光である光希と一緒にいるのが、楽しいだけではなくて、優越感のようなものも付いてくるようになった。なんでもできると言われている光希と仲が良い。だからこそ、私は光希のそばでこれからもいられるように、自分のできることはとことんちゃんとやるようになった。なんでもできる光希のそばにいるには、自分も何か人より秀でないといけない。そんな思いを抱えて、私はクラブで、ダンスレッスンで、苦手だけど勉強も、頑張っていた。特技なんて、秀でたことなんて、なにもないけれど、当時は何でも完璧でいようにと、がむしゃらだった。

その頃からだろう、今思えば光希は本当に笑っていなかった。無理して笑っている気がしていた。


 

「はーい、じゃあ今日はここまで。練習してきてね」

ヒップホップの音楽を止めて、アキナ先生はそう言った。今日も振り付けが難しい。リズムとりが細かいし、足も思うように動かない。アキナ先生は美人で、スタイルのいいダンサーで私の通うダンススクールの講師だ。先生は、有名なアーティストのバックダンサーをしている。そんな先生にダンスを教えてもらうのはすごいことだなあと思うし、先生に憧れている。でも、生徒にやらせることは鬼だと思う。中級者コースだが、かなり難しい。あの人の笑顔が悪魔のように見えた。けれども、その分私はやる気に満ちていた。絶対来週までには完璧にしてやる。そう意気込んで、スタジオに残って練習する。一通り満足するまで踊った後、時計を見る。すると、20時時過ぎであった。私は汗を拭いて、着替えに更衣室へ向かう。早く帰らないと、心配かけてしまう。急いで支度を終わらせ、走って駅まで向かった。はあはあと息が弾む。走りながら階段をリズミカルに降りていく。すると電車がホームからちらりと見えた。これに乗りたい。そう思うとその電車はドアが閉まり、私が目の前に着いた頃には発車してしまった。男性の機械的な声が響くホームにポツンと1人だけ残されてしまった。電光掲示板を確認すると、次の電車は10分後に来ることがわかった。はあ、と思わずため息をついてしまう。そして、乗れなかった電車を想像してまたため息をつく。苛立ちと疲れと共に近くにあったベンチにどかっと座った。スマホを見ると、携帯の充電が切れかかっていた。あーもう。全部間に合わないじゃん。心の中で嘆きながら、浅く座り直して足を伸ばす。持て余した時間を潰すため、普段ならやらない人間観察を始めた。

 しばらくして目の前のホームドアに、よれたシャツとスーツを着るサラリーマンがやってきた。潰れたリュックを背負う後ろ姿が、やけに疲れているように見える。髪の毛は清潔感のある短髪だった。そのアンバランスさが、彼の疲労感をさらに物語っていた。

 続いてそのそばに立つ同い年の小学生くらいの女の子。髪はポニーテールをして、有線のイヤホンがチラリと見えている。スマホで音楽を聴いているのだろうか。中学受験を目指す名門塾の有名な赤いリュックを背負っている。多分この子も同じような顔をしているだろうな。そうやって思ってしまうほどに小さな背中を丸めていた。

 「まもなく、3番線に各駅停車飯能行きが到着いたします。」

 耳馴染みのいい、男性のアナウンスが流れる。あっという間に10分経ってしまったらしい。鉛のようになった足を動かし、立ち上がって女の子の隣に行く。ホームドアのすぐそばに横に三列ほど並ぶテープがあり、混雑防止のためにきちんと並ばなければならない。たまたまその子の隣が空いていた、ただそれだけだと思っていた。ほんの少しだけ、サラリーマンや女の子が本当はどんな顔をしているのか好奇心があったのだ。

 恐る恐る彼女の顔を覗いてみる。すると、彼女は遠くを一点に見つめていた。彼女からは同い年の女の子とは思えない、何か強烈な絶望を感じ取った。虚ろな目をしている彼女に、なぜか見覚えがあった。

「え、光希」

思わず声に出してしまったのは、私の悪い癖だ。暗い雰囲気を纏った彼女は、光希だったのだ。


 

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