第2話:Still Love Her
「300年前。あの人が居なくなって300と……12年目になるかな」
アルテさんはエルフだった。
エルフは、人とは比べ物にならないほどの長い年月を生きることが出来る。
それだけ色んな経験があって、前に共に暮らしていた人のことをこうやって思い出すことがあるらしい。
「そんな昔の人のことをまだ忘れられないんですか?」
「忘れられない。忘れられないからずっとこんな格好をしてるの」
彼女の服装は故人を悼む喪服だった。
人間でもその昔、夫を偲んで生涯喪に服していた女王がいるらしいけれど、でもそんなのは例外中の例外だし。
大体その人だって人生のうち数十年の話だ。
彼女のように何百年も昔の人を悼むのは、私は彼女だけでしか見たことも聞いたこともない。
「私はね、ずっと喪中なの」
唇から零れ落ちるように彼女はぽつりと言った。
手紙を握る指に力がこもっているのが分かる。
ただすぐに彼女は「あっ」と気づいたように声を出して顔を上げた。
「それよりセリナちゃんはどうしたの?私に用があってきたの?」
尋ねてきながら彼女は顔にかかるヴェールの端を上げた。
中に隠れていた端正な顔があらわになる。
まるで閉じているように細い目。
小さな顎。
わずかに青みがかった透明な髪。
薄く桃色がかった細い唇。その口の端には一つ小さな黒子がある。
いつ見ても誰かが彫り上げたのではと思うほど整った顔だった。
アルテさんの質問に思わず私は体を乗り出してしまっていた。
「あ、そうです。そうなんですよ。アルテさんに聞いてほしくて」
泣いていたアルテさんには少し申し訳ないけれど、どうしても聞いて欲しくてつい体を近づけてしまう。
「何か嬉しそうね。今日は何かあったっけ?」
「あったんですよ。私あと1か月で。あと1か月でなんと14歳になるんです!今日がちょうど1か月前なんですよ」
「ああ、もうそんな時期なのね。でも、そんな1か月も前から嬉しいの?」
「嬉しいですよ。でも、嬉しいって言うか……これはアルテさんに聞いて欲しいことなんです」
「どういうこと?」
「14歳になったら私、結婚相手を選んで良いってお父さんに言われてて」
「……そっか。もうなんだ……。セリナちゃんも、そういう年になったのね……」
時が流れるのは早いわねと感心したようにアルテさんは頷く。
「そうなんです。だから……」
「だから?」
「だから!アルテさん!私と結婚してください!!」
服の中に隠しておいた小さな花束を取り出してアルテさんの目の前に差し出す。
一瞬、彼女が驚いたのが分かる。
ちょっとだけ沈黙があった。
服の中に隠していた花束はさすがに狭かったのか、一本の花が茎が折れてしまっていて今にも折れそうだった。
「ふふ。嬉しいわね。私を、選んでくれるのね」
何とも嬉しそうに彼女は口元を緩める。
「じゃ、じゃあ!」
「でも、ごめんね。それは出来ないの」
折れかけだった花が茎ごとぽとりと落ちた。
「ええ!?どうしてですか?」
「どうしてもなにも……あなたも分かっているでしょう?私はエルフだし貴族でもない、でもあなたは人のそれも伯爵様のご令嬢。そして私もあなたも女性同士」
「それは……」
確かにその通りで、それは私も分かってる。
でも、私はアルテさんと結婚したいんだ。
「それにね。私はね。未亡人だから」
「そんなの関係ないですよ。喪に服している間は結婚できないだなんて風習でも何でもないでしょう?アルテさんが良いなら」
「良くないの。私はずっとあの人の記憶から離れられないの。そんな人があなたと一緒にいていいわけないでしょう?あなたには絶対にふさわしい人がいるから、私なんかに捉われちゃダメよ」
「そんな……。私は……私はアルテさんが良いんです!アルテさんじゃないと!」
困ったようにアルテさんは笑う。
それは昔からよく見てきた、彼女が私のわがままを聞いているときの顔だった。
「私はアルテさんを困らせたいわけじゃないんです……」
「分かってる。でもね。私じゃ駄目なのよ」
「うぅぅ……」
くやしくて唇を噛みそうになる。
何か言いたかったけれど今なにかを言葉にすると、そのアルテさんの想い人のことを悪く言ってしまいそうでぐっと飲みこむ。
そうして何とか他の言葉を探した。
「アルテさんは……」
「うん?」
「アルテさんは私のこと好きじゃないですか?」
「まさか」
彼女はとびっきりの柔和な顔を見せてくれる。
「セリナちゃんが私と結婚したいって言ってくれて嬉しい。とっても嬉しい。すごくドキドキしてるもの」
「本当に?」
「うん。本当」
「でも、駄目なんですか?」
アルテさんはこくりと頷く。
「だって自分の気持ちには嘘はつけないもの……。私はあの人のことが好きだってずっと思ってる。他に好きな人がいるのに誰か一緒になるのは酷い裏切りじゃないかな。自分の心には素直でいないと。あなただって自分の心に素直になったからこそ私にその気持ちを伝えてくれたんでしょう?」
それは。そうだ。
確かにそうだ。
でもだからこそ逆に私は思い切りに立ち上がった。
「アルテさん!」
急に立ち上がった私にアルテさんは少し驚いていた。
端正なはずの顔が少しだけあどけなく見えた。
それすらも愛おしくて、今さっき自分を振った人なのにやっぱり好きだと改めて思ってしまう。
「な、なあに?」
「私、アルテさんにその人よりずっと好かれるようになって見せます!これから!」
「え?え?」
「だって、一番大切な人がその人だから。その手紙の人だから。私じゃ駄目なんでしょう?だったら、私が一番好きな人になったら結婚してくれますよね!?」
「それは……他にも、あなたの家のこととか――」
「それも何とかしてみます。だから、そうしたら結婚してください!」
「……」
アルテさんは軽くうつむいて少し考えた後に目尻をすぼめた。
それで何を言おうとしているか、その仕草だけで分かってしまう。だってずっと一緒に生きてきたから。
だって10年近くも。10年近くもだ。
アルテさんの300年という時間と比べてしまったらちっぽけかもしれないけれど。
私にとっては途方もない時間だ。
何かを決めた様にアルテさんが顔を上げた。
「あのねセリナちゃ――」
「夢を持たせてください……。せめて、14歳になるまで」
きっと断られると思った。だから、彼女が決定的な言葉を放つ前に言葉を重ねた。
アルテさんは唇を閉じる。
そうしてさっきよりも長く逡巡してふっと口元を緩めた。
「分かった。あなたがどんな風に好きにさせてくれるのか楽しみにしてるから」
言葉にためらいと少しの優しい嘘を含んだ響きがあった。
それでも良かった。
私が本当にすれば良いだけの話だから。
ずっと持っていた花束を再び彼女へ差し出す。
「告白の意味じゃないですけど。この花束は受け取ってください。せっかくですから」
「そうね。ありがとう。こんなきれいな花束を用意してくれて」
細い指先で彼女が私の花束を受け取ってくれる。
それだけで胸がドキドキした。
いつか本当の意味で花束を受け取ってもらいたいと思えるからだ。
「じゃあアルテさん、絶対ですからね!絶対、好きになってもらいますから!」
セリナはそう強く言いきってガゼボから走り去っていく。
アルテの足元に風が伝わってくるぐらいの勢いだった。
すごい勢いにアルテはくすりとほほ笑んでしまう。
「本当に。いつも風のような子」
受け取った花束へと顔を近づけるとふわりとさわやかな香りがした。
「エーデルワイスの花……。私の好きな花を憶えててくれてたのね。嬉しい。……あなたもいっぱい贈ってくれたよね」
あの人のことを思い出すたびに涙が滲み出そうになる。
そっと花束に鼻を寄せると芳醇な匂いが鼻孔をくすぐった。
「ふふ。セリナちゃんが私のことを好きだって言ってくれるなんて。嬉しい……。まだ胸がどきどきしてる」
とくとくと心臓が高鳴るのが自分でもわかる。
彼女の前ではとても出来なかったけれど、今は素直に顔が紅潮していくのが分かる。
「セリナちゃん。私も好きよ……。好き……。でも私じゃ駄目なの。私じゃ……」
胸が痛くなるけれど今はただ受け取った花の嬉しさに顔を埋めていたかった。
その頃セリナは、教育係のメディア夫人に捕まり、こぴっどく怒られて、先ほどとは別の意味で泣きそうになっていたところだった。
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